ナイルの民衆蜂起:第一段階の勝利、更に困難な第二段階への突入か?
- 2011年 2月 12日
- 交流の広場
11日(現地時間)にムバラク独裁政権は百万人を超す民衆蜂起の前についに崩壊した。そして権力は一時的に軍隊の管轄下に移った。だが軍隊の司令官会議にはムバラクの腹心で、副大統領になったばかりのスレイマンの姿はなかった。米国の計算は少しずれたのだろうか?そもそもスレイマンが副大統領として、ムバラクの後継者として登場した段階で、欧米のいくつかの新聞は、彼がかつて米CIAのエージェントとして働いていたことを暴露し、彼は次期大統領職に相応しくないと指弾していた。この事実は、多分ネットの世界では常識的に流されていたのではないだろうか。また軍隊内部では広く周知の事実だったのではないだろうか。その結果として彼は軍の最高司令部会議からはずされた(彼自身は軍の参謀だったにもかかわらずだ)と考えられる。
しかし、だからといって欧米諸国がアフリカの盟主としてのエジプトを、またアラブに対する利権をそう簡単に手放すことは考え難い。次の一手はどんなことになるのか。軍隊の司令部に対して圧力をかけることが最初に考えられることだ。しかし、下手をすれば、軍隊が分裂しかねない。なぜなら、民衆の不満がこの蜂起の背景にあるからであり、軍隊もそのことを嫌でも意識せざるを得ないからだ。
よく知られているように、イスラムの教えは次の五柱から成る。つまり、信仰告白、巡礼、礼拝、断食、喜捨である。圧倒的多数の貧民(一家族の生活費が何と1週間で1ドルほどという極貧が、カイロの半数以上を占めている)は、喜捨=相互扶助に頼ってその生命を保持していた面もあったようだが、それも近年は薄れ、アラブ世界も腐ってきたといわれていた。
一方で、エジプト国内の大企業は、ほぼ全部が何らかの形でムバラクの一家(縁者も含めて)に関わりをもっていたといわれる。
このあまりにも大きくなりすぎた階層間格差が今回の民衆蜂起の要因であろう。8年ぐらい前、禁止されていた街頭デモをカイロの大学生が敢行(アフガン、イラク戦争反対のデモ)し、公式発表でも3名の学生・市民が銃で撃ち殺された(実際には20人以上とも言われている)。この時も、既にこの対立は一触即発状態であったといわれる。
今、まさに「ナイルの民衆蜂起」は一定の勝利を獲得した。しかし、困難はこれからであろう。露骨な外国からの介入が考えられるからだ。
エジプトの行方が今後のアラブ諸国に及ぼす影響の大きさが、彼らの脅威であるからだ。国際政治が大きく変わろうとしている。我々としても、この事態を我々自身に直結する問題として考え、今後のエジプト情勢、アラブの行方に注目し、戦う民衆との相互交流、連帯を真剣に考えていく必要があるのではないだろうか。(エジプト革命の成果にいささか興奮しての感想)。
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