詐欺メールとチラシ
- 2016年 8月 19日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
パソコンを使わない日はない。最近はWordを使っての作業が多いが、なにかしらのメールを受け取って、何らかのメールを送るのが日常生活の一部になっている。何か作業をしていて、気の向いたときにメールのゴミ箱をチェックすることにしていた。メールの仕訳を間違えて、たまに捨ててはおけないメールが「迷惑メール」に入っていることがある。「迷惑メール」フォルダを開いて、ざっと眺めて「迷惑メール」フォルダを空にする。
そんな、のどかなメールチェックがある日突然変わった。どこかでメールアドレスが抜けたのか、それともコンピュータシステムでランダムにアドレスを作成してショットガンのように送って、送信エラーにならなければ、そのメールアドレスが存在していると判断してのことか分からない。いずれにしても、見つけたアドレスが詐欺集団から詐欺集団に売られているのだろう。詐欺のお先棒を担いだのから、毎日あきれかえる量のメールが届くようになった。詐欺メールが一日千通近く来ると、一万通でも十万通でも送って来いという気になる。一通でも十万通でも「迷惑メール」フォルダを空にする手間は変わらない。
量にもあきれるが、内容をみると日本の将来に暗澹としてくる。いくつかの例を挙げようかとも思ったが、あまりに馬鹿馬鹿しくて、挙げるのをためらう。稚拙な内容といったら、最上級の褒め言葉になる。送ってくるのは小学生でも中学生でもないだろうが、小学生でもひっかからないバカげた内容。二十歳前のも過ぎているのもいるだろうが、生まれてこのかた、その歳になるまで、まっとうだったことが一度もないのではないかと憐憫の情すら湧いてくる。その日の食べ物にも窮しているのかもしれないが、ちゃちな詐欺のお先棒担いで、この先どうするのと、要らぬ心配までしてしまう。
両肩のまん中に乗っかっているオツム、まさか髪の毛を乗せるために付いている訳でないだろう。せっかくおっかさんが付けて生んでくれたんだから、たまには考えることにつかってもバチはあたらないと思うのだが、使うことのない生理器官の機能は退化する。若くして、もう手のほどこしようのないほど傷んでいるのかもしれない。
詐欺メールで困っている人たちも多いのだろと思って、Webで調べてみたら、詐欺メールやその仲間のサイトが出てくる出てくる。それをし易くするサービスまで整っているにはあきれた。発信元のurlを隠して、乱数表で打ち出したかのようなurlを簡単に作れるサービスで金儲けしているのまでいる。一例だが、アドレスの末尾が「.biz」となっているのは、ネット詐欺の連中がテンポラリに作ったアドレスで、中にはそれで大手企業の名前を騙(かた)った、なりすましもいる。
この類のスパムメールは、いくらでもurlを変えられるから、メーラーソフトで受信拒否を設定しても受信を防げない。
Webでちょっと見てゆくと、Webベースのちゃちな詐欺稼業が花盛りにみえる。なかには、善意の人なのか、詐欺メール対策を細かく説明しているサイトがあった。質素なつくりだが、内容はしっかりしていて、受信した詐欺メールの出所から首謀者の氏名に住所まで書いてある。そのサイトには詐欺メールの発信元やお先棒を担いでいる連中の常套句や、驚くことに定型化したメールまで、例として記載されている。
それを知ってか知らずか、一字一句違わない(標準)メールが何度も届くと、お先棒の知能のレベルを想像してしまう。識字率をはじめとする日本の初等教育は世界でも誇れるレベルだと思っていたが、そこから落ちこぼれたのが、これほどまでに多いのかと、正直日本の将来が心配になる。
詐欺集団、日本にサーバーを置いているのは、まだかわいいもので、ちょっと長けた奴らはセーシェルやバヌアツなどの発展途上国にサーバーを置いている。途上国、タックスヘブンだけかと思ったら、こんなところで犯罪に協力している。何かあっても、国境という壁のせいで日本の警察は手をだせない。その壁、ちゃちな詐欺メールの小物だけではなく、マネーロンダリングから海外援助に絡んだ汚職の摘発をほとんど不可能にしている。それを思えば、ネット詐欺の連中など蚤のようなものかもしれない。
(舛添さん、グローバルな時代に近間でちゃちなことをやってるから、騒ぎになるんで、発展途上国と日本をまたにかけるぐらいのことをしなきゃ。昭和の妖怪といわれたA級戦犯だった首相もそう言ってたでしょう。)
詐欺メールの処理をしていて妙なことに気が付いた。電子メールなら紙媒体のように物理的なゴミにはならない。マウスを二回もクリックすれば、「迷惑メール」フォルダは空になる。ところが、毎日郵便受けに入っている宣伝のチラシはマウスでクリックするようにはゆかない。
十何階建ての集団住宅の一階のロビーに全戸の郵便受けがある。本来は郵便受けのはずなのだが、投函かれているのは、ほとんどが軽印刷された広告のチラシで、チラシに郵便物が紛れている。注意しないと郵便物までチラシと一緒に捨ててしまいかねない。
集合住宅によっては、ロビーに箱が置いあって、不要な投函物をその箱に捨てることもできる。なかには、その箱にいたずらで吸殻を棄てる馬鹿がいるのを恐れて、全ての投函物をいったん自宅に持ち帰って、燃えるごみとして、指定された曜日にゴミ捨て場に持って行くことにしているところもある。
一日分の投函物(ほとんどチラシ)をわざわざ家に持ち帰るのも手間だが、チラシもちりも積もればで、一週間も溜めると、それなりの重さになる。エレベータを使ってでも、年配者のなかにはその重さに四苦八苦する人たちもでてくる。
宣伝やチラシを投函するなといいたくなるが、それを作って禄を食んでいる人もいれば、投函する地味な作業で得られる収入を生活の足しにしている人もいる。それを思おうと、郵便受けには郵便以外いれるなと、言ったところで入れるだろうが、言い切るのを躊躇う。
ものやサービスが存在することを知ってもらわなければ、引き合いにもならない。引き合いがなければ売れない。チラシを投函して、知ってもらうことから始めるのはいいが、チラシに全く興味もなにもない、おそらく九十九パーセントの人にしてみれば、投函されたとたんにチラシはゴミになる。ゴミを人様の郵便受けの入れてまわるビジネス。チラシを使った広告宣伝業(務)は、ほとんどゴミ製造配給業ということになりはしないか?資源の浪費という視点でみれば、それはもう犯罪に近いかもしれない。
チラシのゴミ処理を思えば、ネット詐欺集団からくるだらしのないメールなど、マウスのクリック二回で済む。たいしたもんじゃない。詐欺メール、出す方も簡単なら捨てる方も簡単。チラシは作るのも配るのも、捨てるのも大変。なくなりゃしないだろうが、ゴミを処理する人たちの迷惑など考えたことあるのかと訊きたくなる。まさか詐欺メールの連中と似たような知的レベルとも思わないのだが。
住んでいるところで違いがあるだろうが、チラシで多いのは不動産業に学習塾、それに続いて宅配の食品やあれやこれやの勧誘。毎日のようにゴミを頂戴していると、詐欺メールの連中と同じように付き合いたくない人たちにみえてくる。
<チラシ受け>
財布に入っているのは、お金よりカードの方が多いから、財布と呼ばずに「カード入れ」とで呼んだ方がいいと思うことがある。これと同じで、「郵便受け」は「チラシ受け」とで呼んだ方が実情に合っている。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6224:160819〕
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