敗戦の日に想い起こす原爆の詩歌
- 2016年 8月 16日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年8月15日
8月15日になると私は自分が惹きつけられた詩歌を想い起す。そして、万言にも優る詩歌の力―――記憶を伝承する力―――を再認識させられる。中でも、年中行事的な神妙でお行儀のよい「平和への願い」よりも、言わず語りに戦禍のリアルを詠んだ詩歌に惹かれる。
「許させ」と掌を合わせつつ救い呼ばふ人を見過ごし夫護りてゆく
(原田君枝/主婦)
親呼びて叫びたらむか口開けしまま黒焦げし幼児の顔
(中 浄人/教員)
生きの身を火にて焼かれし幾万の恨み広島の天にさまよふ
(小森正美/商業)
濠内に妻を呼びつつ息絶ゆる鮮人の声しみて忘れず
(名柄敏子/酒類商)
原爆の責任裁判あって良し戦勝国の罪無しとは人道にあらず
(小森正美/商業)
(以上、『歌集 広島』1954年刊所収。ここでは家永三郎・小田
切秀雄・黒古一夫編集『日本の原爆記録』17、『原爆歌集・句集
広島編』(栗原貞子・吉波曽死/新編、1991年、日本図書セン
ター所収による)
炎なかくぐりぬけきて川に浮く死骸に乗つかり夜の明けを待つ
ズロースもつけず黒焦の人は女(をみな)か乳房たらして泣きわめ
き行く
武器持たぬ我等国民(くにたみ)大懺悔の心を持して深信に生きむ
(以上、正田篠枝、私家版歌集『さんげ』より)
黒焦げの女が壁にへばりつき悪獣めきし血を滴らす
総懺悔などと美辞もつ過去がありて原爆死すら言へざりき日本
小山誉美(短歌長崎)
タイヤなきリヤカー曳きて暗闇に重傷(いたで)の兄を乗せて避難
す
阿鼻叫喚 木下隆雄
(以上、2010年9月1日に訪れた長崎県立図書館に配架されていた
長崎歌人会編『原爆歌集ながさき』に収められた短歌より)
何も彼も いやになりました
原子野に屹立する巨大な平和像
それはいい それはいいけれど
そのお金で 何とかならなかったのかしら
“石の像は食えぬし腹の足しにならぬ”
さもしいといって下さいますな、
原爆後十年をぎりぎりに生きる
被災者の偽らざる心境です。
(福田須磨子『『原子野』(1958年刊の冒頭に収められた詩)
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
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〔eye3601:160816〕
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