素朴な疑問
- 2016年 5月 18日
- 交流の広場
- 中野@貴州
中野@貴州です。武田さんのおっしゃるとおりに、最近は『レーニンへ帰れ』の最終チェックと学生の卒論(「AKB48とジャニーズ事務所のビジネスモデルの異同」なんてのもありました)のチェックで時間を取られました。やっと解放されたところです。
さて、最近憲法学者が「護憲・改憲」の議論をしていますが、私にとっては、これがとても奇異に感じられるのです。なぜならば、現行憲法の良し悪しは、憲法そのものからは導きだされないと思うからです。素人考えですが、「憲法学」は現行憲法を前提として成り立つ学問ではないのでしょうか。したがって、憲法学者は、憲法そのものに対する自己の価値判断をなるべく抑えるように努めるべきではないのでしょうか。
「私個人は、日本は軍隊を持ち核武装するべきだと思うが、憲法学者としての私は、現行憲法の第9条を前提として自衛隊の問題について議論しなければならない」
「私個人は、天皇制は廃止すべきだと思うが、憲法学者としての私は、現行憲法の第1条を前提として天皇のあり方を議論しなければならない」
このような態度こそ「学問的態度」と言うのではないでしょうか。もちろん、私としても、どんな社会科学でも「価値判断」を完全に排除できないのは分かっています。しかし、「なるべく価値判断を避ける」というのはどんな社会科学でも要求される共通の学問的態度だと思います。それでも、「護憲・改憲」の議論を行ないたいのなら、はっきりと「憲法学者としてではなく、個人としての見解である」ことを明記するべきでしょう。
まったくの素人の素朴な「疑問」ですが、憲法学者のみなさんの「わかりやすい」ご返答をお待ちしております。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。