連休の前、5年後の被災地へ、はじめて~盛岡・石巻・女川へ(3) はじめての「日本現代詩歌文学館」 ~「塚本邦雄展」開催中
- 2016年 5月 11日
- カルチャー
- 内野光子
翌4月27日訪れた、北上市にある「日本現代詩歌文学館」(1990年~)は、数十年来、一度は訪ねてみたかったと思っていた。私にとっては今回の旅の目的の一つでもあった。盛岡からの道順はいたって簡単、東北本線50分ちょっとで北上駅で下車、車で5分のところだ。新幹線も停るが、その必要もない。前夜の夕食時、農協関係の方に、翌日の文学館行きの話をしたところ、北上は地元だけど「知らない、知らない!」といいながら、スマホで調べて「エエッー、母校だよ、私の母校の跡地ですよ。知らなかった!」と声を上げる。地元での知名度がこれほどとは、少し驚いたりもした。ラグビーで有名な黒沢尻工業が移転したのは、1980年代らしかった。辺りは、芝生の広場で、その一画には、たしかに「塚本邦雄展」の看板が見えるが、文学館前の庭園の池では、何組かの親子連れが遊んでいた。
入館後、連れ合いは、閲覧室で、東日本震災関係の詩歌集、とくに詩集や体験集などのコーナーに張り付いていた。いま執筆中の原発関係のものに関連? 私は、ともかく企画展「塚本邦雄展」に入場(300円)したが、ここも、入場者は、2・3人のグループの姿を見かけただけで、閑散としたものだった。受付で、どちらからかと問われて答えれば、「遠くからご苦労様です」とねぎらわれた。一通り回ったところで、「動画のコーナーをぜひ見て行ってください。塚本さんの肉声も聞けますよ」とおっしゃって、スクリーンの前に座らされたのには参った。「歌人朗読集成」の声と何かの受賞記念会の挨拶の映像が流れていた。早々にそこは退散、もう一度会場を回る。塚本は、私の短歌の世界とは別世界ながら、その歌稿の几帳面な筆跡には感心させられた。ワープロやパソコンを利用した形跡は展示にも年譜にも見当たらなかったが、ゼミの学生とのやり取りは「ファクシミリ」が活用されたという(森井マスミ「「塚本邦雄展」カタログ2016年3月81頁)。展示に見える、その華麗な人脈にも、やはりさもありなんと思いつつめぐった。寺山修司が、歌集の題名を塚本に選んでもらいたい旨の依頼をして、催促したりしている手紙もあって、どこか「甘えて」いるような雰囲気があって、興味深かった。私の塚本への関心は、天皇制との「距離感」にあった。
・われの戦後の伴侶の一つ陰険に内部にしづくする蝙蝠傘も(「悪」『短歌』1956年1月)
・日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも(「貝殻追放」『短歌研究』1956年6月)
・冬の河口 乏しき水が泡だちて落つる日本の外へ必死に(同上)
五十代で他界した、晩年の私の母が購読していた短歌雑誌を、ときどき取り出して読むが、塚本にこんな作品が散見できる。時代は下って、1990年紫綬褒章を、1997年勲四等旭日小綬章を受章したときに、歌壇でも、若干批判的な論評もあったが(拙著「勲章が欲しい歌人たち」『天皇の短歌は何を語るのか』御茶の水書房 2013年8月 72~75頁)、現在は、誰が受章してもでお祝いの記事しか目にしなくなった。
あれはいつのことだったか、書肆季節社の政田岑生(~1994)氏から、「塚本が、『短歌と天皇制』(風媒社 1988年10月)を読みたいと申しているので、余部があれば分けていただけないか」と代金のことまで書かれた、丁寧な手紙をもらったことがある。出版直後ではなく、しばらく経ってからのことだったと思う。出版元で品切れになった頃だろうか、私は、手元の拙著を差し上げたところ、礼状と『玲瓏』の最新のバックナンバー3冊分が送られてきた。政田氏の訃報を聞いたのは、それから1・2年してからのことだったか。読みたいと言っていたご本人からの音沙汰はもちろんなかったが、政田氏の手紙を保管しておけばよかったと今にして思う。
再び閲覧室に戻って、私のが所属している『ポトナム』、すでに終刊の『風景』の所蔵状況を調べてみた。他にも、いま私の手元にある雑誌類で、ここに寄贈して役に立つものはないだろうか、そんな思いもあった。自宅からも検索できるので、本気で考えようと思った。ただ、一巡しての感想を言えば、ここで刊行している『詩歌の森』という広報誌にしても、案内のリーフレットにしても、どこかよそよそしいのはなぜかなと思う。地元の人にどれほどアピールしているのか、あるいは、全国の詩歌愛好者にどれほど認知されているのか、もう少しリサーチした方がいいのでは、とも思ったものである。
同じ詩歌の森公園内の山口青邨旧居が移築されているので、立ち寄ってみた。昭和の一軒家のたたずまいの色濃いものだった。
この後、その日の宿泊地、石巻に向かう。15時49分発一の関行き、小牛田乗継ぎ、途中、高校生や地元の人たちの乗降が多い。ドアの開閉は、自分でボタンを押さねばならないらしい。停車時間のエアコン管理のためなのだろう。6時11分石巻着。東京・盛岡間より時間がかかったことになる。
初出:「内野光子のブログ」2016.05.10より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/05/5-15e6.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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