神道と原発――國學院大學「共存学」への期待――
- 2016年 2月 25日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
2月20日の「意見・評論・紹介」欄、「自由・平等・友愛――政党と経済」で述べたように、國學院大學公開研究会に出席した。そこではじめて知った事だが、國學院大學の諸教授がリードする「共存学」なる知の領域が生成しつつあり、『共存学』シリーズが3巻、公開研究会の報告者古沢広祐教授(國學院大學研究開発推進センター)の責任編集で弘文堂から出版されている。私は、全部ではないが、各巻から興味を引く諸テーマを選んで一読して、ある種羨ましさを感じた。
かつて、20世紀末、千葉大学人文社会科学系の博士課程研究科長をつとめていた事がある。その時期にアダム・スミス学の専門家N教授と語らって、国立大学で主にきたえられているヨーロッパ起源の社会科学知・社会思想知と日本伝来の神道的知の交流・対流を企画したことがあった。私達の方から千葉県神社庁にコンタクトをとった。ある日、千葉県神社庁の神主さん達にまねかれて、十人ほどの神主さんと会食した。主人格の老神主がポンと柏手を一つ打った。食事始めの「いただきます。」を言う時だ。あんなに美しくやわらかく、かつ形のある音を生まれて初めて聞いた。両の手のひらの内側から須臾白玉がコロコロと転がり出た。一生日本の神々の前で祝詞をあげ柏手を打ち続けていると、あのように耳にやさしく、心にひびく百分の一秒の音楽――リズムもなく、メロディーもないが、まさしく音楽を両の手のひらだけから奏でることが出来るようになるのか。「明治維新になって、私達神職の家族に神式の葬儀が許されるようになりました。神主本人以外の神職の家族は仏式の葬儀をしなければならなかったのです・・・・・・。」話しに耳を傾けながらも、私の心は音の白玉の余韻を楽しんでいた。あっ、これが和御霊(にぎみたま)か。白玉がふっと消えて、私は、江戸時代の寺社奉行と明治国家の社寺局の間にある差に思い至った。千葉の神社界と千葉大学の大学院研究科との交流はその後立ち消えになった。
古沢広祐教授編集『共存学』シリーズを読んで、私やN教授があの頃ばくぜんと想い描いていた交流は、国立大学では不可能だったことを悟らされた。経済学部や法学部だけでなく、神道文化学部もあるような教育研究環境がそのために不可欠だった。
『共存学』三巻にもの足らなさを感じる所がある。それは、原発との共存・非共存の問題だ。『共存学2』において、小島美子氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)は、津波災害と原発事故災害の大きな差として、前者においては神も仏も奪われていないのに対して、後者においては「原発は神や仏も奪ってしまった」と言う事実を特記している(p.30)。菅井益郎氏(國學院大學経済学部教授)は、原子力推進の「七位一体」構造(政・官・財・学・マスコミ・司法・民間大労組)の問題性を強調している(p.177)。『共存学3』において、濱田陽氏(帝京大学文学部准教授)は、古事記・日本書紀の神話を活かして、放射性物質に依存した発電を現状維持しようとする思想と低減させていこうとする思想との根本的な違いを説く(pp.123-124)。古沢広祐氏(國學院大學経済学部教授)は、核エネルギー利用を三段階(フェーズ)に分け、「フェーズⅢの時代とは、核兵器の残存、原発の普及拡大が進むなかで、核がはらんでいるリスク構造が重層的かつ複合的に蓄積して行く時代」ととらえ、「私たちはフェーズⅢの時代に入って行くことでの巨大リスク(原子力)世界との共存」(強調は岩田)を「当分の間は覚悟しなければならない。」(p.203)と深刻な判断を表明している。原発事故と原子力利用に関する判断を下している上述の論者達はすべて國學院大學神道文化学部の外部の研究者である。神道文化学部内部の研究者、たとえば松本久史氏(神道文化学部准教授)は、「神道における『共存』の可能性」(pp.149-164)なる論文を神社本庁教学の立場に立って執筆しながら、神道と核の共存の論理、あるいは非共存の論理について何も語らない。
三輪山や沖の島を持ち出すまでもない。自然を御神体とする神ながらの道をそのまま歩めば、おのずと禍津日神(=川元祥一氏の言う半減期の神々)の支配する核世界との共存拒否に至る。ヨーロッパ起源の思想は、マルクス主義を含めて生産力主義=自然征服指向があり、核世界の肯定に直通する。その否定は深刻な自己否定の思想的格闘を要する。神ながらの道の場合、核世界を肯定しようとするならば、一種の自己否定、すくなくとも自己変容の思想的・教学的格闘を要する。神道本流は原子力推進の「八位一体」構造の一要素をなしているのか否か。神道文化の専門家にこの所を教えてもらいたい。
チェルノブイリやフクシマに八十禍津日神が出現したとすれば、神直毘神や大直毘神がその次に出現して、数々の禍(まが=核汚染)を直してくれる神社神道的保証が有りや無しや。『共存学4』を待てと言うことであろうか。
平成28年2月25日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5923:160225〕
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