オバマと安倍は広島で国家の「過ち」を認めよ In Hiroshima, Obama and Abe should acknowledge their country’s wrongdoing
- 2016年 5月 17日
- 評論・紹介・意見
- ピースフィロソフィー
5月27日、オバマ大統領(以下、オバマ)が現職米国大統領として初めて、1945年8月6日米国が原子爆弾で攻撃した地、広島を訪れる。
「謝罪」をする予定はない。原爆投下の是非の議論に立ち返るつもりもない。「プラハ演説」に続くような「ヒロシマ演説」をする予定もない。被爆者に会う予定も今のところ決まっていない。
「ないないづくし」の広島来訪である。これを被爆者は侮辱と思わないだろうか。
「核兵器なき世界を」と言っただけでノーベル平和賞をもらいながら巨額の予算をかけて核兵器の現代化を進めている。
しかも、安倍首相(以下、安倍)が同行するという。核兵器は違憲ではないなどと主張し、戦争準備を着々と進める人間を同行させ、選挙に向けて日本の極右政権に花を持たせるようなタイミングで広島に来る。
安倍はオバマ訪問に便乗し自分の手柄にしたいようだが、これを機に自分自身がまだ行っていない場所に思いを馳せるべきではないだろうか。
安倍は習近平主席と南京に行き、南京大虐殺の被害者を共に追悼できるのか。韓国に行って、朴槿恵大統領とともに慰安婦「少女像」に敬意を払うことができるのか。それぞれの地で生存している被害者に対して頭を下げることができるのか。
昨年末の「慰安婦」問題「日韓合意」の際、自分はゴルフを楽しみながら外相を派遣し、被害者に会うこともなく「二度と蒸し返すな」という脅しで「最終解決」をはかった安倍。
「争う心と決別する歴史的な訪問としなければならない」なんてよくも言えたものだ。自分は中国や韓国、北朝鮮にあれだけ牙を向けておいて。
オバマも安倍の「謝罪」スタイルをロールモデルとすることだけは避けるべきだが、米国の原爆投下の過ちも認めない、被爆者にも会わない、というようなことであれば限りなく「安倍方式」に近づいていく。被害者の傷に塩を塗る行為となっていく。
オバマが核兵器の被害を真剣に学ぶのだったら行く意味はあるかもしれない。しかしそのためには、資料館に行くだけではなく被爆者と会わなければいけない。
被爆者という生身の人間がまだたくさん生きているのだから、「ヒロシマ」という地に行くだけで被爆者の前を素通りすることは許されない。
それも、米国人にとって聞き心地のいいことを言う被爆者だけではなく、オバマに会いたいと思う被爆者は全て会えるようにしてほしい。
また、広島にだけ行くということで、長崎をなかったことにさせてはいけない。広島において、広島と長崎両方に行っている意識で行動し、発言しなければいけない。長崎を二次的な扱いには絶対にせず、広島の被爆者と同じ比重で長崎の被爆者にも会うべきだ。
そして何より、全被爆者の1割をしめるといわれる朝鮮半島出身被爆者を忘れてはいけない。
日本政府も「唯一の被爆国」という表現をいい加減にやめるべきだ。これは日本を原爆の被害国として位置づける表現だ。そもそも日本は原爆の被害「国」なのか。
原爆の被害者は広島や長崎にいた市民たちである。この市民たちは他の日本の戦争の被害者と同様、日本国家が起こした戦争の中で被害を被ったのだ。
なにより、7万にも及ぶといわれる朝鮮人被爆者はまさしく日本の朝鮮植民支配が生んだものだ。
日本はこういった意味において原爆においても加害国といえる(日本の戦争全体が侵略・加害戦争であったことは言うまでもない)。
それでも安倍は「唯一の被爆国」の首脳づらをして広島に同行しようとしている。行くなら、安倍はオバマとともに「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前で頭を下げるべきである。
同時に二人は、韓国の被爆者よりもさらに無視されてきた朝鮮民主主義人民共和国の被爆者の存在も明確に認めることだ。
そうすれば、オバマ広島訪問が日本を戦争の被害国に逆転させるのではないかという周辺国の懸念に対する一つの返答となるだろう。
そしてオバマが、米国による原爆投下が間違っていたということを明確に認めるのは当然だ。
安倍も、天皇制の保持のために降伏のタイミングを遅らせ被害を広げたことを含む、皇国日本の侵略戦争全体の過ちを認める機会にしたらいい。
もちろん、原爆投下の過ちを認めることは、オバマ大統領が広島や長崎に行っても行かなくても、おこなうべきことだ。行くから認めるのではない。行っておいて過ちを明確化しないことは許されないから、言わなければいけないのだ。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから。」広島の「原爆死没者慰霊碑」の碑文は「過ち」の主体が誰なのかということで議論を呼んできた言葉だ。
オバマと安倍は自らの政府を代表してこの言葉を唱えることだ。「米国の」「日本国の」という主体を明らかにしながら。
ちなみにこれの英語版は LET ALL SOULS HERE REST IN PEACE. FOR WE SHALL NOT REPEAT THE EVIL とある。「過ち」をEVIL(「悪」)と訳しているのは非常に踏み込んだ意訳だ。
ということは、過去に広島を訪れた米国政府の要人、ペロシ下院議長、ルース大使やケネディ大使、先日のケリー国務長官は、原爆投下を「悪」と定義する碑に献花したということになる。
これはもっと注目されていいことなのではないか。
★★★
友人のTさんの知り合いのジャーナリストが広島で取材した後こう言っていたという。「なんというか、軽いんだよね。お祭りさわぎなんだよ、広島全体が。」
広島・長崎の記憶を研究するTさんは言う。「オバマも来る、オリバー・ストーンも来る、やっぱり広島は『世界のヒロシマ』なんだ、平和のシンボルなんだで終わることのないように」と。同感だ。
「歓迎」ムードの中で、このような声や動きもある。
――「何年たっても腹が立っている。謝罪してほしい」(13歳のとき広島で被爆した雛世志子さん、那覇市)(5月12日琉球新報)
――「核廃絶に向けて米国の姿勢がはっきりしない。広島での大統領のあいさつは中途半端なものになるだろう」(18歳のとき広島で被爆した与那覇浩沖縄県原爆被害者協会副理事長)(同上)
――「・・・加害国の大統領として真摯に謝罪すべきだ。謝罪のない哀悼の意は口先だけのものになる。」(沖縄県原水爆禁止協会の矢ケ崎克馬代表理事)(同上)
――「手放しの歓迎は核兵器の非人道性を踏まえて禁止を訴える市や被爆者団体の立場とは矛盾する。行動を迫る働きかけがもっと必要ではないか。」(「核兵器廃絶を目指すヒロシマのの会」森瀧春子共同代表)同会は原爆投下が間違っていたことを認め、核兵器の法的禁止の議論に加わるよう米国に要請するという。(5月13日中国新聞)
――韓国の被爆者でつくる「韓国原爆被害者協議会」はオバマ氏来訪に合わせ代表を広島に派遣。平和記念公園でオバマ氏に謝罪を求める横断幕を掲げる予定だ。(同上)
――田中利幸氏ら市民グループは「オバマ大統領への謝罪要求のアピール文」をまとめ賛同者を募っている。
★★★
私は、アメリカン大学と立命館大学の広島長崎の旅で、被爆者の通訳を10年間務めてきた。オバマの来訪に合わせ広島に行くことになった。上記で触れた友人Tさんに、「オバマ氏の訪問で不可視化されたものを可視化してくれるような、そんな発言や映像を期待しています」と言われた。自分の果たせる役割を果たしたいと思う。
@PeacePhilosophy 乗松聡子
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初出:「ピースフィロソフィー」2016.05.17より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2016/05/in-hiroshima-obama-and-abe-should.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion6098:160517〕
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