家族主義についての雑感
- 2016年 8月 15日
- 交流の広場
- 熊王 信之
中野@貴州様の「家族主義の根強さ」を拝見いたしまして、横から口出しで申し訳が無いのですが、少し、拙文を認めましたので御覧頂ければ幸いです。
それは、家族の愛情と、法治に関わってです。
家族の愛情の強さは、何も現中国の専売特許では無く、世の東西を問わずに普遍的に存在しているもので、現今の法治国家における法令でも、家族の愛情は、何もそれを無視している訳ではありません。
例えば、日本国の現行刑法典でも、家族間の愛情が法令違反にまで及ぶ事態を想定し、その事態は、家族であれば情において忍び難く、無理からぬことであり、その場合には、法令違反の事実の責を問わないことも出来る、とした規定も存在します。
例えば、犯人蔵匿等の罪を定めた第百三条では、「罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。」と定め、証拠隠滅等の罪を定めた第百四条では、「他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。」と定めている処です。
しかしながら、これ等の罪を犯した者が、親族である場合には、例外があるのです。 即ち、第百五条では、こうあります。 「前二条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。」と。
御論稿に、「楚人に正直者の躬なる者がいた。この男は、その父が羊を盗んだことを役人に告げた。宰相は「この男を死刑にせよ」と言った」との一節があります。
法治とは、この場合に宰相が言われた死刑の罪が、刑法典にあることを指します。
宰相の倫理観に従って、恣意的に罪の多寡が決まるのは、人治であり、近代的罪刑法定主義に反するものであるのです。
このような過去の遺物である片言隻句を有難がることこそ、現中国が未だ人治にある、と思われる事由です。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。