2016ドイツ便り(2)
- 2016年 7月 11日
- カルチャー
- 合澤清(ちきゅう座会員
1.久しぶりにドイツ人の友人たちと会い歓談(7月6日)
ドイツについてすぐ、彼らには連絡をした。ただ、彼らは皆働いているため、すぐに会えるというわけではなく、例年のように毎週水曜日を定例とすることにした。
彼らばかりではなく、古くから知りあっているドイツ人の友人たちと再会して、一番困るのは、彼らは僕の語学力を全く誤認していて(こちらはもともとろくなドイツ語も喋れないうえに、一年間のブランクで、いい加減に忘れてしまっている)、いきなりネイティヴなスピードで喋りはじめるのだ。ついていけるわけがない。いつも生返事でお茶を濁している。その内彼らもどうやら事の真相に気づいて、話し方がゆっくりになって来る。それでよいのである。
ところで、この日のSzültenbürger(行きつけの居酒屋)は大変に混んでいて、しかも客のおよそ半数はアジア系(日本人も何人かいたようだが)のようだった。6時半ごろ僕らが入って行くと、中にいた日本人らしき中年の男女のペアが、盛んにこちらを気にしている様子がうかがえた。但し、僕らには大勢のドイツ人の友人、知り合いがいるため、そういう人たちとの挨拶がどうしても先行する。その内、7時に会う約束をしていた友人たちがやってきた。久しぶりの挨拶を交わし、ちょっとした手土産(大抵は焼酎、御茶、カステラ)を渡す。今回は僕の老母が作った羽子板様の台紙に色柄の布を縫い込んだ飾り(牡丹の花をあしらった)を入れておいた。牡丹はドイツ語ではPfingstroseというようだ。最初の会話は専らそちらの方になった。それから、今年の夏も彼らからホームパーティの招待を受ける。2~3回はやる予定だとのこと。Petraさんの予定も聞いておかなければ(われわれの足は、彼女の車だけだから)。それから10時頃まで、四方山話に花を咲かせる。何とかついて行けたようだ。Brexitの話も出たが、今日のところはまだ小手調べというところか。徐々に彼らから話を聞き出せればよいと思う。こちらも前準備として、早速「SPIEGEL」の特集号を買った。
2.小旅行(Erfurt,Jena)
「ジャーマン・レイルパス」のフレキシブル5日間というのを買ってきたため、どうしても7月中にこれを使い切る必要がある。数年前までは、通用期間は2カ月あった。明らかに改悪されて、今では1カ月しかない。ドイツに着いた時にフランクフルトからゲッティンゲンまでに使ったきり、まだ4回分残っている。例年は、8月になって旅行をしていたのだが、やむを得ず、7月に前倒しにした。毎年必ず行っているJenaに行く途中で、これも毎年必ず立ち寄っているErfurtの喫茶店「Land Kaffee」に今年も行く。このところここの女主人ともすっかり顔なじみになっていて、「一年ぶりだね。また来年も来るんだろ」といった感じの会話をしている。ここのコーヒーは確かに美味い。大きなカップに一杯入って、1.95ユーロは安い。
ErfurtのDom
Erfurtはチューリンゲン州の州都であり、大きな美しい街だ。街中を綺麗な小川が流れている。巨大なドームが有名だが、僕はこの小川に掛った小さな橋の風情が好きだ。
この日は時間がたっぷりあったので、ErfurtからWeimarに行く。Weimarはいわずと知れたゲーテとシラーの町である。また第一次大戦によるドイツ帝国の崩壊後に作られたワイマール憲法を基としたワイマール共和国発祥の地としても有名である。しばし散策。
Jenaには去年行った時に泊まった、なかなか良い宿がある。「Hotel Zur Noll」という名前の伝統的な(1572年に建てられた建物を改装して使っている)ホテル兼レストランである。但し、今年のこの期間は、レストランの方は改装中で、ホテルのみの営業となっていた。
以前にも書いたことがあるが、このホテルからヘーゲルが住んでいた(1801~6)アパートまでは、徒歩で5分程度の近さである。近くの本屋に立ち寄り、Jenaの写真はがきを買った。本屋の主人に「このすぐ近くにヘーゲルが住んでいたアパートがあるよね」と聞いて見た。彼はきょとんとして、「ロマンチカーハウス(フィヒテやシュレーゲル兄弟が住んでいた)はあるが…」という。彼はヘーゲルの事はご存じないらしい。「いや、僕はヘーゲルを勉強しているもんで」といって別れた。3年ほど前だったか、ヘーゲルのあの晩年の恐ろしげな顔を市バスの側面に描いていたのを見たことがあった。あまりのすごさに皆が敬遠したのかも、と連れ合いと笑談した。
夜はいつも行きつけの居酒屋兼ガストハウスの「Roter Hirsch」(1509年創業)に行く。この日は、サッカーのヨーロッパ選手権の準決勝で、ドイツがフランスと試合をすることになっていたせいか、居酒屋の中は僕らの貸し切り状態。思う存分この古いドイツの木組みの家の落ち着いた情緒とドイツ料理、もちろんドイツビールを堪能した。ここでも如何にもドイツ女性といった感じのウェイトレスと顔なじみになっているため、こちらの会話にも愛相よく応じてくれる。
Roter Hirschの店内。大きな自然木の梁
Hotelに帰った後も、サッカーの試合は続いていた。部屋でしばし試合を観戦。そしてドイツチームの敗北と同時にテレビを消して、寝てしまった。
3.小旅行二日目(Leipzig,Halle)
チューリンゲン・チケットというDB(ドイツ鉄道)のサービス券がある。これはどこの地方の州にも、同様なサービス券があるのだが、チューリンゲン・チケットを使えば、ザクセン州でもザクセン・アンハルト州でも通用するということを初めて知った。
電車内で、ずんぐりした体形の年配の車掌さんに「これでライプチッヒまで行けますか」と尋ねた。なかなかユーモラスなおじさんで、「勿論だよ。これを使えば、チューリンゲンでもザクセンでも、ザクセン・アンハルトでも使えるよ。S-バーンも乗れるけど、ICEは乗れないよ」と笑いながら答えてくれた。だから予定変更して、まずライプチッヒへ行くことにした。
駅前の電車道を渡り、そのまま大通りをまっすぐ歩く。途中で有名なヨハネス教会を左手に見る。ここは、かつての東独の民主化運動の走りとして勇名をはせ、ここから最初のデモが起きた所でもある。更に歩いて、右手に路地を曲がったところで突然、ライプチッヒ大学が現れた。前に来た時には、こんな場所にあったとは覚えていなかっただけに驚いた。中庭にこの地出身の哲学者ライプニッツが本を読んでいる立像があった。
ちょうど昼時に掛っていたため、僕らもメンザ(大学食堂)でコーヒーを飲み、ゆっくりくつろぐ。その後、ヨハン・セバスチャン・バッハが首席演奏者をしていたトマス教会を見学などする。
Halle には3時頃到着。二度ほど宿泊したことのあるホテルへ行き、静かな部屋は無いかと尋ねたが、生憎既に埋まっているとのこと。仕方なく、インフォメーションを訪ねることにした。ヘンデルの立像のある大きな広場を横切り、インフォに行き、この近くの静かな宿を紹介していただけないかと聞く。親切な若い女性が、色々探してくれた挙句、大学の近くに見つけてくれて、わざわざ電話で予約をしてくれた。有り難いことだ。
確かに閑静な場所にあるホテルで、近くの老人用住宅の管理も兼ねているらしい。部屋も清潔で感じがよい。少し落ち着いてから外出。大学のすぐ側にあるレストランへ行く。ここには既に二度来たことがあり、チェコの有名なビール、Budweiser(ドイツ語ではブドヴァイザーと発音し、バトワイザーと読むアメリカのビールとは全く味が違う)が飲めるのである。このビールを飲みにHalleに来た様なもので、呑み過ぎに注意しながら、それでも5時頃から8時、9時頃までじっくりこのビールを味わった。帰ろうと思ったらGewitter(小台風並みの雷雨)に襲われ、1時間ほど長くとどまる羽目になる。目の前のハレ大学は、小さな規模の大学で、落ち着いた環境の中にある。新渡戸稲造がここで学んでいる。また数学者のカントールや哲学者のフッサールなどもここで教鞭をとっているし、面白いのはシェイクスピアの悲劇「ハムレット」の主人公ハムレットは、物語上この大学の出身となっている。
4.小旅行三日目(Nordhausen,Göttingen)
帰りも「ジャーマン・レイルパス」を使おうかと考えていたのだが、やはり週末のサービス券(Wochenende-T)を買うことにした。
途中駅のNordhausenで途中下車する。ここも何度か来ているのだが、かつてはにぎやかだった駅前の商店街がこの日は閑散としている。そこを通り抜けて、駅前の大きな坂道をまっすぐ登っていく。いつの間にか両側に新しいアパートが立っていた。おそらく、難民の受け入れ用に建てられたものであろうか?市街地のあちこちに大きな新築のアパートが立っている。そして、注意深く観察すれば、確かにこの町にはアラブ系やアジア系の人たちが多いのが分かる。そして市庁舎の前を通って道の行き止まりまで来ると、そこにあったのはアメリカナイズされた大きな新しいビルで、その中には安売りの表示を掲げたいろんな店舗が展開していた。スターバックスのカフェ、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどのショップ、そして多くの若者。東京で通常見る景色と何ら変哲なし。「ドイツよ、お前もか」と嘆きたくなる。これでは駅前商店街も閑古鳥になるのは仕方ないだろう。そして、仕事もなく余分な金もない住民、特に新しく移住した人々は、とにかく安いものを求めて、こういう場所にショッピングに出掛けて来るのであろう。ブルジョア社会の宿命であろうか、なんだか日本の地方都市の「シャッター商店街」を彷彿させる。
大量消費社会を支えてきたアメリカ方式の安売り店は、国内外に多くの下請け、外注を抱え、同一種類の粗悪品をとにかく安く作らせて販売ルートに乗せる。カネのない多くの民衆がそれを求める。結果として地元の古くからある商店がシャッターを下ろすことになる。儲けを一人占めしているのは「百円ショップ」のオーナーや「ユニクロ」のオーナーたちだけである。
世界的に(少なくとも先進国においては)、耐久消費財の需要は頭打ちになり、過剰生産が問題視されている。しかし、こういう場面では依然として安売り競争という名の「淘汰合戦」=弱肉強食の商売戦争が、依然として続いている。大手メーカーは利潤追求最優先のため、益々生産部門を縮小し、カジノ的な証券売買の世界にはまり込んでいる。社会の底辺から、有り金全部を吸い取る今一つのやり方が、この安売り商法ではないだろうか。
こんなことを考えながら帰途につく。
Göttingenには午後4時前に着いた。そのままSzültenbürgerに行く。8時10分の最終バスまで飲んでから家路に着いた。今回の旅行は天候に恵まれて、晴れていた割には涼しい陽気ばかりで、歩くのにちょうど適していた。
2016.07.10記
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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