旧ユーゴスラヴィアの経験と日本のアソシエーション論
- 2011年 2月 4日
- 評論・紹介・意見
- アソシエーションマルクスの「自由の国」岩田昌征
基礎経済科学研究所編『未来社会を展望する 甦るマルクス』(大月書店、2010年)の合評会に出席する機会があった。「よみがえる」という和語を使い、例えば「マルクスのルネサンス」のようなカタカナ語を用いていないところが気に入った。著者たちは新左翼の流れではなく、どちらかというといわゆる代々木の流れであるようだ。
本書の基本姿勢は、資本主義批判としてのマルクス社会主義が旧ソ連や毛沢東中国の「社会主義」失敗によって破産したとする今日的常識を、マルクス本来の未来社会論、先進国的生産力水準の基盤上にはじめて構想しうる自由労働の社会=「自由の国」(『資本論』第3巻、原書828ページ)に回帰することで、きっぱり拒否する。かくして第1章でマルクス新社会論の要石がアソシエーション概念であることを論究し、続く諸章において現実の先進資本主義経済社会の内部に自生しつつあるアソシエーションに通じる様々な経済的・社会的形態(各種協同組合、株式会社、民間非営利組織)をそれらの資本主義性を薄める方向で活用、促進、展開するとするオプティミスティックな批判的現実主義を説得する。
私、岩田は、一部の哲学者・経済学者によって試みられてきたアソシエーション論に立脚した今や焼失した既存「社会主義」からの絶縁論を何冊か読んだことがある。読後感は常に大きなデ・ジャヴュー(既視感)であった。それらアソシエーション社会主義論は、旧ユーゴスラヴィア共産主義者同盟の社会主義論、すなわち、自主管理連合労働システム論にほぼ同じなのである。アソシエーション基本論、ソ連=国家資本主義論、市場の活用、そして自主管理協定・社会協約による市場の漸次的止揚=社会計画化(国家計画化の否定)等々は、旧ユーゴスラヴィア社会主義の体制的主流思想であった。その集大成が1974年憲法であり、1976年連合労働法Low of associated Labourである。自主管理実務者・自主管理勤労者のための参照文献として、全書版520ページの『自主管理者小辞典』(1976年)やA5版1100ページ余の重厚重大な『自主管理百科事典』(1979年)等々が数多く出版されていた。
例えば、『小辞典』で「生産者のアソシエーション」の項を見てみよう。以下に要約する。
―マルクスは、自由な生産者のアソシエーションと共産主義の高次段階を同一視し、直接的生産者のアソシエーションなる用語をも用いていた。生産者のアソシエーションとは、そこでは私的所有、それに伴う個人の分業への抑圧的従属、精神労働と肉体労働の対立、労働疎外が存在せず、労働が単なる生活手段ではなく、各人の生命的欲求であり、ブルジョア社会の諸原理による市場も他の諸制御用具も存在しない、そんな社会的生活・労働の形態である。
―それは、自己の意識的で自由な意思と行為によって自分たちの全相互的関係を制御する全面的に発展した自由人の社会である。生産者のアソシエーションは、旧階級社会のすべての残存物と一歩一歩決別する社会主義建設段階で創造される自己の経済的基盤をもたねばならない。それは、所定の状態でもなく、おのずと到来する所定の理想でもなく、一歩一歩旧き階級的な者を克服するプロセスである。
―自主管理社会主義、いわゆる連合労働の段階は、そこにおいて旧社会の残存物が本質的に克服され、そして一歩一歩自由な生産者のアソシエーションに到達する諸要素が豊富に生成される不可欠の段階である。
―生産者のアソシエーションは、ユーゴスラヴィア共産主義者同盟綱領(1958年)と1974年憲法において宣言され、採択された我が国の労働者階級と諸他の勤労人民による闘争の最終目的である。
以上のように見てくると、20世紀後半にあるヨーロッパ後進国(世界的には中進国)で権力を掌握したコムニスト党が実践してきた、そして挫折した社会主義建設の論理と21世紀の初発に先進資本主義国日本で政権からはるかに遠い一部マルクス派が構想する社会主義像とに基底的共通性が顕著である。それ故に、日本のアソシエーショニストたちの思考において、旧ユーゴスラヴィアの思想的・実践的格闘が殆ど黙殺されているのは残念である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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