「天皇制国家の支配原理」から映画(The Student Prince)まで
- 2016年 8月 22日
- 交流の広場
- 熊王 信之
「天皇は道徳的価値の実体でありながら、第一義的に絶対権力者でないことからして、倫理的意思の具体的命令を行いえない相対的絶対者となり、したがって臣民一般はすべて、解釈操作によって自らの恣意を絶対化して、これ又相対的絶対者となる。ここでは、絶対者の相対化は相対的絶対者の普遍化である。かくして天皇制絶対主義は権力絶対主義を貫徹しないことによって、恣意と絶対的行動様式を体制の隅々にまで浸透させ、したがってあまりにパラドクシカルにも無類の鞏固な絶対主義体系を形成したのである。」
以上は、藤田省三著「天皇制国家の支配原理」の一節です。 この著書、一体、何度眼を晒したことか。 赤鉛筆の傍線が沢山引かれ、箱は、黄色に変色した書籍。
大日本帝国憲法に定める国家元首としての天皇制は、当時の憲法学者美濃部達吉博士の学説が、事実上の定説として在った処ですが、上杉慎吉等の極右からの政治的攻撃を受けて排撃されるに至り、法学の一学説まで異端とされるに至ります。
その結末は、東京帝国大学の憲法学の講義が、担当教授が柏手を打って祝詞を唱えた後に恭しく始まり、多くは神学の内容、即ち、天照大神が天岩戸に隠れた神事までを憲法学として講義されたそうです。
私は、一応、専門でしたので神田の古本屋で当時の憲法学の書籍を蜜柑箱一杯にまで買いこみ、読んだのですが、法学的に理解出来得たのは、佐々木惣吉博士と美濃部達吉博士の著書のみで、他は、殆ど理解不能でした。
これでは、いくら当時でも、行政府の官僚は、困ったでしょう。 法律的に意味が無いものを行政実務としては、法律的に意義あるものとしなければならない、一種の珍事です。 官僚が全て神主になったのでしょうか。
其処へ行くと、澤藤統一郎弁護士にとっては、甚だ遺憾な事態であるにも拘わらず、今上天皇陛下が、主権者たる国民へ、御自身の御気持ちを伝え、自身の退位を願われた事情を知り得た国民が、その事情に理解を示し、人間天皇に相対することは、現憲法に定める象徴天皇制が、旧憲法下絶対主義的天皇制より脱皮し得たものと観ることが出来、憲法に定める民主主義がこの国に馴染んだものと理解出来得ることに為るのではないでしょうか。
それまでには、人間天皇の意識的努力があったであろうことは、天皇陛下の御顔の皺、一筋、一筋が物語っているように思えます。
さて、閑話休題で、此処で映画の話です。
前世紀の末、1997年の英国BBC製作に為るテレビ放映されたThe Student Prince (学生皇太子)と云う映画です。
英国皇太子がケンブリッジ大学で学ぶ、と云うもので、当の皇太子と護衛の警官が、織りなす学園物ですが、米国の女学生を巡る恋愛騒動もあり、皇太子が皇位に懐疑的である反面では、護衛の警官が、皇太子に随行した英文学の講義中に指導教授にその文学的才能を見出されると言う副産物まであり、結末は、護衛の警官が米国の女学生と結ばれ、文学の教授に為り、皇太子は、と云えば、何と、活動的な女学生と結ばれて王室廃止運動活動家に為る、と言った、破天荒な物語でありました。
今でも思います。 英国って凄いな、って。 こんな映画を作れるのだ、って。 民主主義、って良いな、と。
澤藤統一郎弁護士にも、この映画を観て貰いたいです。 日本でも、このような映画を作れるようになれば、御説に言われる処も一般には理解願えるようになることでしょう。 民主主義が更に発展すれば、です。
さて、また日本に戻りますと、天皇陛下も皇后陛下も、私にとっては、昭和の時代のテニスコートの御姿が浮かび、自分の若かりし頃を思い出し、とても好ましい印象が有り、憧れの対象です。 日本国憲法に定める処の象徴天皇制の礎を固める努めを果たされて来られた御努力には、率直に感謝しなければならないと思われます。
で、もう一度、英国に眼を転じれば、王室が在っても良い、とも、私は思います。 あんな女王陛下なら素晴らしい、とも。
James Bond and The Queen London 2012 Performance https://www.youtube.com/watch?v=1AS-dCdYZbo
日本でも皇室典範を改正して女性天皇を認めなければならないでしょう。 男女同権の日本国憲法の下で、女性天皇を認めない皇室典範は、憲法違反です。 まず其処から、民主主義に基づいて正しましょう。 退位制度は、当然として、皇室典範の改正で制度化すべきです。
天皇陛下には、国民がついているのです。 御意思を無碍には出来得ません。 安倍政権も心されるべきでしょう。
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