日の丸とエジプト国旗 ―「朝まで生テレビ」と「タハリール広場」の生中継―
- 2011年 2月 18日
- 評論・紹介・意見
- 「日の丸」と戦争エジプト国旗と民衆解放闘争半澤健市
《東京高裁判決を論じた朝ナマ》
2011年2月5日(土)の「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)のタイトルは「激論!日本は本当にダメな国家なのか?!」であった。参加者は司会の田原総一朗ら下記13名の「論客」である。
・大塚耕平(厚生労働副大臣、民主党・参議院議員)
・辻元清美(無所属・衆議院議員)
・猪瀬直樹(東京都副知事)
・堀江貴文(元ライブドア社長)
・夏野 剛(慶大教授)
・津田大介(メディアジャーナリスト)
・齋藤 健(自民党・衆議院議員)
・松田公太(みんなの党・参議院議員)
・金 美齢(評論家)
・東 浩紀(批評家)
・飯田泰之(駒澤大准教授)
・竹田恒泰(慶大講師)
3時間番組の中頃の30分を、田原は「猪瀨さんが来ているから」と言って、いわゆる「国旗・国歌訴訟」の東京高裁判決問題にあてた。君が代の起立斉唱などを強制するのは不当として都教委を提訴した教師たちが東京高裁で11年1月28日に敗訴した判決をどう思うかと問うたのである。結論を先に言えば、13人のうちその判決を「不当」と明言した参加者は一人もいなかった。なお東京地裁判決では教師側が勝訴している。
《軽視・回避・支持の言説》
録画をメモしたものから主要な発言を紹介する。
◆「なぜ問題になるのかわからない。天皇の戦争責任から出発するステレオタイプの歴史観が問題ではないか」(猪瀨)
◆「どっちでもいい。こんなことにこだわる理由がわからない」(堀江)
◆「国旗国歌への表敬はルールだ。無視する場合は相応の覚悟が要る。私は中華民国は嫌いだが総統就任式に招かれたときは起立はしたが歌わなかった」(金)
◆「歌いたくない生徒は歌わなくてもよいが、教師が歌うことは教育基本法や指導要領から導かれる役割だ。自衛隊員が宗教上の理由から殺人を拒否したらどうなるか。いやなら教師にならなければよい」(竹田)
◆「ズルズルやってきたことを今頃議論しても仕方がない。関係のないことだ」(東)
◆「倫理的に考えるのがおかしい。政治家の良悪、パーソナリティーを論ずるのではなく政策論を論ずるべきだ」(飯田)
◆「帰国子女の私は海外で日本人であることを痛感した。米国国歌を歌わされた違和感が起業の出発点にもなっている」(松田)
◆「国旗・国歌を新たに創るのは大変だ。戦争の評価とは切り離して考えられないものか」(大塚)
全文を起こせば数十倍になろうから引用が断片的で恣意的である可能性はある。関心ある読者はぜひ適宜な方法で元番組に当たられたい。
《辻元清美と田原総一朗》
参加者の発言を分類すれば、問題意識が低い、核心を避けている、判決を強く支持している、のいずれかである。とはいえ辻元と田原から懐疑論が出たことを書き留めておくのが公平というものであろう。
辻元清美は、「国歌・国旗法」案を審議した99年の政府答弁を想起して、小渕恵三首相は起立・斉唱を「義務づけせず」と言い、有馬朗人文相は「内心の自由を侵しての強制は許されず」と答えたので納得したのだという。論点は「国家と個人」、「個人内面の自由」という二つの問題だと彼女は認識している。そして国会の賛否は二分されて現在に至るといった。
田原総一朗は、満州事変から日中戦争までは日本の侵略と考えている。だから戦後に国歌と国旗は変わると思ったが実現しなかった。それで今でも国歌は歌いたくないといった。しかし自分が現実に直面したら「起立はするが歌わない」といった。
ここまでの議論を聞いて私自身は「事態はここまで来たか」という危機感をもつ。読者はどう感じられたであろうか。
《白地に赤い丸を描いただけだが》
国旗に絞って若干の考えを述べる。
モノとしてみれば、日本国旗は長方形の白地に赤い円を描いた一枚の布地である。しかし歴史の文脈でみれば立場により日の丸の姿は異なる。「大東亜戦争」期の殆どの日本人に、それは「帝国によるアジア解放」のシンボルであった。多くのアジア人にはそれは「帝国によるアジア侵略」のシンボルであった。いずれも猪瀬のいう「ステレオタイプの歴史観」ではない。それは当時の「現実」であり、今日も国際的に流通する「歴史的記憶」である。
思想の自由は抽象的な理念ではない。日常のなかに実現されるべきものである。起立と歌唱を拒否する教師たちから自由な考え方と生活を奪うことを憲法は許していないと思う。神は細部に宿るという。だが悪魔もまた細部に宿るのである。戦う舞台は細部にしかない。「どっちでもいい」ことでもなく「こだわる」べきことなのである。
この文章は、テレビとPCでエジプト革命を見ながら書いている。私が気がついたのはデモの画面にエジプト国旗が増え続けたことであった。あの国旗はエジプト人民が求める自由・正義・公正・平等―そしておそらくは反米―のシンボルであった。
《抑圧と解放のシンボルとしての国旗》
私のみるところ事態は次の二つのことである。
一つ。「朝まで生テレビ」の国旗・国歌論議は、国歌というシンボルによる市民の抑圧を巡るものである。偏狭なナショナリズムが横行するいま、「国旗・国歌」は15年戦争の歴史という文脈を離れている。310万人の死者を残して負け取った民主主義を離れている。それは歴史のない仮想空間を浮遊している。戦後民主主義は死にかけているのである。
二つ。エジプト革命を報ずるテレビ画面にひるがえるエジプト国旗は、30年の独裁政治を倒したエジプト人民の解放を表象している。我々は、津波のように、怒濤のように押し寄せるデモ参加者を確かに見た。そこに、タハリール広場に、うち振られた、増え続けたエジプト国旗は、文明の発祥地に民主主義が生き返りつつあることを示しているのである。
「民主主義の」という形容詞を付けたときに、「先進国」と「途上国」という名札は日本とエジプトにどう分配されるのであろうか。
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