ワイツゼッカー演説と安保法体制
- 2016年 4月 9日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
平成25年8月23日の「ちきゅう座」に「安保の悪夢と九条の悪夢」なる小文を発表している。私の和戦に関する基本的な構えはそこに出ている。しかしながら、今日議論されている安保法体系や立憲主義の諸問題に関して自信をもって熟議民主主義のプロセスで発言できる程の思想的・知的蓄積を有するわけではない。遅すぎたが勉強しようと思って、樋口陽一・小林節討論『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を買い求めた。
ここでは、そこで高く評価されている「1985年のワイツゼッカー(当時西独大統領)演説」について考えてみたい。樋口教授は語る。「安倍談話とかけ離れたもの・・・。」「あの演説の九割は、ドイツ人の戦争中の間違いをこれでもかと列挙する内容です。」「子孫を罪からは解放するけれども、責任はドイツ国民全体が背負い続けるのだ。その責任を負うべき内容が、演説の九割を占めた、ありとあらゆる汚点だということなのです。」(強調は岩田、pp.173-74)
『荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』(岩波ブックレット)を再読してみた。ナチス・ドイツが侵攻し、チトーのパルチザン戦争に苦しめられたユーゴスラヴィアは演説に全く言及されていない。中央ヨーロッパのチェコのリディツェ村で虐殺された犠牲者達――われわれは本当にその親族の気持になれるでしょうか。」(p.17)と想起されている。1942年6月のリディツェ村虐殺の20倍のセルビア人が虐殺されたクラグイェヴァツ虐殺は、汚点の例証として挙げられていない。1941年10月21日、ドイツ国防軍は、クラグイェヴァツ市民7000人を銃殺した。高校の生徒と先生が授業中に連れ出され、銃殺された話は有名だ。パルチザンが殺害したドイツ国防軍兵士1人当たり100人のセルビア市民を報復銃殺した。
ドイツ軍に占領されたユーゴスラヴィアでは、親ナチス国家のクロアチア独立国が創建された。親ナチス国家の創建者達、いわゆるウスタシは、ただちにセルビア人、ロマ人、ユダヤ人の集団虐殺を開始した。その中心地ヤセノヴァツ収容所では、20万(BBC記者ミシャ・グレニ)、あるいは70万人(セルビア人側の主張)が殺害されたと言う。これは、ドイツ人が直接手を下したわけではないので、ワイツゼッカーの視野の外である。
「これでもかと列挙する」「ありとあらゆる汚点」の中にユーゴスラヴィアにおける汚点が1985年演説でふれられていなかったと言う事実が1991年・1992年のドイツ外交、すなわち1990年の東ドイツ併合後の統一ドイツ外交から自制心を奪ってしまった。私=岩田はそう考える。ワイツゼッカー演説は人の心をうつ。私の心をもうつ。世界の心ある人々の心をうったであろう。ワイツゼッカー演説が獲得した国際的信用が統一ドイツになかりせば、非ゲルマン西欧諸国の反発をかって、1991年・1992年に対ユーゴスラヴィアのあれほど強引なドイツ外交は実行できなかったのではなかろうか。それは、ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国を解体して、歴史的伝統的にオーストリー・ハンガリー帝国の支配下にあったスロヴェニアとクロアチアを独立させたあの性急・拙速・高飛車である。連邦国家内の構成共和国を独立国家として国際承認する。そこに駐屯する連邦軍は自動的に外国軍となり、侵略軍のレッテルがはられ、国際共同体は、連邦軍を支持する別の構成共和国を侵略国であると非難できる。1991年12月のマーストリヒト欧州会議でドイツ外相ゲンシャーはECのEU発展改組を人質にとって欧州諸国の外相達にスロヴェニアとクロアチアの独立国家承認を迫った。これは後知恵だが、東西冷戦後の「平和の配当」の期待を無にした最初のきっかけは、アメリカと言うよりもドイツのこの外交にある。周知のように、元イギリス外相・元NATO事務局長のカリントン卿は、かかるドイツ外交によってクロアチア戦争がボスニア戦争に継続される悲劇を警告していた。1991年のクロアチア大統領は、第二次大戦中の親ナチスのクロアチア独立国をクロアチア民族千年の夢の実現であったと称揚する将軍・歴史家であった。その夢をかつてはヒトラーが助けて実現させ、今やゲンシャーが助けて実現させてあげたと言う訳だ。勿論、その夢自体に罪はない。問題は実現の仕方だ。
不思議なことに、かかる乱暴なドイツ外交を日本国内で当時批判していた少数の人々は、ワイツゼッカー演説に魅せられたリベラルな知識人ではなく、タカ派外交官の元ユーゴスラヴィア大使天羽民雄氏等であった。ワイツゼッカー演説の格調高さは、ドイツ外交の粗野な面から人心をそらす魔力があったのであろう。
かくして、情勢は1999年3月24日のNATOによる対セルビア大空爆に収束する。それは連日78日間に及ぶ。国連安保理の承認なき国際法違反の大空爆だ。軍事施設だけでなく、鉄橋、工場、発電所、送電網、放送局、大統領公邸等に及ぶ。ドイツ空軍もまた参戦した。それを遂行したドイツ政権は、赤緑連立政権であった。私は、ベオグラード近郊のパンチェヴォの化学工場が爆弾で破壊され、流れ出た廃液でドナウ河が汚染されたニュースにドイツのグリーンとはその実何だったのか、としばし考え込んだ。かかる違法戦争は2003年のイラク侵攻に直通する。うれしいことに、ここではドイツは踏みとどまった。ワイツゼッカー演説が生き返った。
日本社会は、ワイツゼッカー演説の如き精神性の高みを感じさせる首相談話を持たない。不幸なことである。しかしながら、幸福なことに、吾が日本は、敗戦以来70年間、他国の民族問題に介入したこともなく、他国を空爆したこともない。言葉においてはともかく、行為においてはドイツより深く戦争から学んでいる。この文脈で見れば、3月30日発効した安保法体制は、近い将来における日本民族(大和民族、アイヌ民族、琉球民族の複合民族)大悲劇の発端となる恐れがある。まさしく安保の悪夢であろう。再考せざるべからず。
平成18年4月8日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6023:160409〕
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