2月4日にブリュッセルで何が起きたのか──先週の新聞から(15)
- 2011年 2月 9日
- 時代をみる
- EU首脳会議脇野町善造
普段は経済紙としての日経は読まない。しかし、どうにも気になり、2月5日の日経を読んだ。気になった理由は、2月4日にブリュッセルで行われたEU首脳会議のことを伝えたこの日の朝日新聞がエジプト問題のことにしか触れていなかったからである。この日のEU首脳会議はエジプト問題では合意を見たが、もう一つの大きな問題であった経済政策の協調策では大荒れになったと欧州の新聞は伝えていた。それを朝日は完全に無視した。それならば、経済紙たる日経はどう書いたのか。それを知りたくて読んでみた。驚いた。見出しは、「EU首脳会議 ユーロ安定策大枠合意 / 基金の使途拡大 経済政策協調へ」である。経済政策の協調は、ドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領が共同で提案したものだが、「経済政策協調へ」という表現は、EU各国の首脳がこれに同意したとしか受け止められない。本文には次のように書いてある。「欧州連合(EU)は4日、臨時首脳会議を開催、包括的なユーロ安定対策を大枠で合意した。総額4400億ユーロの欧州金融安定基金(EFSF)を拡充し、ユーロ圏17カ国が経済政策全体の協調に乗り出す。メルケル独首相とサルコジ仏大統領は経済ガバナンス(統治)の強化策を共同で提案。今後は具体化が焦点となる」。このあと、共同提案の内容が簡単に紹介されているが、この提案を巡って、会議が紛糾したことには全く触れられていない。その結果、読者はこの共同提案が大した反対もなく了承され、残るのは具体化だけだというような印象を受けてしまう。
毎日新聞はどういうわけかロンドンからこのニュースを伝えているが(経済部の特派員がブリュッセルにはいないのだろうか)、それでもこの共同提案は「各国から反発が出る可能性もある」とコメントしている。ただ「可能性がある」とするのは、えらく持って回った言い方である。
4日のGuardian(web版)は、「ユーロ圏の経済政策の協調に対するメルケルの要求は抵抗を引き起こした」として、ベルギーの首脳(実際は首相)が「我々はベルリンからのいかなる理不尽な命令(diktat)も受け容れる必要はない」と語ったことを冒頭に掲げている。彼が本当に「理不尽な命令(diktat)」という言葉を使ったとしたら、その怒りは相当なものである。提案の詳細はEl Paísが伝えている(賃金のインフレ連動の廃止、年金支給年齢の引き上げ、法人税率の統一、等々)。全体としては、政策協調と称して、結局はユーロ圏諸国の種々の経済政策をドイツのそれに合わせる色合いが強くなっている。Guardianはメルケルの提案が強い抵抗に会ったのは、課税や年金、社会保障システムに関する主権を失ってしまうことユーロ圏諸国が恐れたためだとする。そしてこの提案に消極姿勢を示した国として、オランダ、スロべニア、ベルギー、オーストリアを挙げている。
El Paísの見出しも明快である。「競争力維持のための条約(メルケルとサルコジの共同提案)は合意が得られず、3月まで延期」。これが見出しである。そして、「メルケルとサルコジはユーロ圏諸国の説得に失敗」、「様々な国と労働組合が賃金協約の廃止を拒否といった文章から記事は始まっている。El Paísはヨーロッパ労働組合連合(la Confederación Europea de Sindicatos)の書記長John Monksが、この共同提案は現下の不況の教訓を一切無視したものだとして、強く批判したことも伝えている。そして最後にEl Paísは、メルケルの提案はドイツの基本法(憲法)が保障する労働条件に関する(労使)協議における自主性というものに反するものだと皮肉っている。
ドイツの提案が強い抵抗に遭った理由の一つはドイツの姿勢にもあるようだ。これまで何よりも域内協調を優先してきたドイツの姿勢がハッキリと変化している。ユーロ圏がドイツ抜きでは立ち行かないのは事実だが、それを背景にドイツの経済政策をユーロ圏の共通経済政策として強要することは認められるものではないだろう。2月4日のブリュッセルでの会議で起きたことはそれを示している。
さてメルケルの提案(独仏の共同提案)がどう受けとめられたかは、GuardianとEl Paísの冒頭の数行を読んだだけでも分かる。日経の記事はブリュッセル発となっているから、多分、この記事を書いた記者はブリュッセルのEC首脳会議の会場にいたのであろう。しかし、その場に居ながら、どうしてGuardianとEl Paísとは全く異なる印象を残す記事を書いたのであろうか。ロンドンにいて、二次情報しか得られなかった毎日の記者さえ、「各国から反発が出る可能性もある」と懸念を伝えているのである。日経の記者は何のために現場にいたのか。「ジャーナリズムの使命は事実を伝えることとそれを解釈することだ」と繰り返し書いてきた。事実も伝えられないというのはジャーナリズム云々という以前の問題である。日本での事件ならば、記者クラブの問題があり、記者に同情する余地もあるが、ブリュッセルでの出来事であればそういう言い訳もできまい。まさかドイツ政府の新聞発表用資料を鵜呑みにして記事を書いたわけではあるまいが、日経にはそうとしか思えない過去の出来事もある(それが私が日経を読まなくなった理由である)。言えることは、こんな記事を書くくらいなら、いっそ(朝日新聞がそうしたように)何も書かないことだ。日経が「経済に関しては、自分が書かなかったことは、事件そのものがなかったことになる」と考えていたら、大きな間違いである。少なくとも誤った印象を読者に与えるよりははるかにいい。
ブリュッセルの特派員からの原稿が送られてきたと思われる2月4日の深夜には、GuardianやEl Paísといったヨーロッパの新聞のWeb版がもう更新されていたはずであある。それを日経本社のデスクが日本で読んでいれば、この特派員の記事の異質性に気付いたはずだ。日経はそれをサボったのか。それともそのことを承知の上で、特派員の記事を載せたのか。後者だとしたら、どうしてそういう判断をしたのか聞きたくなる。
この「先週の新聞から」の投稿を始めて、今回でもう15週になる。その最初の投稿で、「世界金融」は新聞を読んでいてもさっぱり分からないという趣旨のことを書いた。分からないながら、少しでも理解につながるような記事を探してきた。それでも「世界金融」は容易に分かるものではないというのが実感である。しかし、上に触れた日経の記事のような、理解を助けるのではなく、理解を捻じ曲げる、あるいは妨げるような記事に出会うと、愕然としてしまう。
現場からの経済研究という稀有な方法を貫いてきた奥村宏の方法は、「新聞を読む」ということにあったと言っていい。現実の経済との緊張関係を考えれば、新聞を読む以外に現場のことを知ることは困難である。しかし、これには「新聞は現場の真実を伝える」ということが前提されている。上の日経の記事は、この前提が確保されているのかどうかということに疑問を抱かせるものである。
2月4日のブリュッセルでの首脳会議に関しては、アメリカの新聞も詳細に伝えている。それらについても触れたかったが、紙面がなくなってしまった。お詫びしたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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