昭和市民社会流産の一因――ドラマ『奇妙なり』に寄せて
- 2016年 6月 1日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
安倍源基(昭和7年・1932年、警視庁特高初代部長)の『昭和動乱の真相』(中公文庫)によれば、昭和動乱(3月事件、血盟団事件、5.15事件、神兵隊事件、2.26事件等)の「導火線ないし誘因となったのは、昭和5年春浜口内閣により調印されたロンドン条約」(p.3)、いわゆるロンドン海軍軍縮条約である(pp.36-38)。周知のように、海軍軍令部と民間の超国家主義者達は、条約調印を「統帥権干犯」であるとして激烈に反対した。それ以後「統帥権干犯」は魔語の魔力を発揮して、その創造者の生命をも奪うことになる。松本清張の『北一輝論』(ちくま文庫)は、田中惣五郎『北一輝』に依拠して、この時に「統帥権干犯」なる魔語を呪術的に呼び出した者こそ北一輝その人であるとする。
5月29日(日)、私=岩田は、新宿紀伊国屋ホールで『奇妙なり 岡本一平とかの子の数奇な航海』(作・演出=竹内一郎)を観劇した。そこに描かれていた「数奇な航海」とは、当代人気絶頂の、知らぬ人なき漫画家岡本一平、その妻岡本かの子(後に小説家)、その息子岡本太郎(後に「芸術は爆発だ」の洋画家)、妻の第2愛人恒松安夫、妻の第3愛人新田亀三の5人が貨客船「箱根丸」でロンドンに向う旅道中である。その旅の日々、ムスリム教徒の一夫多妻とは正反対の一妻多夫の愛欲・愛憎物語が展開する。
ドラマでは、印度洋をアラビア半島のアデンを次の寄港地として貨客船が航海している。私もまた、昭和39年・1964年の12月、旧ユーゴスラヴィアの貨客船で同じ所を旅していたので、ある種の臨場感をもって観ていた。と同時に、私の心は、どうしてもドラマの背景に執着してしまう。一妻多夫物語の主人公岡本一平は、朝日新聞社の特派員としてロンドン軍縮会議を取材する為に旅しているのだ。演劇評論家みなもとごろうの解説によれば、「そもそも、漫画家の一平を国際政治の取材に派遣するというところに、日々増大してゆく当時のジャーナリズムの新奇な趣向があった訳で、一平は、彼自身への関心を利用して、この五人をパックにして言わば“ザ・オカモトズ”を創作して世間に売り出したのである。」
結果として昭和動乱の口火をきってしまう超重大な国際会議は、朝日新聞社にとってこの程度の質の取材対象だった。昭和の暗殺者達の、例えば“ザ・イノウエズ”の常民的生真面目は、“ザ・オカモトズ”の市民的不真面目と双対をなしていたわけだ。生成しつつあった昭和市民社会の流産の責は、生真面目のみに求めてはなるまい。
平成28年6月1日
(編集注:“ザ・イノウエズ”は1人1刹の井上日召とそのメンバー)
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