いつなくなるのか――身分制
- 2016年 2月 23日
- 評論・紹介・意見
- 中国腐敗阿部治平
――八ヶ岳山麓から(173)――
中国は社会主義だ、いや社会主義への途上だ、まったくの資本主義だとさまざまな説がある。社会構造からすれば、我国江戸時代によく似た、士族と平民との差別がある身分制社会である。
中国では大都市でない限り、身なりと歩きかたを見れば官民の違いは明らかだ。役人はだいたい黒系統の服を着てズボンのポケットに手を突っ込んで胸を張って歩く。出張ともなれば、上は上なり下は下なりの大名行列だし、その官官接待は近頃規制されているとはいえ豪勢そのものだ。
私の経験では、役人の平民に対する態度は高圧的できわめて不親切、少数民族に対しては平気で民族差別をする。横柄を横柄と思わないところが士族たるゆえんである。
中国「南方周末」紙に登場した解説記事は、これを赤裸々に伝えている(2016・2・12)。記事のもととなった論文の筆者は馮軍旗氏で現在35歳、河南省汝南県の人。北京大学社会学博士課程で学位を取得した。2008年3月、おそらくは研究目的のため、同じ河南省の新野県に役人として赴任した。
馮氏はまず郷政府(県の下の行政村)で仕事をした。同僚に忠告されてブランドものの洋服を2着買い、それを着たら同僚が「よっ、馮博士、やっと副郷長らしくなったな」といった。あくる年新野県県長補佐に任命されると、秘書1人、(おそらくは運転手つきの)3000㏄の乗用車サンタナと3部屋100平方メートルのマンションが提供された。服装・車・マンションはひとかどの役人のステータス・シンボルである。
馮氏の論文は多方面にわたるので、ここでは主に役人集団の特徴と出世についてだけ述べることにする。
新野県はいわゆる中原の地、大都市南陽市傘下の県の一つで、6.5万ヘクタールの耕地があり、人口は78万人。伝統的な農業県で綿花栽培と綿紡績が経済の支柱である。
中国では省長よりも省共産党書記の方が、県長よりも県党書記の方が地位が上である。新野県職員の70%は25歳以前に入党している。非党員職員は実権がない。職員全体数が得られないが、(党・警察・教師などを除いて)ヒラは多分4000人から5000人はいるだろう。副課長級以上の幹部は1013人、うち副課長680人。課長は280人で、部長クラスでは副部長40人、部長5人という。
ところが(数字のつじつまが合わないが)部局は約70ある。これに党組織が張り付くから役人全体は膨大な数になる。仕事のための組織増設ではなく、幹部の権勢拡大のためのポスト拡大である。いずこも同じで、新野県が例外ではない。
戸籍で見ると、課長級以下はほとんど新野県人で、副部長級以上は南陽市傘下の他県人である。地位の高いものを出身地におかないのは中国の伝統である。
新野県官界の著しい特徴は、血縁と婚姻で結ばれた161個の「政治家族」の存在である。新野県の郷・鎮(郷と同格の町)から県政府まで行政のほとんどを「政治家族」が占めている。副課長クラス以上の官僚のいる「政治家族」のうち、家族五つ以上が結合するもの21、二つ以上五つ以下の小家族140。これに関連して親子二代続く役人が全体の20%ある。
その中心人物の権勢は「政治家族」の大小に正比例する。有力「政治家族」は実入りの多い公共事業、人事権などを掌握し、世代を重ねて大きくなり利権集団を形成する。代表的なのは張一族である。新野県は張家の支配下にあるといってもおかしくはない。中心人物は県政治協商会議議長などを歴任した張以彬である。彼は新野県から出て南陽市唐河県党県委書記を務め、南陽地区労働局長の地位で退職した人である。
張以彬の妻の父親は新野県で党県委副書記と政治協商会議議長を歴任した。
張以彬の妹の張秀彬は新野県副県長と政治協商会議議長、夫は衛生局長である。
張以彬には子供が8人あり、息子や娘、その配偶者、配偶者の親戚までみなしかるべき地位についている。張家関連の県政府副課長級以上の幹部は22人、うち半分は南陽市のどこか、半分は新野県にいる。そのネットワークは南陽市や河南省省都鄭州市さらには北京に伸びている。
これは一人っ子政策が徹底する前の家族を基礎としているが、一人っ子世代でも形を変えて増殖し、そのあとは再び一大「政治家族」を形成するだろう。彼らがやるべき仕事をやれるか、その能力があるか否かは別の話だ。張一族の女性幹部のなかには、馮軍旗氏に「仕事をしなくてもいい。楽しくやれることが一番だ」と堂々と語るものがいた。
新野県官界の出世相場は、一般事務員の係クラスから副課長になるのに8年、それから課長になるのに3年、課長から副部長になるのに7年、それから部長になるのに7年を要する。大卒は昇進が早い。部長の地位で数年を過ごして極めて限られたものが南陽市の副庁長レベルの幹部となる。
実態としては、新野県党委や政府の指導者は郷党書記から昇進したものが多い。郷幹部は財力があるという。昇進のための賄賂が使えるという意味だろう。郷政府の課長から副部長に昇級すると、ここから県政府の党組織メンバーになる道がある。彼らのうち何人かが県政府に入ったとき、県長補佐・副県長・統一戦線部長・宣伝部長・政法委書記・組織部長・規律委員会書記・常務副県長・県委副書記など十数の職階が待っている。
ここでもバックのある「政治家族」のメンバーは数年で出世し、最後は他県の権限のある仕事(党書記、県長、人民代表大会や政治協商会議議長)に就ける。県長になったものが党書記になれないと、陰で「出世そこない」といわれる。
一般平民の子供が役人になっても、多くはこの階段を上り詰めることはできない。数十年辛抱しても、実権のない副課長で終わるものが大部分だ。1983年に就職したある郷政府の役人は、20年余りただ郷の各種委員を一通りやっただけだったが、「政治家族」で副部長級以上の県指導者の子供は、低くとも副部長になり、多くは部長になっていった。
中国では、解放軍将校の昇級にさえ賄賂が動くことはご存知の通り。官僚の場合は職域と地位によって相場がきまる。新野県ではレベルの高低によって1万元(いま18万円くらい)から5万元(90万円)。ただしバックのないのがいくら走り回っても、たいていは実権のないポストをたらいまわしにされるだけである。
平民あるいはそれよりやや上という低階層のものが、婚姻関係や学歴の偽造、賄賂などによって巧みにふるまい、ある程度出世した例もないわけではない。
地方政府トップは封建諸侯なみの権力を持っている。平民にとって役人のいうことは命令に等しい。2008年馮軍旗氏が郷政府にいた当時、新野県党書記が視察に行くと、どこの郷政府でも職員が並んで出迎えた。それを見たものが「我県の皇帝が来た」といった。文字通りの「土皇帝」すなわち地方権力者である。
県党委・政府は管轄下の警察や裁判所をにぎっているから、官側に都合の悪い案件たとえば役人の贈収賄や事故、強姦事件などは、合法的に犯罪としないこともできるし、ひどいときは被害者を加害者にすることもできる。もちろん平民の苦情・陳情を平気で無視することもできる。新野県も例外ではない。
また中国には党委・政府が暴力団と結びついて不当な権力をふるう例も多々ある。年間20万件という集団騒擾事件は、ほとんどが地方政府のふるまいに関係している。
すでに中国の腐敗はフランス革命や、ソ連崩壊の前夜に匹敵するレベルに達している。習近平政権はこれを知っているから、成立直前から反腐敗の剛腕を振るった。「虎退治」である。
河南省も例外ではなく汚職腐敗一掃の嵐のなか、新野県では課長以上の幹部が次々失脚し、官界は激震到来の大騒ぎになった。中央高級官僚の異性とカネにまつわるスキャンダルは日本でもよく知られており、新野県でも小は小なりに同じことだから具体例は省略する。大物官僚ひとりが失脚すると、その家族勢力が瓦解することも中央、地方同じである。
ではこれからは役人は強権を失うのかといえばそうはいかない。反腐敗運動が過ぎても、苛政と腐敗を生む構造はそのままだ。もし中共中央がこれに手をつけたら中央に対する地方官僚の忠誠心はゆらぐ。県、郷鎮レベルの官僚は中共支配の土台であり、その向背は支配の根幹にかかわる。したがって言論界では大ナタを振るう習近平政権も、地方官僚相手では思い切った手が打てない。
かくして、古い貪官汚吏に代わって新官僚が赴任するが、彼がどんなに善良清潔であっても、すみやかに「土皇帝」に変身する土壌がある。
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