親日国バングラデシュのテロになぜ日本人が巻き込まれたか - ISを挑発した安倍首相の責任を問う -
- 2016年 7月 13日
- 時代をみる
- テロ伊藤力司安倍
南アジアのイスラム国家バングラデシュの首都ダッカで、7人の日本人を含む22人がテロリストに惨殺された事件のショックはまだ冷めやらない。現地からの報道では、人質になった日本人男性が「私は日本人だ。撃たないでくれ」と英語で訴えたが、テロリストは聞き入れなかったという。その責任は基本的に安倍首相が負うべきである。
IS(イスラム国)は事件後、「バングラデシュのIS」の名で「殉教者らが十字軍諸国の市民を攻撃し、十字軍たち22人を殺害した。イスラム教徒を空爆で殺し続け限り、十字軍諸国の市民たちに安全な場所はない」との声明を出した。
十字軍とは11世紀から15世紀にかけて欧州のカトリック諸国が、イスラム教徒に支配されているパレスチナのキリスト聖墳墓の奪還を目指して「十字軍」を名乗る軍隊を組織し、
パレスチナに何度も攻め込んだ軍勢である。
7世紀にイスラム教を興したムハンマド(マホメット)は、アラブ民衆の心を捉えてウンマと呼ばれるイスラム共同体を“建国”した。ムハンマドの死後、歴代のカリフ(ムハンマドの後継者)に率いられたイスラム教は、8世紀から13世紀にかけて西はイベリア半島(スペイン)から北アフリカ、中東、中央アジア、東は南アジアから東南アジアに至る広大な地域にウンマを広げた。ウンマは、ローマ帝国や元朝より広大な領域を支配するイスラム帝国(バグダッドに本拠を置くアッバース朝)に発展した。
アッバース帝国はその後騎馬民族モンゴルの来襲を契機に滅亡に向かったが、広大な領域に住むムスリム(イスラム教徒)はその後も子々孫々、アッラーの教えを守り続けた。モンゴルの次に中央アジアから中東まで来襲したトルコ民族も、中東の地にとどまりイスラム化した。
フィリピン南部からマレーシア、インドネシア、バングラデシュ、インド、パキスタン、アフガニスタンや中央アジアにまたがるアジアから中東、北アフリカに広がる広大なイスラム圏は、ヒト・モノ・カネが移動するグローバル時代における発展途上世界である。
イラクとシリアにまたがる過激派イスラム国(IS)が、建国宣言を発した2014年6月から2年を経て、米露をはじめとする国際支援の下イラクとシリアの政府軍がISに占領された領土を奪い返している。そうした情勢下、イスラム過激派の浸透が弱いとされてきたバングラデシュで、イスラム教徒にとって最も神聖なラマダン(断食月)の終わりに、ISに通じた過激派のテロが成功したことは、ISにとってこの上ない快事であろう。
バングラデシュは1947年、英領インド帝国がインドとパキスタンの2つの共和国に分かれて独立した。イスラム教徒の多い領域がインドを挟んで西パキスタンと東パキスタンに分離しながら、ひとつの共和国を構成するという変則的な形で独立した。その後、西パキスタンが主導権を握る政治が続き、これに不満だった東パキスタンが1971年3月に独立戦争を起こした。これにパキスタンの弱体化を望むインドが東パキスタンを支援して参戦したため(第3次印パ戦争)、軍事的に優勢になった東パキスタンが同年12月26日、バングラデシュとして独立したのである。
こうして独立したバングラデシュと日本との結びつきは深い。2007年の世論調査では、バングラデシュ国民が世界で最も好きな国は『日本』だった。アニメの「ドラえもん」は国民的人気を集め、輸入車も日本車がほとんど。中国、ベトナムなどの人件費が高騰したため、ユニクロはじめ日本の衣料産業などは、人件費の安いバングラデシュへ争って進出している。この6月29日には日本の途上国支援のJICA(国際協力機構)とバングラデシュ政府との間で、総額1735億円の円借款契約が調印されたばかりだ。
このような親日国バングラデシュで、ISが日本人を「十字軍」扱いしたのはなぜか。そのカギは安倍晋三首相の言動にある。2015年1月中東を歴訪した安倍首相はエジプトで「ISと戦う周辺諸国に2億ドル程度の支援を約束する」と演説。その直後にISは、日本人ジャーナリスト後藤健二さんの「身代金」として2億ドルを要求する声明を発表した。
IS声明は冒頭で「日本の首相よ。お前は自ら進んで十字軍に参加したのだ」と宣告。続いてISの兵士が後藤さんを「処刑」する映像がネットで放映された。日本政府は後藤さん救出に何をしたのか。ほとんど無力だったのではないか。ISは日本が、米国を先頭とする対IS国際連合に加わることを広言した安倍首相の責任を問うているのだ。
日本は明治維新以来、朝鮮・中国をはじめアジア諸国への侵略を続けた苦い歴史があるが、欧米と違って中東、中央アジアへの侵略はない。欧米、特に欧州諸国に侵略され、植民地化された中東、アフリカ諸国が第2次世界大戦後に独立した後、欧州に対する反発が続いた。一方、広大なイスラム諸国では概して日本の評判は良かった。しかし安倍内閣の下にある日本は、広範なアジア・アフリカ・中東諸国から疑いの目を向けられ始めている。それがダッカ事件の重たい教訓である。安倍政権を許してはならない。
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