本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(127)
- 2016年 7月 12日
- 評論・紹介・意見
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ビル・グロス氏の超新星
「債券王」と呼ばれる「ビル・グロス氏」が言及した「超新星」を調べると、実に興味深い事実が浮かび上がるとともに、「現在の世界的な金融情勢とそっくりではないか?」とも感じさせられた次第である。つまり、「超新星」とは、「ウィキペディア」によると、「大質量の恒星が、その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象」のことだそうだが、このことは、現在の「マネーの大膨張」に重なって見えるのである。
また、最後の段階では、「核融合ができなくなり、赤色巨星の重力崩壊が始まる」とも説明されているが、このことは、「核融合により、恒星が膨張を続けている間は、問題が起きないものの、いったん、核融合が止まると、発生した鉄の分解により、自らの重力に耐えきれなくなり、爆発現象が発生する」という状況でもあるようだ。そして、この事実を、現在の「マネー経済」に当てはめると、「信用創造」により、「マネーの大膨張」が継続している間は、問題が起きないものの、その後、「信用の食い潰し」が始まり、限界点に達した時に、「崩壊的な爆発現象が起こる」という状況が考えられるようである。
より具体的には、「2007年前後」に、「デリバティブ(金融派生商品)」の大膨張が終了し、その後は、いわゆる「量的緩和」により、「先進各国の中央銀行が、国債を大量に買い付ける」という手法が取られてきたのである。別の言葉では、典型的な「リフレーション(通貨膨張)政策」でもあったが、現在では、「中央銀行や民間銀行が、マイナス金利の弊害に耐えきれなくなっている状況」とも考えられるのである。
つまり、「三菱東京UFJ銀行」が、「財務省の許可を得て、プライマリーディーラーの資格を返上した」という事実は、このことを、まざまざと物語っているようにも思われるが、この結果として想定される事態は、「国債入札に問題が発生する可能性」であり、また、「国債価格の暴落」とも考えられるのである。別の言葉では、「赤色巨星の重力崩壊」とも言える事態が、世界の金融界で発生する可能性のことだが、実際に、「いったん、国債価格の暴落が始まると、世界の金融システムや通貨制度は、ほぼ瞬時に、崩壊する可能性」が存在するのである。
しかも、タイミングとしては、「6月から8月」の可能性が高まっているようだが、反対の観点からは、「ようやく異常な時代が終了し、新たな時代の始まりを告げる事件」とも考えられるようである。そのために、現時点では、やはり、「実物資産」を保有することにより、「自分の資産を、爆発現象から守る」という態度が望ましいようである。(2016.6.15)
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舛添都知事の政治資金疑惑問題
6月は、「舛添都知事の問題」で大騒ぎの状況となったが、実は、この事件も、「市場経済から共同体への移行」に関する象徴的な出来事とも考えられるのである。つまり、「市場経済」が発展する過程では、徐々に、「法治国家」が形成されるものと考えているが、この時に発生する事態が、「違法でない限り、どのような手段も取る」という「人々の態度」とも言えるのである。別の言葉では、「道義的に問題があろうとも、さまざまな知恵を駆使し、お金儲けに奔走する態度」のことだが、この結果として発生したのが、「マネーの大膨張」であり、また、「マイナス金利」でもあったようだ。
つまり、「目に見えるもの」を重視する社会においては、「唯物論」が発展し、最後の段階では、「お金」という「物質を代表する存在」が「神様」のように扱われたものと思われるが、その結果として、「人々の心」に芽生え始めたのが、「このままではいけない」という思いでもあるようだ。別の言葉では、「唯心論」という「精神面を重要視する人々」が急速に増え始めているようにも感じられるが、このことが、「共同体(コミュニティー)」の特徴とも言えるのである。
そして、今後は、「法治国家」の限界が見え始めるとともに、「徳治国家」の理念が広がっていくものと考えているが、このことは、「人々の行動を規制するものが、法律ではなく、道徳や倫理観である」ということでもあるようだ。つまり、「舛添都知事のようにはなりたくない」と考える人が増えることにより、「人々の意識と行動」が、大きく変化する可能性のことだが、基本的には、「人間関係」を重視し、「自分の人生を見つめ直す行為」が広まっていくようにも思われるのである。
また、この動きに拍車をかけるのが、「国債価格の暴落」ではないかと考えているが、実際には、「現代の神様」となった「お金」が、「実は、頼りにならないものだ」という事実を、世界中の人々が実感する状況が想定されるのである。そして、その後は、「唯物論」と「唯心論」が合体することにより、「新たな時代」が発展することを想定しているが、今回の「舛添都知事」は、この点に関する「偉大なる反面教師」とも考えられるようである。
つまり、「不適切だが、違法ではない」という言葉には、実に多くの意味が隠されているとともに、今後の世の中に関して、さまざまなヒントを与えてくれているようだが、実際には、このことが、「舛添都知事の役割」だった可能性もあるようだ。ただし、今後は、「積不善の家に余殃あり」という言葉のとおりに「子孫の苦労」も考えられるのである。(2016.6.15)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
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