SJJA&WSJPOの【西サハラ最新情報】163 臨時ニュース、西サハラ大統領死去
- 2016年 6月 1日
- 評論・紹介・意見
- サハラ平田伊都子西サハラ
2016年5月31日、ポリサリオ戦線事務総長で西サハラ難民大統領のアブデル・アジズ氏が、逝去されたことを西サハラ難民通信で知りました。 ビックリしました! 昨年末難民キャンプで行われた<第14回西サハラ民族大会>でお目にかかった時は、あんなにお元気だったのに、、日本の着物をさし上げたら、思いっきり広げて難民の人たちに見せびらかしてくださったのに、、
アルジェリアの病院で、肺がんのため亡くなられたそうです。 そう言えばその前に難民キャンプの大統領官邸を訪ねた時、灰皿がないのに気付いて、「ヘビースモカーではなかったのですか?」とお聞きしたら、「体に悪いので禁煙しているんだ」と、大統領がおっしゃってましたっけ、、、
(1) アルジェリアにある西サハラ難民キャンプ発:
ポリサリオ戦線中央事務局が、「ポリサリオ戦線事務総長アブデル・アジズ共和国大統領が2016年5月31日、持病のため死去」と、発表した。中央事務局は40日間の喪に服することを西サハラ人民に命じた。同時に事務局は、40日以内に特別人民会議を開催し、新事務総長と新大統領の選挙を行うことを明らかにした。
ポリサリオ戦線とは、1973年にエル・ワリが創設した西サハラ独立運動組織のことである。サハラ・アラブ民主共和国とは、1976年にそのエル・ワリが建国した西サハラ難民政府のことで、40年経った今も、アルジェリアの難民キャンプで西サハラ独立を目指して活動を続けている。
(2) 世界マスコミの反応:
2016年6月1日のBBC英国テレビは「西サハラ独立運動の指導者が長期の病で死去した」と、アブデル・アジズ大統領の死亡を大きく伝えた。
さらにBBCは、「国連は地域の将来的安全保障を目指して、解決策を模索してきた。しかし、民族自決権に基ずく国連住民投票を巡って、モロッコとポリサリオ両当事者の交渉が行き詰まっている。モロッコは西サハラを<南部地方>と称して領有権を主張しているが、アルジェリアを始めAUや多くのアフリカ諸国は、サハラ・アラブ民主共和国を正式承認している。国連事務総長が難民キャンプを訪問した時、<占領>という言葉を<モロッコ占領地・西サハラ>に対して使ったことに反発したモロッコは、84人の国連要員を追放した」と、国連に逆らうモロッコに言及している。
アルジャジーラ・テレビは電子版モロッコ・ワールド・ニュース編集長サミール・ベニスを登場させた。「アブデル・アジズが死んでも、モロッコとアルジェリアの関係は変わらない。この紛争に大きな変化をもたらすのは、長患いをしているアルジェリア大統領のほうだ。誰が次のアルジェリア大統領になるのか?それが問題だ」と。編集長は西サハラ難民キャンプを仕切っているのはアルジェリアであることを強調した。
(3) 追悼、アブデル・アジズ大統領:
アブデル・アジズは1948年に西サハラのスマラという古都で、砂漠の民・ベドウィンの子として生まれた。現在のスマラはモロッコに占領されている。「ポリサリオ戦線とサハラ・アラブ民主共和国を創設したエル・ワリは兄の同級生だった」と、アブデル・アジズは昔を語ったことがある。「エル・ワリは年下の私に、難しいアラビア語の文法を辛抱強く教えてくれた。エル・ワリは勉強もしないのに、成績がよかったんだよな!」と、創設者の優しさに想いを馳せていた。アブデル・アジズは、1978年9月の第4回ポリサリオ戦線大会でポリサリオ戦線事務総長とアラブ・サハラ民主共和国大統領に選ばれた。以来、約38年間、西サハラの独立運動を引っ張ってきた。
1973年5月20日にポリサリオ戦線を立ち上げ、1976年2月27日にサハラ・アラブ民主共和国を創設したエル・ワリは同年6月9日に戦場で惨殺されました。 悲報に呆然自失した西サハラ難民ですが、涙を払って創設者エル・ワリの遺志を継ぎました。
そして40年後、指導者アブデル・アジズ大統領が死去されました。 本当に悲しくて残念ですが、西サハラ難民とモロッコ占領地の西サハラ住民は負けません。 負けていられませんよね。 やっと、国連が西サハラ住民投票実施に向け動き出したんですから。、、
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2016年6月1日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6127:160601〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。