国民が「天皇を思いやる」という滑稽
- 2016年 8月 22日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
昨日(8月20日)の「毎日」朝刊に、天皇の生前退位をめぐる70歳男性の投書が掲載された。続いて、今日(8月21日)は、「天皇陛下の『お気持ち』に感銘」(76歳男性)、「生前退位実現へ法律改正を」(89歳女性)と続いている。あるいは、毎日は本日の76歳男性の投書の中の「陛下が日ごろから日本国憲法を大切に思われ、守っておられる姿勢に心打たれます」に着目したのかも知れないが、いずれも天皇発言を憲法上問題とする観点や、天皇制批判の視点はつゆほどもない。
「産経」ではない、「毎日」にしてこうである。ここで黙って見過ごしていると、大きな潮流ができあがり、これにに呑み込まれかねないというやや切羽詰まった気分になる。
8月20日無職男性70歳(千葉県市原市)の投書全文を紹介して、説得は無理なことだろうが、せめて私の思いを対置して述べてみたい。
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「天皇陛下のお気持ちを聞いて」 (無職男性70歳 千葉県市原市)
天皇陛下が、現在のお気持ちを述べられました。
「全身全霊」をもって象徴としての天皇の務めを果たしてきた、というお言葉に、頭が下がる思いがしました。私たち国民は、象徴としての天皇陛下がおられることが、当たり前で、何も疑問を感じないで今日まで来たように思います。
国民は天皇、皇后両陛下に励まされ、生きる希望や喜びを感じてきました。これも「全身全霊」、陛下の無私のお心によってなされた行いであり、感謝しております。
国民は、今まで、国民の象徴である陛下のことを、どれほど、思いやることができたのでありましょうか。陛下のお気持ちをお伺いするまでは全く無関心であったように思います。
「人間天皇」として老病死は避けられない現実であります。陛下のお気持ちは、よく理解できました。このお気持ちに応え、政府は、早く対応を検討し、元気なうちに皇位を、継承できるようにしていただきたいと思います。
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投書を拝読いたしました。文面からは、温厚なお人柄とお見受けいたします。
しかし、ご趣旨に賛同いたしかねます。むしろ、あなたと同じ世代に属する者の一人として、その内容に少なからぬ驚きを禁じ得ません。衝撃を受けたと言っても誇張ではありません。ご意見が70年以前のものであればともかく、今の世にこのようなご意見が新聞に掲載されることへの衝撃です。この70年で、日本の国民の心根はほとんど変わっていないのだろうか、と考え込まざるをえません。
戦前、子どもはともかく、多くの大人たちはホンネとタテマエを使い分けて生きていました。新聞や雑誌をつくる人、議会の演説や学校で講話をする人たちは、天皇を尊崇しなければならないと説きながらも、ホンネのところではバカバカしいと醒めていたはずです。敗戦間近になればなるほどホンネを語ることがはばかられた窮屈な時代でした。そんな時代と縁を切ってもう70年。奇妙な時代の呪縛から脱するに十分な年月が経過した。そう思っていた私が甘かったようです。
投書の文中に、「国民は天皇、皇后両陛下に励まされ、生きる希望や喜びを感じてきました。」とあります。天皇や皇后の励ましが生きる希望や喜びとおっしゃるあなたの言葉は私には到底信じがたいものです。もし、これがあなたの本心から出たものだとすれば、それはまさしく信仰の世界の言葉です。天皇・皇后は、いくつかの「神」や「教祖」に置き換えて読むことができます。
「古代エジプトの民は、太陽神ラーに励まされ、生きる希望や喜びを感じてきた。」「イスラエルの民は、エホバに励まされ、生きる希望や喜びを感じてきました。」「イスラム教徒はアラーの神に励まされ、生きる希望や喜びを感じている。」「キリスト教徒は、天なる神とその子イエスに励まされ、生きる希望や喜びを感じている。」「オウムの信者は、尊師に励まされ、他にない生きる希望や喜びを感じてきた。」「我が国民は、敬愛する将軍様に励まされ、生きる希望や喜びを感じてきた。」…
信仰にもよく似た、あなたの心の持ち方はもとより自由です。しかし、私は、あなたが天皇や皇室を「敬愛」するというその気持ちが、為政者の思惑やこれに迎合するマスメディアに操作された結果としてのものではないかと危惧せざるをえません。国家や王室を敬愛する心情は、けっして自然には育ちません。戦前は、国家が意識的に学校教育において、天皇は神であり臣民を大御宝あるいは赤子として愛する慈父にも等しい敬愛すべき御方と教え込みました。富国強兵の国家をつくるため、天皇を中心に国民一億を一心とするためにそれが好都合だったからです。
70年前に、臣民はそんな迷妄から解き放されて、主権者になりました。しかし、いまなお、国民を支配するための道具として象徴天皇の利用に便益を感じている勢力が存在するのです。あなたのような、人柄優しい方は、利用しやすいとねらわれているのではないでしょうか。
「全身全霊」をもって自分の努めを果たし、そのことで社会に寄与してきた人は天皇に限らず無数にいます。障がいを持ち、貧苦の中で、あるいは逆境に耐えてきた方に対してではなく、衣食住に苦労せず、国民の税金で生計を立ててきた天皇に、特に頭が下がる思いというのは、どうしても私には解せないことです。
天皇家の私的な家計収入に当たる内廷費は今年度3億2,400万円です。天皇が天皇としての勤めを果たすための宮廷費は、55億4,558万円。宮内庁の運営のために必要な費用は、まったく別で109億3,979万円。そのほかに、皇族(4宮家)の生計維持のための皇族費が、2億2,997万円となっています。
天皇家の財政事情については、「天皇家の財布」(森暢平・新潮新書)があります。また、最新の予算額は、下記宮内庁のホームページをご覧ください。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/yosan.html
内廷費や皇族費は、一切税金がかからない純粋な「手取り」です。もちろん住居も保障されていますから、天皇家も皇族も結構なご身分なのです。こんなに恵まれた天皇が、税金を負担している側の国民から、「どれほど思いやることができたのでありましょうか」と思いやりの声をかけられることは、滑稽ではありませんか。
世間には、万世一系続いてきた天皇家だけは特別という考え方も根強いようです。しかし、この世に生きとし生けるものすべてが祖先からの連綿たる血のつながりなしには、この世に存在しえません。オケラだって、ミミズだって、悉皆万世一系ならざるはなし、ではありませんか。
人間はみな平等。これは文明社会の公理です。誰の命も平等に大切。誰の人生も平等に価値あるものです。生まれながらの貴賤はありません。貴を認めるから賎なる観念も生じます。価値のない人生はない。まったくおなじように、家柄だの血筋だのの尊さもありえません。
「象徴としての天皇陛下がおられることが、当たり前で、何も疑問を感じないで今日まで来たように思います。」
それでよろしいのではありませんか。敗戦によっても天皇制が断絶せずに永らえたのは、日本を共産主義勢力からの防波堤とするためのGHQの思惑でした。「GHQに押しつけられた象徴天皇制」といってよいと思います。押しつけられたものにせよ、現行憲法にその存在の規定がある以上、存在自体は「当たり前」で、しかも普段は「その存在や天皇の言動に特に関心も疑問を感じない」というありかたこそが、憲法の想定するところだと思います。
最後に申し上げますが、天皇制とは、取り扱いに注意を要する危険なものです。その危険のみなもとは、天皇が政治的に使える道具であることにあります。国民が、天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほど、天皇はマインドコントロールの道具としての危険を増すことになります。あなたにとっては不本意でしょうが、あなたの投書も、そのような象徴天皇の危険性を増大することに寄与しているのだと、私は思います。
(2016年8月21日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.08.21より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔eye3609:160822〕
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