テント日誌3月22日…桜は咲き始めたが/3/21米兵の性暴力事件への緊急抗議集会へ2、500人
- 2016年 3月 23日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1645日
今年も桜は咲き始めたが…
テントの対面は外務省だ。外務省にはいろいろの街宣車がやってくる。こちらは罵詈雑言の類をまき散らしているだけだが、桜はなかなかのものだ。どいうわけかそのうちに飛び切り早く咲くのがある。今年も先週から咲き始めてもう満開である。でも、例年よりかは華やかさが感じられない。どこか孤立しているような雰囲気がある。桜はどうも観る方の気持ちによってかわるのかもしれな。どうもそう見えて仕方がない。僕はいったいいつごろから桜が好きになったのだろうか。家の上の堤防が桜並木だったから子どものころからに違いないのだが、子どもも頃は少し小高い山の上からみる三色(麦に緑、菜種の黄色、蓮華の桃色)が鮮やかで強い記憶に残っているからもう少し後の方だ。大人たちが昼間から
花見をして酒を飲んでいたのをみていたのだが、いい感じはしなかった。家族で花見という習慣がなかったかもしれない。
桜にちなんだ歌では『港が見える丘』が好きでよく歌った。僕らはあの歌を失恋歌のように思っていたが、あれは出征兵士との別れの歌だという話を友人から聞いて、戦後の反戦歌かと思ったこともある。くわしく調べたわけではないので正確なことは分からないが、僕はそれでなんとなく納得してきた。桜にまつわる話は楽しいし、いくらでもできる気がする。桜のからむ歌はいろいろあって楽しいのだけれど、最近は花見時になると花見の好きだった故人を思い出すことが多い。何故かいろいろの面々が浮かんでくる。これが桜の功徳ということかもしれない。
今年も花見にでかけるだろう。テントに来ては日比谷公園などの桜を楽しみたい。これはお薦めしたい。花見にいくなら一緒にテントにとでもいうところか。でもなんか気分がもう一つのらないというか、嫌な感じというかことがつきまとう。過日、テント前に大勢のカメラマンが居てなんだろうと思ったら保釈の清原を撮るために待機していたとのことだった。何かおかしいな、と思った。清原の記事は売れるのだろうから、懲りずに報道を繰り返すのも仕方がないと思っているし、それを非難しているのではない。でもおかしいと思ったことはある。それはマスメディアの狂態とでも言うべき報道の背後で彼らは放送上で何が大事かをなくしているのではないかと思えることだ。大事というと語弊があるかもしれないが報道うえで何が大事かを見失っているのではないのか。これはマスメディアに限らず、自分にも関わることであり、これが現在という時代の特徴と言える。僕らはそのことを自覚しているほか道はないし、その自覚というか、自問だけが、それに抗い、脱する道の発見に通ずるという希望なのだと思う。
報道については少し前に「電波停止」を高市大臣が誘発して議論をよんだ。これは批判以前の論外とでもいうべき議論である。報道にとって自由であることは「公共の利益」の最大のことであり、それよりも優位にあるものはない。この自由が権力よりの自由であることは常識であり、権力が報道の判断すること自体が許されないことである。こういう発言で自主規制に動くマスメディアは危ないが、それ以上にメディアが何を大事なことかの認識や価値判断を失いつつあることと関係していることではないか、と思う。もっともここは立ち止まって考えるところでもある。マスメディアはおバカな番組でもいいから、なるべく何が大事かの認識や価値判断を求めてはならないのではないか。そうすると、賢権力にすり寄るか。通髄するかになるのではないか。だから、そういう期待はしない方がいいし、期待すると危うくなると思える。そんな自問をしているのだが、
大事なのは諸個人が権力やマスメディアから自由になって自分で認識し、価値判断をすることではないか。何が大事かを自分で考えること、それを自分で見出すことが闘いであり、そこが出発であり、時代が僕らに要求することではないのか。そこさえ明瞭ならば恐れるものは何もないのだ。
咲き始めた桜に誘われてうとうとしながら、こんな難しい夢を見た。(三上治)
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転載(沖縄から) 沖縄平和市民連絡会事務局
米兵の性暴力事件への緊急抗議集会へ2,500人怒りの結集!
昨日(3/21)の辺野古での緊急抗議集会(主催:基地の県内移設に反対する県民会議)は今日の琉球新報、沖縄タイムスに詳報されていますように、緊急な呼びかけで主催者の懸念をよそに、2,500人が参加し怒りが爆発しました。主催者は超緊急開催ゆえに仮設トイレの設置もできず、トイレ・駐車場の確保・送迎でてんやわんやでしたが、各地の島ぐるみ会議のバスと自家用車での大結集に県民の怒りの大きさを実感し、安堵(?)していました。登壇した発言者(演壇はない)の発言のトーンは米軍基地撤去!一色だったようです(記述者はトイレ送迎で聞いてない)。
私たち平和市民連絡会も大型バスを借りたものの、取り組み期間は2日しかなくて、事務局は心配しましたが、当日は事務局の手違いで4名が溢れて、自家用車で駆けつけるはめになったと溢れた一人野原さんが笑って話していました。もちろん、平和市民連絡会会員周辺も、多くに方が自家用車などで駆けつけていました。なお、今回からバスの貸し切り料金が高くなって、足が出ていますが、その分は平和市民の会計で補填することにしましたので、報告し了解をお願いします。
ところで、今回の事件に対して、米側は異例とも思える早さで対応し、在沖米軍トップのローレンス・ニコルソン四軍調整官とジョエル・エレンライク在沖米総領事が3/16に翁長知事を県庁に尋ねて「謝罪」をしています。その中で四軍調整官は「私は在沖の兵士、家族、軍属計5万人を代表してうかがった。われわれは皆さんの隣人であり、友人でもある。」と言って、「良き隣人」を連発・押し売りし、厚かましくも「5万人の兵士・・・は沖縄を第2の故郷としている・・・」(琉球新報、2016/3/17)とまで言っています。一方ではその中で被害者へのお詫びが一言もないとして総反発されています。
今回の事件で言えることは、米側が沖縄の住民感情に非常に敏感になっていると言うことです。「辺野古新基地建設」問題でも明らかなとおり、表向きでは新基地建設問題を日本の国内問題と突き放しつつ、実際は県民の闘いにやきもきして安倍政権の尻をたたいている姿が鮮明になってきています。「沖縄返還」の実相が示すように米側にとっては一番問題なのは「沖縄基地の自由使用」が問題なのです。よく言われているように「嘉手納基地」などアメリカの戦略的基地の機能に支障が起こることを一番心配していると言われています。辺野古新基地建設を阻止するためにもその当たりの米国の思惑(戦略)を見据えた闘いかたを考えるようにすべきとの声も大きくなってきています。
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3.23「新・もんじゅ訴訟」記者会見・報告集会のおしらせと
◆新・もんじゅ訴訟 3月23日(水) 第1回口頭弁論
10:30~ 前段集会
東京地裁前、最寄駅:霞ヶ関A1出口
新・もんじゅ訴訟原告団、弁護団
11:00までにいらした方を対象に一般傍聴抽選予定
13:00~14:00 記者会見・報告集会
参議院議員会館B107(地下1階) 最寄駅:永田町 1番出口
12時半頃~ロビーにて通行証配布予定
新・もんじゅ訴訟原告団より中嶌哲演さん、池島芙紀子さん、兼松秀代さん他
大津・高浜仮処分決定報告(大津仮処分弁護団・甫守一樹弁護士)
◆ 3月24日(木)13時30分~ 東電株主代表訴訟(第24回) 東京地裁103号法廷 報告会 参議院議員会館 講堂
3月26日 NO NUKES DAY つながろう福島!守ろういのち!
原発のない未来へ!3・26全国大集会 代々木公園
11時~ブースオープン 11時30分オープニングトーク・ライブ
13時 大集会 14時40分デモ出発
3月25日は5時から経産省前抗議行動(テントひろば主催)(毎週金曜日にあります。
官邸前抗議行動6時30分からもあります
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