書評・ウルリケ・ヘルマン『資本の世界史 資本主義はなぜ危機に陥ってばか りいるのか』
- 2016年 5月 3日
- スタディルーム
- 矢沢国光
*『資本の世界史 資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか』ウルリケ・ヘルマン著 猪股和夫(訳)太田出版2015.10
2008金融恐慌から8年たった今日でも、未だ「世界金融バブル」は収束していないのではないか?世界はあの金融バブル破綻を正しく認識してその再発を防ぐ手段を講じているのだろうか?資本主義は一体どうなるのか?
こうした疑問に答える最良の一冊を、われわれは手にしている。ドイツの新聞記者の書いた資本主義論だ。一般読者向けに書かれた本だから読みやすくわかりやすいが、通俗的な解説本ではない。本格的な資本主義論だ。
●産業革命はなぜ…?
産業革命は、なぜ17世紀の毛織物工業ではなく18世紀の綿工業で起きたのか?
なぜヨーロッパ一の大都会ロンドンではなく、イングランド北西部で起きたのか?
著者ヘルマンは「なぜ産業革命がイングランドの地で始まったのかに対する明確な答えは未だ出ていない」として産業革命の背景を探る。イギリスは農業革命による農業生産性の向上によってスペイン、フランス、ドイツ等ヨーロッパ諸国の中で(オランダと並んで)ずば抜けて豊かな生活水準を実現していた。食糧支出の比率が下がり流行の服が買える消費者層が誕生した。こうして木綿は贅沢品から大量生産品になった(コモディティ化)。また、イギリスでは貴族が企業家として活動する。自分の所有する炭鉱とマンチェスターを結ぶ運河に投資したのはブリッジウォーター公爵であった。
すごいと思うのは、ヘルマンが、世界市場と国内生産の関連でイギリス綿工業における産業革命をとらえていることである。
豊かになり賃金が上昇すると国産品の木綿はインド産木綿に対して競争力を失う。はじめは輸入関税でインド産木綿のイングランドへの流入を防いでいたが、国内だけでなく、ヨーロッパやアメリカにも国産の木綿を大量に輸出したい。それには高賃金に打ち勝つ生産性の向上が必要だ。繊維産業の産業革命はこうしてイングランドで始まった。
イギリスの世界商業が海上覇権とそれを支える海軍力と一体化していたことは、よく知られている。ヘルマンは、これを可能にしたイギリスにおける「国家と資本主義の関係」に注目する。
名誉革命で「実務手腕のあるエリート」(貴族と商人)が議会を通して財政をチェックし、司法権も握るようになった。これは国王のわがままをしばるものではあるが、じつは「国家」権力の強化であった。議会つまり国家権力を握る貴族と商人は、「ヨーロッパ永久戦争に勝つこと」が自分たちの利益になることがわかった。「世界の海を支配するものが世界市場を支配する」
●ドイツからの視点
ヘルマンは、ドイツ資本主義についての言及を忘れない。
1815年ナポレオン戦争終結後のヨーロッパ体制を決めるウィーン会議では、今から考えると奇妙なことだが、だれも石炭資源の重要性など考えなかった。
プロイセンは、(石炭のある)ラインラントとヴェストファーレンの領有で[ザクセンをオーストリアに取られて]妥協させられたのが不満だった。プロイセンは、富国強兵のため、イギリスから剽窃して産業革命したが繊維ではイギリスにかなわず、鉄道建設・機械・鉄鋼もはじめはイングランドからの輸入に依存していたが、ついで国産化に成功し、イギリスをしのぐ生産力を持つに至った。その背景には、イギリスをしのぐ工業教育があった。プロイセンには、1850年代から実業学校あった。イギリスの義務教育導入が1870年以降で、工業技術教育がドイツに追いつくのはようやく1963年。
工業生産力の劣ることが、イギリスが「金融資本主義」へ傾斜した一つの要因だ。
●資本主義論の三つの視点
「国家と資本主義の関係」は、イギリスに限らず、ヘルマンが「資本の世界史」を描く際カギとなる視点の(三つの内の)一つである。
17世紀までの都市国家―ベネチア、アムステルダムなど――は、封建国家の大海に浮かぶ資本主義の小島にすぎなかった。18世紀、国民国家が丸ごと資本主義になった。イングランドはその先駆けだ。19世紀、資本主義を支える教育、研究開発、インフラ投資、環境保全等は、すべて国家の役割である。金融は国家をもっとも必要とする。
ヘルマンの資本主義論のあと二つの視点は、「資本主義と市場はちがう」ということと、「グローバリゼーション=新しいものではない」ということである。資本主義を一国的な経済制度としてではなく「世界資本主義システム」としてとらえる視点が、本書を貫いている。
●貨幣と資本
資本主義の理解には「貨幣」と「資本」が欠かせない。
ヘルマンの貨幣理解は、マルクス経済学の貨幣理解と大筋で同じだ。米バージニア州の「タバコ貨幣」は200年も続いた。
古代のアッシリア人は、硬貨は知らなかったが複利計算して、借金の証文を支払手段につかた。信用貨幣がすでにあったのだ。
1609アムステルダム振替銀行ができて、さまざまな硬貨を受け入れ、「銀行ギルダー」に換算して預金として受け入れた。これによってヨーロッパの20以上の都市の間の決済が、アムステルダム銀行の口座間の振替決済でできるようになり、オランダはヨーロッパ最大の金融センターとして栄えた。ただし、アムステルダム銀行には、信用貸しはなく、銀行券を発行しなかった。
1694創立のイングランド銀行は、はじめは国家の戦争費用調達のために公債を発行するのが業務であったが、のちに金本位制の銀行券を発行した。ナポレオン戦争の24年間、イングランド銀行は金交換を停止して「紙幣本位制」であったが、何の支障も生じなかった。この偶然的出来事が、マネー(銀行券や口座の記帳=預金残高)の価値が何によって保障されているかを明らかにした。国家の通貨の価値を保障しているのは、金(ゴールド)ではなく、その国の国内総生産(GDP)である。
「通貨の価値は、通貨に価値があると皆が信じて受け取るから価値がある」といった毒にも薬にもならない「貨幣論」がはびこる中で、ヘルマンの貨幣論は、秀逸だ。
●世界金融危機をどう理解するか
本書の刊行は2013年9月で、2008金融恐慌の5年後である。第4部「資本の危機」は、この世界金融危機の理解に充てられる。
2008金融恐慌が「証券化」商品の乱開発によって進行したことはよく知られているが、ヘルマンは、アメリカの1979年のボルカー・ショックが転換点だという。FRB議長のボルカーは、インフレ退治に中央銀行の伝統的な金利政策ではなく、(今日米日欧の中央銀行が実施しているような)マネー供給削減で臨んだ。金利は放置した。このボルカー介入によってインフレは収まったが、金利が大きく変動し、その結果、債券市場に異変が現れた。というのは、債券が安全資産から(金利の変動に連動して債券価格が大きく変動する)リスク資産に変わった。債券は、ハイリスク・ハイリターンの投資対象になった。
金利の高騰で貯蓄銀行・貯蓄組合が破産の危機に瀕していたが、それを防ぐため、貯蓄銀行に投資の自由化を認めた。その結果、貯蓄銀行(資産総額1.2兆ドル)は投資銀行に提供され、ジョージ・ソロスが「スーパー・バブル」と名付けた金融バブルに突入した。これにより投資銀行は一夜にして、それまで閉ざされていた巨大市場、しかも株式市場をも凌駕する巨大市場を征服した。
「証券化」はこの金融バブルの中で生まれ、2000年代の住宅サブプライム住宅債務の証券化につながっていく。悪名高い「ジャンク・ボンド」をはじめ、かずかずの金融デリバティブ商品も。
●ユーロ危機に対して
ドイツ人ヘルマンの視点は、「ユーロ危機」の分析でとりわけ光彩を放つ。このような明確で断固とした主張は、読んだことがない。
ヘルマンのユーロ危機に対する結論はこうだ:ドイツのアゲンダ2010(シュレーダー政権の2003-2005年の経済政策。賃金切り下げ)はギリシャの債務超過よりはるかに危険だ。ドイツが実質賃金を切り下げれば、他の国も追随せざるをえない。そうすればユーロ全体が経済縮小し貧困になる。ユーロが割れたらそれはドイツの責任であり、最大の損害を被るのもドイツだ。なぜなら、ユーロが割れたらドイツの輸出産業は打撃を被るし、マルク高でドイツの対外資産は無に帰するから。
ヘルマンのこうした主張の根拠は、ユーロ危機についての次のような分析から来る。
一口に「ユーロ危機」と言うが、ユーロ危機には4種類ある。
ユーロ危機Ⅰは、ギリシャ、ボルトガル、スペイン等辺境国の金融危機。ユーロ共通通貨の導入で金利が下がったおかげで借入が増大し、外国に対する負債が過多になっていたが、これまでは経済成長がこのリスクを隠してきた。
ギリシャのような小国の負債はユーロ圏で支援して財政を健全化して返せるはずだ。
ユーロ危機Ⅱは、イタリアで、もともと健全だったのに、ユーロ危機で国債 利率が急騰した。これは通貨統合の設計ミスで、国債が国ごとに発行される ために起きた。この設計ミスが、危機Ⅰをユーロ圏の他の国に感染させた。
しかしドラギECB総裁が「ユーロを守るために何でもする」と演説して、ユーロ圏の流動性危機は収まった。(流動性危機は中央銀行の最後の貸し手機能で収まるのに、ドイツの経済学者だけがそのことを理解していないために 連邦憲法裁判所に訴えている。)
ユーロ危機Ⅲは、各国の競争がもたらす危機。ドイツは「アゲンダ2010」で賃金ダンピングし、これによってフランスも賃金下げへ追い込まれ、デフレスパイラルに陥る。ドイツのアゲンダ2010こそユーロ圏分断の元凶になっている。
ユーロ危機Ⅳは、経営危機(節約=緊縮策)。ユーロ圏には「17個のユーロ」があり、ギリシャ、スペイン、イタリア等弱い国からドイツへ、金融資産が移転してしまう。
ギリシャの財政危機に対してドイツは緊縮財政を要求してきた。ドイツ国内でも、ギリシャの救済のためにドイツ国民がカネを出すことには抵抗が大きい。
著者ヘルマンは、これについてどんなスタンスを取るのか?ドイツ人は、ギリシャやスペインなど危機の当事国に責任を負わせようとしているが、この独善性はどうかと思う、とヘルマンは言う。ドイツ連邦銀行も辺境国で債務危機が迫っていることを見落としていたからだ。「辺境国の財政を健全化して、その借金を返済することくらい、ユーロ圏は難なくできたはずだ」。すべての国がドイツにならって賃金を下げたらデフレスパイラルに陥る。解決策は、その反対――ドイツが思い切って給料を上げること。
ドイツは第一次世界大戦後の連合国と同じ誤りをしようとしている。当時連合国はドイツの輸出を認めなかったので、ドイツは輸出で稼いで賠償金を支払うことができず、連合国から借金し、その負債が支払えなかった。今日、ドイツはあくまで輸出大国で居続けようとするので、辺境国は輸出で稼いで借金を返済することができない。
●資本主義の限界
ヘルマンは資本主義経済における「価値」「資産」「投資」の関連について次のように述べている:「価値は資産そのものにあるのではなく、投資が生み出す利回りから生ずる」。
「価値」はマルクス経済学で言う「資本」と読める。「資本」は投資されその価値が自己増殖してはじめて資本といえる。価値(資本)の自己増殖は「成長」だ。
資本主義は成長を生むが、成長を必要ともする。しかし成長は限界に来ている。
「成長の限界」は、じつは二つある。一つは、天然資源の限界、環境汚染、過剰生産などの外部的な限界だ。
もう一つは、2008金融恐慌で目の当たりにした資本主義そのものの限界――内部的な限界――だ。資本主義は成長を必要とするが、成長そのものができなくなっている。
マネーは「投資」によってはじめて価値増殖に結びつく。だからドイツのように節約や賃金切り下げや貯蓄では成長できない。しかし、民間任せの「投資」は金融バブルの膨張と破綻の再発に向かう。どうすればよいのか。
ヘルマンが示す資本主義の「救済」策は国家の強力な介入である。
金融バブル防ぐために①金融取引税、②銀行と影の銀行の自己資本引き上げ、③デリバティブは[店頭取引を禁止し]証券取引所を通して。
エネルギー、教育、子育て等への公共投資。そのための税収は、富裕者への増税で――ヘルムート・コール首相時代に戻るだけ。賃金上げで消費増やす。
最低賃金10ユーロ/時。リースター年金(私的積み立て)を廃止して公的年金(賦課方式)を。
「資本主義は国家を必要とする」がヘルマンの持論であるが、以上のような国家による資本主義への規制や国家による「投資」は、資本主義を最終的に救うことになるのか?
国家が「資本を救う」のは、「資本の破滅的な災厄から人類を救う」と、書評子(矢沢)は読んだ。
資本主義は国家によって世界を支配する経済体制となったが、いまや国家によってその歴史的役割を終えようとしている。
(ヘルマンも、次のように書いている。「資本主義の終焉は歴史の終わりでも、人間の終わりでもない。いまは未だ認識されない新しいシステムがいつかは作られる。資本主義が1760年にイングランド北西部で起こったときにそうであったように、きっとそれもその時代の人々を驚かすだろう。」)
その「国家」もまた歴史的役割を終えることを明らかにすることが、次の課題のように思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study737:160503〕
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