臭い消しの匂いは、-はみ出し駐在記(追補)
- 2016年 6月 6日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
赴任した晩からひと月ほど泊まったモーテル、Howard Johnsonでアメリカの匂いの洗礼を受けた。部屋は言うにおよばずフロントから廊下、Howard Johnsonにいる限り、どこに行っても鼻に付く匂いがあった。アメリカの豊かさの一つなのかと思いながらも、すっと受けいれられない匂いで、香りと呼ぶにはちょっと抵抗がある。匂いなのか香りなのか、人の好み次第のところもあるから、匂いと言ってしまうのを躊躇うのだが、その匂いがある理由に気が付くと、とても香りなどという気にはならない。よくて匂い、臭いと言ってもいいかもしれない。
京都の街をちょっとなかに入ると、どことなく匂ってくるお香の香りがあるが、それとは違う。もしかしたら根っこのところ、始まりのところでは似たようなものなのかもしれなと思いながらも、違う(と思っていたい)。お香には縁のない生活をしているが、それでも日本人なのだろう、お香の香りには、つい崇まってしまうような、それでいて親しみを失わない、気持ちを穏やかにしてくれるなにかがある。それは、Howard Johnsonの押しつけがましい匂いとは違う。
小説書きでもないものにとって、どんな匂いなのかを言葉で説明するのは難しい。人に説明するのに窮してきたが、何時の頃からか日本でも似たような匂いが充満しているところがいくらでもあるようになった。言葉での説明より、直にその匂いを嗅いでみれば分かる。ショッピンセンターによくある小洒落た小物を売っている店に香りを楽しむロウソクがある。このロウソクから出ている匂いが、アメリカのモーテルに充満していた匂いに似ている。
香りにしても匂いにしても、その多くが香水の発達の背景と似たり寄ったりだと思う。香水は、風呂に入る習慣のなかったか、希にしか風呂に入らなかった、入れなかった時代に、生活に余裕のある社会層の人たちが体臭を消さんがために発達したものだと聞いたことがある。体臭を消して、その上にかぐわしいかさわやかな香りのプラスアルファを求めた。香水の起こりの真偽のほどは知らないが、実体験からも聞いたことに納得している。
出張先での宿泊はよくて三ツ星、ほとんどは地場の星の数など関係のない安モーテルだった。どこに行ってもHoward Johnsonと似た匂いが充満していた。何も考えることもなく、これがアメリカの部屋の匂いだと、どこに行ってもこの匂いがあるのだと思っていた。仕事ではほとんど安モーテルですませたが、たまに四つ星のホテルの泊まることあったし、休みは、めったにとれないこともあって、バケーションでは四つ星か五つ星のホテルに泊まることが多かった。最初は気が付かなったが、ある日Howard Johnsonや安モーテルでかがされる匂いがないことに気が付いた。それ以降、気の利いたホテルに泊まる度に匂いを確認したが、どこにもあると思っていた匂いがない。なんで三ツ星までには必ずある匂いが四つ星になるとないのか?その匂いがどこからくるのか、気にはなったが、あらためて考えようとはしなかった。
仕事が終わらないで週末を出張先のモーテルで過ごすことがなんどもあった。いつもなら早朝にモーテルを出て、帰ってくるのは夕方以降だから、ハウスキーピングに会うこともないし、部屋の掃除やベッドメイキングを見ることもない。週末どこに行くわけでもないから部屋にいる。寝坊していて、しばしハウスキーピングに起される。部屋を掃除している間、外にでてぶらぶらして時間を潰すのだが、ハウスキーピングの人たちも効率を考えて、一部屋一部屋の作業ではなく、いくつもの部屋のベッドはベッド、浴室は浴室。。。作業をまとめてするから、かなりの時間を潰して部屋に戻っても、ベッドだけがまだだったり、浴室のタオル類の交換がまだったりということがある。また、表に行ってというのも面倒だしと、ドアの外で待っていた。
ハウスキーピングの仕事は日本人の感覚では、形だけの作業はしましたというだけで、部屋をきれいにしなければという意識はみえない。目につくところがきれいに見えれば、それでいいという仕事の仕方だった。どこまで神経を使ってきれいにしようとしているのかをチェックしてみたければ、ベッドの下を覗いてみることをお勧めする。安モーテルではベッドの下から、ちょっとびっくりするようなものまででてくることがある。
その程度の仕事の仕方では、前の晩に宿泊した客の体臭や持ちこんだ食べたものの臭いを消せない。消せない臭いをどうするか?手間暇かけて掃除する時間(予算)はない。安直な方法は消臭剤スプレーの使用だろう。安モーテルに充満していた臭いは、色々な種類のものがあるのだろうが、どれもこれも似たような消臭剤の臭いだった。前の客の臭いが残っていれば、次の客からクレームがくるおそれがある。そこで、これでもかという量の噴霧になる。
香水の始まりが体臭をごまかすためのものだったのだから、その延長線で部屋の臭いを消すために消臭スプレー、合理的と言えば合理的だし、何の問題があるのだと言われるかもしれない。でも、それは人間が臭いとして感知できなくしただけで、臭いの元-汚れや何やらは何も変わらずに残ったままということに他ならない。(手抜き)作業の合理性よりこっちの心配の方が合理的だと思うのは、客の視点だからということでもないと思うのだが。
ただ、よくよく考えれば、京都で漂ってくるお香の香りも、その始まりのところでは部屋なり人なりの臭いを相殺するためのものだったのだろう。お香や香水はいいけど、部屋の消臭スプレーは止してくれと言うのが、どれほど辻褄があっているのかと思えば、要は安モーテルということで、こっちの合理性にもたいした説得力がないのかもしれない。
眼鏡を外せば見えないヒューストンのゴキブリと同じで、感じ得ないものは「ない」のと同じゃないかと言われれば、それは人間の五感までの話で、清潔を軽視してもらっちゃ困ると反論したくなる。臭い消しの匂いのあるところには、五感では感知しえないごまかし(汚れ)が、たとえ可能性だったとしても、あるということに他ならないのではないか?
こんなことを思っていると、綺麗な女性の芳しい香りの裏にはなどと幸せになれないことまで考えてしまう。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6135:160606〕
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