ドナウ河畔の楼蘭に九条・安保レジームを思う
- 2016年 7月 4日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
習近平中国国家主席が6月17日―19日の三日間セルビアを訪問した。
その直前、中国の大鉄鋼企業がドナウ河畔の町スメデレヴォの製鉄所を取得していた。そして小さな町の5000人の仕事が保証された。習近平は、セルビア大統領トミスラフ・ニコリチ、首相アレクサンダル・ヴゥチチと共にスメデレヴォ製鐵所を訪れ、労働者達の大歓迎を受けた。習近平夫妻が6月17日にベオグラード空港に降り立って、最初に向った先は、1999年NATO大空爆の際に米軍機が爆弾三発を中国大使館に直撃させ、三人の中国大使館員を死亡させたその跡地であった。両国の国歌が奏される中、習近平と中国人一行、セルビア首相と大臣達が白菊を捧げた。ついで、習近平とニコリチは、中国文化センター建設の起工式と孔子記念碑の除幕式をとり行った。習近平の滞在中に、中国によるドナウ河の鉄橋建設、発電所の近代化、高速道路の建設が確認された。中でも、注目すべきは、ハンガリーの首都ブダペストからセルビアの首都ベオグラードへの鉄道の高速化事業が中国のイニシャティヴで実現されることが決まった事である。習近平の滞在中に中国とセルビアの間に全部で22の声明・協定が調印された。その第一は「全包括的戦略的パートナーシップに関する両国共同声明」である。かくの如くに、中国の「一帯一路」の大方針が具体化しつつある。ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2016年6月18日)第一面の大見出しは、「セルビアは“新しいシルクロード上にあり”」であり、まるでかつての楼蘭のはるか西方における再現を夢見ているようだ。習近平は、セルビアの後にポーランドに向った。
共産党中国・資本主義中国、党社会主義を脱皮して、党資本主義に変身をとげた中国の目ざましい中東欧・バルカンへの登場である。言うまでもなく、これは突然の出来事ではない。数年前から中国外交は「中東欧16ヶ国プラス1」なる国際関係のフレームを創り上げていた。ワルシャワ、ブダペスト、ブカレスト、ベオグラード、北京(2015年)と毎年順ぐりに中国がイニシャティヴをとって、中東欧・バルカン諸国の首脳会議を開催して来た。16ヶ国とは、旧ソ連諸国のエストニア、ラトヴィア、リトアニアであり、旧ワルシャワ条約諸国のポーランド、チェコ、スロヴァキア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーであり、旧ユーゴスラヴィア諸国のボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニア、クロアチア、モンテネグロ、セルビア、スロヴェニアであり、そしてその昔中国と組んで修正主義ソ連をたたいた教条主義アルバニアである。ここに、アメリカがNATO大空爆という強行手段でセルビアから分離独立させたコソヴォが入っていない所がミソである。
中国のセルビアへの進出は、上記の政治的・経済的上層エリートの進出にとどまらない。それより以前から社会的・経済的基層の中国人大衆の大量進出があった。1990年代旧ユーゴスラヴィアに勃発した多民族戦争の悲劇と惨劇の責任をすべてセルビアに帰して、欧米市民社会・日本市民社会がセルビアを全面的に政治・経済・軍事・文化・スポーツ等の面で封鎖していた頃、そしてまたNATO空爆によって痛めつけられていた時も、中国人零細商人の群が続々とセルビアに入って来て、粗悪だが極々安価な中国製消費財、主に衣料品をベオグラードのみならず、セルビアの各地で商い出した。体制転換、戦争、経済封鎖の三重苦で極端に貧しくなったセルビア人達が90年代を生き抜けたのは、農村経済の健在と粗悪極安の中国製消費財のおかげであった、と私=岩田は考えている。そして、ベオグラードの新市街地区には小型の中華街が出現した。ベオグラードから車で30分ほどにあるパンチェヴォ市にはBubljak(=ブブリャク 虫、のみ)と呼称される巨大市場がある。そこにも中国人小商人が露店を連ね、いつの間にか大勢力となって、現地のセルビア人小商人、ルーマニア人小商人、ブルガリア人小商人、ハンガリー人小商人と張り合うようになっていた。ある時、私達買いもの客の目の前で、ルーマニア人商女と中国人商女が商売上のいさかいを始め、最初は、セルビア人等のお客にわかるように、セルビア語でやり合っていたが、興奮して来ると、ルーマニア人はルーマニア語で、中国人は中国語でおたがいを罵りだした。私達はあきれて、そこを離れた。そうこうして、セルビア全土でそこそこの人口がある町には、漢字で中華商店と看板を出している店が必ず一軒あるようになった。これは、統計でなく、私の実見的印象である。
2010年代に近づくと、中国小商人群の姿が徐々に減って来たようなので、セルビア人庶民にきいてみた。「アフリカの方がここよりもうかると、あちらに移って行ったらしい。」このような中国人基層商人の見た目と比べられて、日本人は上品な上流市民社会の紳士と見られていた。但し、私=岩田は、日本におけると同じく、セルビア人達の間でも基層的常民と見られている。
そんな所へ、中国の国家事業の「一帯一路」が堂々と押し寄せて来た。中国の下層=基層と中堅・上層の巨大な合作エネルギーは、阿片戦争以来の民族的屈辱を英仏露に対してやがてどこかではらすべく、ヨーロッパの横腹バルカンに上陸したような感じである。
私達日本人は、建前的に民族主義を自制するのではなく、ヨーロッパ人達の前で戦争にいたらない東洋人達の平和的競争のエネルギーを見せてあげても良いのではなかろうか。その為には先ず日米九条・安保体制――柄谷行人流の表現を変奏すれば、「九条・安保」の「無意識」――の軛きから脱出せねばならない。
私達東洋諸民族間の競争が好戦的にならず、平和的競生であり続ける為の保証は、西洋近代革命の宝石的果実、すなわち民族(友愛)、階級(平等)、市民(自由)の諸理念を東洋諸社会の歴史的土壌の栄養素の中で育て直し得るか否かにある。
ここでセルビア側の事情を記しておこう。セルビアは、言うまでもなく、EU加盟を希望し、その実現を2020年に期待している。それにもかかわらず、EUの共通外交政策にそぐわない事を堂々と実行する。クリミア問題に関して対露経済制裁をあえて行わない。2015年のモスクワにおける対独勝利70周年記念と北京における対日勝利70周年記念の式典とにセルビア大統領ニコリチが出席し、セルビア軍はパレードに参加している。そして、セルビア軍は、NATO軍との共同軍事演習もロシア軍との共同軍事演習も行う。但し、西と東の間で小国が分不相応なふるまいをしないで、NATOの一員となるべきだと主張する市民感覚or市民理念派政治家もいる。信じ難い話だが、彼は、「20年前にNATOに入っておれば、戦争なんか起こらなかった。」からだ、と言う。強い者にはまかれろ、という訳だろう。このような内圧――西側諸国大使の外圧と結託した――に抗して、セルビアの常民感覚派政治家達は、何故そのように外交的・軍事的自立性を発揮できるのか。経済力はとるに足らない。例えば、セルビアの対中輸出総額は、フランスが中国全土の諸ホテルに供給している清涼飲料水エヴィアンの価額より少ない。セルビアの政治家達は、セルビアの中近東と東欧、中近東と西欧の関係における地政学的・戦略的ロケーションの価値を知っているからである。そしてまた、トートロジーだがNATOのしばりの外にいるからである。私達の日本は、中米両国の間ではるかに重要な地政学的・戦略的ロケーションを占めている。しかもセルビアの百倍余もの経済力を有する。そうでありながら、小国セルビアに出来る自立的外政が展開できない。言うまでもなく、日米九条・安保体制(の無意識)に順応しているからである。
平成28年7月3日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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