「春三月縊り残され花に舞う」
- 2016年 3月 9日
- スタディルーム
- 子安宣邦
暦が三月になるとともに、いや三月になる一、二週間も前から大杉栄の句「春三月縊り残され花に舞う」がしきりに口の端に上ってきた。やがて春だという今年の私の意識はなぜか大杉のあの句とともにある。
明治四三年(一九一〇)夏、大杉は赤旗事件で捕らえられ、千葉監獄にいた。監獄中で大杉は幸徳秋水の逮捕を聞いた。「大逆事件」である。「一人の無政府主義者なきを世界に誇るに至るまでその撲滅を期す」という国家権力の意志にしたがって、直接の爆裂弾製造に関わる被疑者だけではない、幸徳に繋がると見られた社会主義者たち二六名が「大逆罪」の名によって逮捕された。同年一二月一〇日に公判は開始され、翌四四年一月一八日に被告二四名に死刑の判決が下された。翌一九日に坂本清馬ら一二名に恩赦の減刑がなされた。二四日に幸徳ら一二名の死刑が執行された。大杉や山川らは赤旗事件で獄中にいたため、危うく累を免れた。
明治四三年の暮れに出獄した大杉はすぐに幸徳らの死刑の報を聞くことになる。まさしく「冬の時代」がきた。日本の社会主義は打ち砕かれ、再起する日などくることはないと思われた。やがて暦の上に春はきた。だが縊り残された大杉に何があるのか。何をすればよいのか。ひとり狂い舞うしかないではないか。大杉は幸徳らのかつて平民社時代の寄せ書きの下に書き入れた。「春三月縊り残され花に舞う」と。
私は今年、大杉のこの句がしきりに思い起こされ、何度となくつぶやいたりしている。なぜか。直接的なきっかけは、大杉らについて書いた原稿を整理し、本にする作業をこの二月にしたことによるだろう。だが大杉をめぐる原稿に、私はこの句を引いたわけではない。にもかかわらず三月の声を聞くとともに、なぜこの句だけが深い共感をもって想起されるのか。
私は大杉のように縊り残されたものではない。だがまったく行き先の見えない不透明な現代世界に、私は生き残されているという実感が年とともに強くなっている。ファシズムの前夜ともいえるようなこの国で生き残されたものは何をすればよいか。縊り残された大杉は春三月の花に舞い狂った。生き残された私は言説的な狂舞をまい続けるしかない。
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2016.03.02より許可を得て転載
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/55851284.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study711:160309〕
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