小川榮太郎氏の対論を読んで~放送法第4条の理解を深めるために(上)~
- 2016年 3月 19日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年3月18日
「北海道新聞」に対論が
目下、高市総務相の停波発言(2月8日、9日の衆議院予算員会で高市総務相が、政治的に公平であること等を定めた放送法第4条に違反する放送を繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して停波もあり得ると答弁したこと)をめぐって各方面で論議が広がっている。
そのような折、「北海道新聞」の3月14日朝刊の<月曜討論>欄に、「放送局電波停止発言 どう考える」というタイトルで、「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎さんの見解と私の見解が対論形式で掲載された。掲載された私の見解の全文(元原稿)は2回めの記事の末尾に載せておく。
このような状況の中で、TBSの「NEWS23」のアンカーを務めていた岸井成格氏の発言を捉えて「政治的に公平であること」と定めた放送法第4条に違反するとして、岸井氏を名指して攻撃した意見広告を読売、産経両新聞に出した「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎氏の見解は、高市発言がはらむ問題点を考える上でも有益と思われる。
そこで以下、小川氏の見解を論点ごとに2回に分けて検討することにした。各項冒頭の引用文は今回の記事に掲載された小川氏の文章からの抜粋である。
小川氏は放送法4条をめぐって何が問題なのかを理解できていない
1. 「放送法4条は民主党政権時代から、倫理規定ではなく法規範性を持つと解釈されてきました。」
小川氏はこう述べて、放送法を倫理規定ではなく、法規範だと解釈するのは民主党政権時代も同じだったと説明している。しかし、民主党と自民党の解釈が同じかどうかは政党間の話であって、視聴者・国民から見てどうなのかに関わる議論ではない。
政治の世界での解釈、見解というなら、国権の最高機関である国会での次のような経緯を知っておくことが肝心である。
いわゆる「ねじれ国会」時代の2007年の国会で、政府から提出された放送法改正案の中に、ねつ造番組を放送した事業者に対し、再発防止計画提出を義務付ける行政処分規定が盛り込まれ た。しかし、衆参両院の法案審議において、こうした規定は「公権力による表現の自由への介入にあたる」との反対意見が出されたのを受けて、新たな行政処分規定は削除され、代わって、衆参両院の総務委員会は、放送界が共同で設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の「効果的な不断の取り組みに期待する」との附帯決議を採択した。
当時、総務大臣だった菅義偉・現官房長官も、放送法改正法案の趣旨説明の中で、新たな行政処分は「BPOによる取り組みが発動されるなら、私どもとしては作動させないものにしていきたい」と述べ、BPOによる再発防止策が機能している間は、行政処分規定を凍結する考えを示していた(2007年5月22日、衆議院本会議 )。
以上については、奥田良胤「『ねつ造』に関する新行政処分放送法改正案を国会に提出」『放送研究と調査』NHK放送文化研究所、2007年6月も参照)
こうした経緯に照らしても、今回の高市発言はこれまでから政府・総務大臣が言ってきたことを繰り返したまで、という小川氏や高市総務相、菅官房長官の反論は事実に反する説明である。
2. 「 放送法が悪法と言うなら野党は法改正を提案するべきですし、報道機関もその観点で批判してはどうでしょうか。現にある法律を執行するなと迫るのはルール違反です。」
小川氏はこう述べているが、誤解ないしは曲解である。高市発言をめぐって野党あるいはいくつかの視聴者団体や報道機関、多くのメディア関係者が指摘しているのは、「放送法は悪法だ」ということではなく、「高市氏は放送法第4条の解釈を誤っている」(放送局が自覚的に遵守すべき倫理規定を法的な義務規定かのようにみなす曲解)ということである。言い換えると、放送法4条を「執行するなと迫っている」のではなく、「放送法第4条は行政処分を発動する根拠にならない」と言っているのである。
報道機関への行政指導には反対と言いつつ、報道機関への行政指導を促す自己矛盾
3. 「民間放送局は視聴者が支持しなければスポンサーがつかず、抑制が働く建前になっています。しかし日本では企業が広告を出すに当たり、報道の内容を精査して判断する状況になっておらず、有効な監視手段が行政以外にないのが現実です。」
小川氏はこう語っている。小川氏は、日本ではと断って、広告主が報道内容を精査する状況になっていないと言う。しかし、広告主が報道内容をチェックすることを期待できないのは、広告主にその意思があるかないかにかかわらず、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」(第3条)と定めた放送法総則が民間放送にも適用されるからである。
公共的資源というべき電波の割り当てを受けた放送事業には、第三者による放送内容の検証、チェックが必要だが、問題はそれを「誰が」「どういう方法で」行うのかである。チェックをするのは政府・行政なのか、視聴者なのか、BPOなのかを区別せず、自明のように行政を監視役に見立てて、「強いパワーには抑制する仕組みを持つのが民主主義の基本原理だ」という小川氏は立憲民主主義の何たるかをわきまえず、憲法・放送法が言論の自由、放送の自主自立を謳った意義を理解できていないことになる。
また、それ以前に、総務省も含んだ政府はメディアによって、その言動・国策を監視される対象である。その政府が監視役の報道のあり方に口を挟むのは主客を転倒させた自己矛盾である。
権力の監視報道に「中立性」を要求する俗流解釈
4. 「私が代表理事を務める社団法人日本平和学研究所が昨年9月の安全保障関連法の成立直前5日間、在京6局の主要報道番組の賛否バランスをキャスターの発言などに基づき調べたところ、6局合計で賛成11%(1462秒)、反対89%(1万1452秒)と極端な偏りがありました。これでは視聴者はハト派の局とタカ派の局が主張を競い合うという多様性を期待できません。放送法に基づき、各局の番組内で多角的な論点と公平性を確保する以外ないのです。」
まず、前段の指摘について。ここで小川氏は報道番組に出演したキャスターの安保法案に関する賛否を発言時間(秒数)をもとに計測し、その偏りを問題にしている。調査方法の是非はここでは論じないとして、念のため指摘しておくと、放送法にもNHK放送ガイドラインにも番組基準にも「中立であること」と謳った条項はない。
小川氏も紹介した「多角的な論点と公正性の確保」からすると、安保関連法案には、日本の平和と安全、世界の平和に関わる重大な論点が数多く含まれていた。発進準備中の戦闘機への給油を認めるのは武力行使との一体化に当たるとの指摘が参考人として国会に出席した元法制局長官から出された。国会審議では野党から、自衛隊の内部資料にもとづいて、安全な「後方支援」というものがあり得るのかという疑問が提起された。
一昨年、安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認することは現憲法の解釈としても可能とする見解を決定した際、安倍首相は武力紛争から避難しようとする赤ん坊を抱えた母親のパネルを指し示し、憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認しなければ、こうした邦人を救出しようとする米艦船を日本は防護できないと、記者会見で訴えた。
ところが、昨年8月26日、参議院安保特別委員会で中谷防衛相は「邦人が乗っているか乗っていないか、これは絶対的なものではございません。総合的に判断するということで・・・」とあっさり答弁した。
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また、昨年7月23日、イランのナザルアハリ駐日大使が日本記者クラブで記者会見した折、安倍首相が集団的自衛権を行使できる事例としてホルムズ海峡の機雷掃海を例示したことに対し、「イランを想定しているなら、全く根拠のないこと」と述べ、イランが機雷を敷設するなどして同海峡を封鎖する可能性を否定した。その理由としてナザルアハリ大使は「イランは有数の原油輸出国。(核開発疑惑を巡る)制裁で輸出額が半減し、これから輸出を増やそうとしているのに、なぜ海峡を封鎖する必要があるのか」と強調した。
また、ナザルアハリ駐日大使はイランの核開発をめぐる主要6か国との最終合意が成立したのを受けて、中東をめぐる緊張緩和が進展したこともあって、ホルムズ海峡の機雷掃海という集団的自衛権行使の事例も信憑性がはげ落ちた。結局、安保法案は「立法事実」(立法を必要とする根拠)の欠落が次々と明らかになったのである。
そして、とどめは違憲性だった。昨年7月に「朝日新聞」が憲法学者209人を対象に行ったアンケート調査によると、回答した122人のうち104人(85.2%)が「憲法違反」と答え、15人(12.3%)が「憲法違反の可能性がある」と答えた。「憲法違反にはあたらない」と答えたのは2人だった。
また、昨年7月の時点で、全国で144の地方議会が国会や政府に対して安保法制や集団的自衛権の行使容認に「反対」の意見書を可決していた。「賛成」の意見書を可決したのは6議会、「慎重」は181議会だった。
このような法案内容、法案審議の状況の中でテレビの報道番組に出演したキャスターの多くが、法案をめぐって多岐にわたる疑問点を指摘したら、「反対」の意見表明にカウントされるのか? 事実として多くの疑問点が存在するのなら、それを指摘するのに多くの時間を費やしたとして何が問題なのか?
取材対象に多くの問題点が含まれていることを指摘するのは「多角的な論点の提示」に適ったことではないのか? そのような状況でも、「法案にはこんないい点もあります」とバランスを取る「中立」が「公平」なのか?
数万人の安保法案反対のデモと、数百人の安保法案賛成のデモをバランスよく伝えて世論が二分しているかのような印象を与えるのは「公平」な報道ではなく、「中立」の外装をこらして、政府に不都合な事実をゆがめて伝える政権援護報道であり、権力を監視するという自らの使命を投げ捨てるメディアの自殺行為である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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