自由・平等・友愛―政党と経済
- 2016年 2月 20日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
「ちきゅう座」の「催し物案内」欄(2月3日)に伊藤誠先生が國學院大学公開研究会「資本主義はどこへ向かうのか?」への出席呼び掛けをのせていた。2月11日とのことであった。紀元節に國學院(神道学を要とする大学)で神社暦2676年の日にキリスト暦21世紀の現代資本主義の行方を、マルクス経済学やマルクスに影響をうけた経済学者達が論じ合う妙にチャームされて聴講した。
主報告者二人、西部忠氏(北大教授)と古沢広祐氏(國學院大教授)の報告は良く考えぬかれた充実したものであった。私が大変に共鳴した所は、両氏が現代資本主義を分析するに際し、市場経済理論のみと言う一次元的視座ではなく、計画経済と協議経済を加えた三重視座に立って考察している事である。もっとも、両氏は「協議経済」なる術語を用いていなかったようです。西部氏によれば、市場・交換・私的自由―国家・再配分・計画・公的平等―コミュニティ・互酬・慣習・共的博愛である。古沢氏によれば、「私」セクター・利潤・資本増殖・私有財・自由・競争―「公」セクター・公益・資本統制・公共財・平等・統制―「共」セクター・共益・資本制約・共有財・公正・共生である。両者の力点に差はあれど、共通性は歴然としている。
実は、私=岩田は、故佐藤経明教授との対談、『経済評論』1981年11月号(日本評論社)において同様の三視座を打ち出していた。更に、私の著書『現代社会主義の新地平』(昭和58年・1983年、日本評論社)の第1章「自由・平等・友愛と現代――現代社会主義の歴史的位相」と第2章「自由・平等・友愛と自主管理社会主義――ユーゴスラヴィア」において三視座論に「トリアーデ体系」の名称を与えて、かなり詳細に議論していた。参考までに私の「トリアーデ体系」を以下にかかげる。
次元\トリアーデ |
第一系列 |
第二系列 |
第三系列 |
①経済人類学 | 交換 | 再分配 | 互酬 |
②近代的価値 | 自由 | 平等 | 友愛 |
③経済メカニズム | 市場メカニズム | 計画メカニズム | 第三メカニズム |
④所有制 | 私的所有 | 国家的所有 | 社会的所有 |
⑤経営管理 | 私的経営 | 国家的経営 | 自主管理 |
⑥分配様式 | 賃金と利潤という市場カテゴリー | 国定賃金表 | 所得分配協議 |
⑦人間類型 | 極大化タイプ | 標準化タイプ | 適量化タイプ |
⑧権利・責任 | 個権・個責 | 集権・集責 | 共権・共責 |
⑨社会問題 | 不安と安 | 不満と満 | 不和と和 |
⑩人間関係 | 原子化 | 位階化 | 相互規制 |
⑪社会構造 | 階級社会 | 階層社会 | 連体社会 |
⑫政治的決定 | A.K.センのER制約下の多数決 | 13人からなる集団指導制 | A.K.センのVR・LA制約下の多数決 |
⑬家族関係 | 夫妻関係 | 親子関係 | 兄弟姉妹関係 |
⑭象徴的死 | 自殺 | 他殺 | 兄弟殺し |
⑮代表国 | 英米 | ソ連 | ユーゴスラヴィア |
⑯総称 | 個体主義 | 全体主義 | 連体主義 |
後になって諸カテゴリーの名称に若干変更がある。例えば「第三メカニズム」→「協議ネットワーク」、「連体社会」→「団体社会」、「不和と和」→「不和(不信)と和(信)」など。そして、1981年・昭和56年にトリアーデ体系を私の方法論的フレームワークとして打ち出して以来今日に至るまでほぼ不変の視角から世の激動を見て来た。私自身、『比較社会主義経済論』(1971年、日本評論社)や『社会主義の経済システム』(1975年、新評論)までは基本的に二分法(Dichotomy)、つまり社会主義論において国有企業の計画経済か労働者管理企業の市場経済かであって、上表のような三分法(Trichotomy)にたどりついていなかった。従って、1970年代に旧ユーゴスラヴィアでデザイン主義的に導入され、結局旧ユーゴスラヴィアの悲劇的崩壊に直通した社会経済システム、自主管理連合労働システムのエッセンスが上表の第一系列と第三系列の節合であった事、その弱点が第二系列の軽視にあった事は、1980年代になるまでつかめなかった。
國學院大学公開研究会のコメンテーターは、伊藤誠教授であった。コメントを聞きながら、私は四半世紀昔に伊藤教授と対談した事を想い出した。「東欧革命と資本主義の世界 デザイン主義を超えて 二項図式の崩壊とその後の世界」(『情況』第二期創刊号、1990年7月pp.35-53)である。再読してみた。
そこで、私は社会主義を崩壊させ、第三世界をも呑み込んだ資本主義世界の性格を経済理論的に規定できず、「今」資本主義としか言いようがない、と語っていた(p.49、p.50)。
今日2月11日の両報告は、四半世紀後に「今」資本主義の内的性格を経済学的に規定している。「順流」か「逆流」か。
西部氏によれば、財・サーヴィス商品が利潤実現の担体、資本主義的商品として資本家によって生産され、市場で売られる。それに加えて、労働力商品が労働者家計によって利潤実現の担体として生産され、資本主義的商品として市場で売られる。すなわち、資本家も資本家。労働者も資本家。万人資本家の世界である。
古沢氏は、金融資本主義が極大膨張して、人間社会系のみならず自然生態系にカタストロフィックな作用をしている経済系であると「今」資本主義を規定している。
四半世紀前、「今」資本主義を指摘して、そこにおける政治を自由民主党、平等民主党、友愛民主党の競い合う政治の必要性を強調していた(p.51)。平成28年2月11日の研究会とは関係ないが、最近「友愛党」が議論されているようなので一言しておく。
平成28年2月19日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5914:160220〕
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