エジプト革命は「市民革命」か?
- 2011年 2月 1日
- 交流の広場
- エジプト革命安東次郎
エジプト革命が「市民革命」と呼ばれている(加藤哲郎氏)。チュニジアの革命が「ジャスミン革命」と名付けられ、中東でもいわゆる「民主化革命」が進行中とみなされているのかもしれない。
しかし「市民革命」なのだろうか。どの「革命」も初期には、広範な人々の一体感が見られる。しかし革命史は、そうした一体感が「幻想」であり、分裂と抗争こそが運命であることを教えているのではないか?それは、『市民』あるいは社会が「対立」を抱えているかぎり、不可避のことではないか。
じっさい動向は刻々と変化しているようだ。昨日までの報道では街頭のスローガンにイスラム色はなかったが、本日(日本時間2月1日午前)のBBCの報道(CATVによる)では、イスラム的なスローガンが叫ばれ始めているという。
この点、孫崎氏や浅川氏が言及している「イラン革命」の事例はたいへん興味深い。
「市民革命」という言葉には、西欧的な匂いがついている。じっさいCNNなどをみていると、あたかも「中東の人々が西欧的価値観に基づく社会への移行を望んでいる」かのように、話すレポータもいる。
しかし独自の文化と規範をもつ彼らが、はたして西欧的価値観を「普遍的なもの」として受け入れるだろうか?
「ジャスミン」が、そもそも「中東」に起源をもつことを想いおこすべきではないか?
首相が「第三の開国」― 一度目は黒船で、二度目は原爆で、ではないか?―などと言って、アメリカに自国の市場と経済システムを『売り』渡そうという国ばかりではない、と思うのだが。
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