「情報公開(『知る権利』)」をめぐる重大な裁判 沖縄密約開示・控訴審の行方に注目
- 2011年 2月 12日
- 時代をみる
- 情報公開池田龍夫沖縄密約開示・控訴審
外務省は2010年12月22日、1972年の沖縄返還交渉などに関する291冊の外交文書を公開した。今回明らかになった文書は「①琉球政府主席公選の裏工作(1968年)②沖縄返還時の米軍用地の原状回復などをめぐる密約(69~72年)③『朝鮮有事の際は、韓国の後ろ盾になる』と佐藤首相が確約(69年)④日米繊維交渉の年内決着を佐藤首相が確約(69年)⑤日本が求めた沖縄返還時の核撤去を米大統領が拒否(71年)――など多岐にわたっているが、米軍用地の原状回復補償費400万㌦を日本が肩代わりした密約をめぐるファイルの中から、3通の機密電報を焼却した痕跡を示すメモが見つかった衝撃は大きい。
「機密電報」を焼却した痕跡は明らか
問題のファイルは「沖縄関係18 沖縄返還交渉 機密漏洩事件(国会対策等)」。毎日新聞は12・22夕刊1面トップで報じたが、意図的な廃棄の疑いが濃厚なので、同紙の詳細な記述を引用して参考に供したい。
「原状回復費肩代わりに関する機密公電のコピーを毎日新聞の西山太吉記者(当時)が外務省事務官から入手し、それを基に野党が国会で疑惑を追及した時期にまとめたとみられる交渉過程の関連文書や想定問答などが綴じられている。焼却を示すメモは、日米外相レベルで返還交渉の最終合意をする71年6月9日前後に行われた愛知揆一外相とマイヤ一駐日米大使による会談録などの一覧表の脇にあった。『機密電報』のタイトルで、作成日の記載はなく「5―1」「5―2」など8つをあげ、うち3つの隣に、「焼却後5/31」と書き込まれていた。このメモ以降会談録などが続くが、数字で示された『機密電報』が何を指し、何を焼却したかは不明だ。また、ファイル内容を記した手書きの目次では、番号1の『沖縄返還交渉機密漏洩事件』が横線で消され、『文書なし』と書かれていた。他の文字と違う細い線と字で、事後的に書き込まれたとみられる。実際に、目次番号2~11の文書は綴じられているが、『沖縄返還交渉漏洩事件』は表紙だけで、文書は欠落していた。その後の94年3月に新たにタイプしで作成された目次には『沖縄返還交渉機密漏洩事件』そのものが消え、この時期までに何らかのことから欠落した可能性が高いとみられる」。
一審で敗訴した国側は、「文書不存在」と控訴
沖縄返還交渉時の「日米財政密約公文書」などの開示を求めた控訴審第2回口頭弁論が2011年1月27日、東京高裁(青柳馨裁判長)で開かれた。沖縄返還協定は1972年5月15日発効したが、69年からの日米交渉で最も難航したのが返還処理に伴う財政処理だった。米国側が支払うべき「復元補償費400万㌦」を、日本側が「肩代わりする密約」を西山太吉・元毎日新聞記者がスクープしたのが、30数年に及ぶ「日米密約」騒動の発端。その後紆余曲折の末、2000年に密約を裏づける米国外交文書が発掘され、西山氏は05年国家賠償訴訟を起こした。しかし〝司法の壁〟は厚く、最高裁は民法の除斥期間(20年)を盾に上告を棄却、「原告敗訴」となった。この判決の後、有識者やジャーナリストらが「密約3文書」開示請求訴訟を提起、09年6月から10年4月まで東京地裁の審理が行われた。杉原則彦裁判長は4月9日、「外務大臣および財務大臣は、原告が求めた『文書を不開示とする決定』を取り消し、原告らに一連の行政文書を開示せよ」と命ずる画期的な判決を下した。同年3月には、民主党政権下で設置された「密約問題・有識者委員会」が、4件のうち3件を「密約」(広義を含む)とする報告書を提出、「密約文書不存在」を強弁し続けた歴代自民党政権のウソがほぼ暴かれたと思えたが、民主党政権は一審判決を不服として控訴。――以上が、10年10月の第1回口頭弁論につづく、11年1月27日の控訴審第2回弁論に至る経過の概略である。
被控訴人訴訟代理人(清水英夫氏ら原告団弁護士30人)は、外務省が10年12月22日に公開した「沖縄返還交渉などの外交文書」291冊を精査した結果、米軍用地の原状回復補償費400万㌦を日本側が肩代わりした密約文書が欠落しているほか、関係文書廃棄や抜き取りの可能性が強まった。これらに基づいて作成した準備書面を11年1月24日に提出。国側は27日の第2回弁論で〝結審〟を要請したが、青柳裁判長は原告側の主張に対する反論を求めて、次回(5月17日)に審理は持ち越された。
第2回弁論に先立って原告弁護団は準備書面を提出した。「本件各文書の意義及び同文書の絶対的秘匿の必要性という特質を確認したうえ、現在も日本政府が本件各文書を保有していることに関し、主に外務省の調査が不十分であることについて主張する。また、文書の存否に関する立証責任に関し、憲法の視点から、控訴人国に主張立証責任が重く課されることについて主張を補足して、かつ、日本政府が密約を否定し続け、違法な文書管理を行ったという先行行為があることから、正義と公平の観点に照らし、控訴人国において、信義則上、合理的かつ十分な探索をしたとの主張をすることが制限されることを主張する。最後に、憲法の保障する知る権利に基づき、控訴人国は、アメリカ国立国会図書館が公開する財政密約文書を、本件各文書の代替として、説明及び翻訳文を付して、被控訴人らに開示しなければならないことを主張する」――と前置きし、第1から第8までの柱を立てて56㌻にも及ぶ理路整然たる文書で、「情報公開訴訟」に賭ける意気込みを感じた。
「憲法論」を軸に、国側の論理矛盾を衝いた奥平康弘氏の「陳述書」
新たな準備書面提出と同時に、奥平康弘・東大名誉教授ら原告団25人の大多数から、それぞれ「知る権利」への思いを込めた「陳述書」が提出された。「奥平陳述書」を読み、憲法学者としての視点の鋭さと精緻な分析に感銘したので、一部を引用させていただく。
▼称賛すべき第一審(杉原)判決
「本件における最大のポイントは、『不存在』を理由とする不開示決定処分を裁判所が違法かあるいは適法かのいずれを、いかなる理由によって判定するかの論点にあったのは、縷言するまでもない。原告は、合衆国国立公文書館から入手した『密約』の存在を示す3種類の米政府文書のコピーを根拠に、内容上ほとんど同一の日本政府版文書が関係行政庁に存在しているはずであって、『無いとは言わせない!不存在であるはずがない』という主張であった。被告の立場は、ただ『無い、無い』と繰り返すだけであった。……第一審判決文を何度も読み返しているうちに、地裁のアプローチは抜群のものがある、と私は感じ入るにいたったのである。東京地裁は、『原告は米公文書館で所蔵するスナイダー・吉野間でイニシャルを付して合意した文書、ジューリックと柏木とので間に各ページごとにイニシャル入りで作成された文書などを挙示し説明することによって、被告両行政府庁が〝密約〟文書が過去において保有していたことを立証しえたことになると解する』と述べたうえで、『過去に保有した文書等が〝不存在〟となっていることの主張立証責任は被告国側にある』と判事した」。
▼公文書管理法と知る権利
「『公文書は国民共有の知的財産』といった命題は公文書管理法によって誕生したものではなく、本源的には国民主権を謳い、憲法21条(公共情報の自由な流れの保障)を掲げる日本国憲法が施行されたとき要求しているものであると、考える。この考えは、『国民の知る権利』論として1970年代それなりの範囲で論議されてきた。80年代になって、地方公共団体が『情報公開条例』を制定するときには、多くの場合、その前文あるいは第1条の目的規定において『知る権利』の語句を掲記したのであった。中央政府レベルの『行政情報公開法』制定過程ではしかし、『知る権利』コンセプトへの拒絶反応が強く、法文の中に取り入れないで終った」。
「憲法前文第一文には『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その権利は国民が享受する』とある。そうだとすると、政府活動は国民のためのものであって、それに関する情報は国民に知れるように制度化されているのでなければならない。かくして、こうした憲法原則が謳われるとともに、実は、政府保有情報の市民への一般開示請求権(『国民の知る権利』)の保障は憲法の中にいわば潜在的に嵌めこまれていた、と考えられるべきなのである。現実には、しかし、憲法施行以来非常に長期にわたって、こうした権利保障の要請は人々の意識において、課題として登って来ることはなかった。
この遅れは、権利化につき憲法理論のうえで正当化の契機に欠けていたから生じたわけではない。およそ一般に、新規の『権利』が一定の社会的承認をうるに至るにはどうしても時間がかかる。既存権益に執着する権力者たちの抵抗を招き、『遅れ』を余儀なくされるのは、むしろ自然現象であると、言われそうである。(1970年前後)吉野文六、柏木雄介ら対米交渉にかかわっていた事務官らは、これらの情報処理が『知る権利』の対象たりうるなどとは夢にも思わなかっただろう。むしろ彼らは、時に全く恣意的な個人プレイも許容される行政裁量の世界で振舞いえていたのである。これら外交・財務官僚らが関わっていた対米交渉事務は徹底して対米屈辱的・従属的な内容のものであったが、沖縄の人々・日本国民たちの諸般の事情から、それぞれの交渉事項につき若泉敬流に『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』といわんばかりの境地で、対アメリカとの合意に達したのであろう。こうした背景をもとにし、わが官僚たちは交渉の流れを文章化したに違いない。その事務(製作・整理・保管・廃棄)は、マックス・ウェーバーの意味する『官僚的合理性』などかけら程もなく、ただ単に恣意と裁量とが許される状況のもとでのプラクティスなのであった。
そのようなプラクティスを政府の手によって明らさまにし、政府の手によって自らの責任(単なる行政裁量的なaccountabilityではなく、法的に意味のあるresponsibility)を問うべく、私たち原告は、情報公開法に基礎を置く情報開示請求を求める行政手続を経由した後本件訴訟を提起したのである」。
「もし本件訴訟によっていくばくかでも〝密約〟情報の解明に新しく付け加わる何かがあったとすれば、それはわれわれの負担によって遂行された訴訟活動が新たに析出しえた情報であり、さらに第一審裁判所の厳しい検索・究明行為に対応せざるをえなくなって外務省が新設した省内調査チーム・有識者委員会・欠落問題調査委員会など三種の調査グループの作成した報告書がもたらした情報である。そのすべてが『肩代わり密約』に直接関わるものと言えないが、どの情報も、日米間の力関係・利害関係の似たように独特で奇妙奇天烈であったことを知らしめるものである」。
「控訴人・行政両省は機械的に解されたものとしての公開法に基づく『不存在』の主張を固持して譲らないまま不開示処分の適法性を論じ続けるであろう。私はこれに対して、公開法を超えた『より高き法』たる『知る権利』に基づき、控訴人のなした不開示処分は原判決が命じている通りに取り消さるべきであり、さらに原判決同様にわれわれの開示請求対象とした次の行政文書が開示されるべきだと論ずる。すなわち、行政文書目録1記載の三点文書および行政文書目録2記載の二点、さらに加えて、これら文書のうち英文によるもの三点の日本語翻訳文――これである。
これら文書の少なからざる部分は、米国国立公文書館に保管されている、合衆国行政文書であって、日本国政府のそれではない。そのことを理由にして控訴人・両省は、この外国の外国語文書などという代物は、公開法2条2項本文が定める『行政文書』ではありえないとして解しているはずである。第一にしかし、これら合衆国文書は、単に合衆国政府職員が独自に合衆国のために作成したものなのではなくて、日本国政府職員との共同作業の一環として作成されたものなのであって、当該各文書は使用言語の違いがあるとしても、それぞれの国にそれぞれ正式の行政文書として作成保管されていたと合理的に考えられる。その意味では、それぞれが『一卵性双生児の片われ』というのに似てidenticalnessの強いカウンターパートであったのである」。
「第二に言い添えるべきことは、われわれは決して好きこのんで外国公文書館にある外交政府文書を取り寄せと、それら文書の開示を求めるのではない。日本政府の関係機関がこれらの文書の日本版を保有していない(『不存在』である)と言い続けて今日に至っているから、私たち原告は次善の策として、せめてアメリカ版の開示を、と要求しているに過ぎない。これは止むをえざる代替案である。この案に頼ることを余儀なくさせているのは、本来の日本版文書の『不存在』を固執する外務・財務両省にほかならない。外務・財務両省はそれぞれが抱える『欠落』文書問題を補整すべきものとして、米公文書館から自らの責任において『欠落』文書に対応するところの英語版を入手し、それぞれそのコピーを2部作成し、1部は原告に交付し、他の1部は各省史料館あるいは日本の国立公文書館に保管し、市民の閲覧の用に供されるよう配慮すべきであると思う。……米国政府の保有する当該文書を以って『代用』させる妙手を使うことで市民の情報開示請求権を肯定することを通じて『行政の内部関係(行政裁量領域)』の呪縛を解くことができるのである。私が本件において『知る権利』の名で請求するのは、決して突拍子もないことではない」。
以上、「奥平陳述書」を精読し、憲法学者ならではの主張に感銘した。憲法と情報公開法に関して実例に基づいて論じた、30㌻余の「教科書」との印象だ。ほんの一部を紹介しただけでは奥平氏の真意を伝えきれていないと思うが、原告団の一員として努力されている志を汲み取っていただければ幸いである。
情報公開の徹底を求め、「市民による沖縄調査チーム」発足
外務・財務両省の〝文書欠落〟〝文書廃棄〟は、国民への背信行為である。一審の「原告勝訴」の流れが、今後の控訴審にどう反映されるだろうか。岩盤のような国側の〝隠蔽体質〟は民主党政権になっても、変わっていないように思える。これからも国民の「権力監視」の目を強化するため、原告団は「有識者委員会、外交文書調査委員会は廃棄や抜き取りの形跡を指摘していない。両委員会の調査は不十分である」と指摘。1月20日「市民による沖縄密約調査チーム」(澤地久枝代表)を設置し、不開示文書の独自調査に乗り出した意義は大きい。
「昨年12月に外交資料館で公開された沖縄財政密約に関する文書には、機密公電を『焼却』したことを示す手書きメモが含まれている。軍用地の原状回復費用に関して『欠落』という文字が記載され、文書が存在しない部分がある。こうした事実は、密約文書が存在していた可能性を示すものであり、何らかの理由で廃棄されたということになる。証拠隠滅の疑いは否定できないだろう。財政密約の場合、国民の知らぬ間に国民の税金が米国の国益のために使われたことにほかならない。実際に米政府は密約などを通して『節約』できたと評価している。一審判決は、文書がなぜないのか、廃棄されたなら誰がどのように廃棄したのかを立証するよう求めている。問題なのは、廃棄は『必ずしも違法とは言えない』と開き直っている点だ。国は司法判断に誠実に応えていない」と指摘した琉球新報1・30社説(『密約調査チーム 証拠隠滅は許せない』)の主張は、正鵠を得たものである。
冒頭に示したように、沖縄返還に際して米国が支払うことになっていた米軍用地復元補償費400万㌦を日本側肩代わりした密約に関する3通の機密電報を焼却したことを示すメモが見つかったことに驚いたが、さらに「沖縄返還協定」に明記された3億2000万㌦のほかに米軍施設改良移転費名目で6500万㌦を日本側が負担する「密約」を裏づける日本側文書も初めて見つかったことにも衝撃を受けた。
外務省は作成後30年以上経過した文書約2万2000冊を順次公開するというが、「密約文書廃棄」の悪例を自己批判して、真に開かれた「情報公開」に臨んでもらいたい。政府に「情報公開」を求めることは、民主国家の国民の権利。今回の「密約文書開示訴訟」の目的、責務はそこにあると確信している。(了)
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