Human Rightと人権
- 2011年 2月 18日
- 評論・紹介・意見
- 「権」についての考察『塩鉄論』岩田昌征
去年ある大学で国際研究集会があって、若い日本人研究者が近代的人権概念Human Rightが中世後期までさかのぼれると報告した。中国人学者も参加していたので、中国においてもHuman Rightの訳語が「人権」であることを確認したうえで、壇上の報告者に質問した。「中国の場合、私が知る限り『人権』という表現は前漢王朝時代に成立した古典『塩鉄論』の中で今日に通用する含意で用いられている。どう考えられるか」と。若い日本人は中国古典に不慣れで、先生のアメリカ人教授に助けを求めた。「その用例は知らなかったけれど、『権』の字は、RightというよりPowerの意が強いから、果たして…」というような応答であった。「ちきゅう座」上の諸氏の論とこの点同じであろう。
『塩鉄論』とは、漢の昭帝始元6年(B.C.81年)に開かれた御前会議で丞相・御史大夫を先頭とする中央政府高官と全国から召集された60人余の賢良・文学と称される在野学識者との間でたたかわされた論議の記録である。主要テーマは、現行の官有官営の統制経済を続行するか、それとも民間活力の自由経済に切換えるか、であった。御史大夫側は、法家的立場で国家統制派、賢良・文学側は儒家的立場で市場志向派であった。ちなみに、私、岩田の処女出版『比較社会主義経済論』(昭和46年・1971年、日本評論社)の「あとがき」で1960年代のソ連東欧における経済改革論争と同趣旨の経済制度論争が2000年昔の中国で展開されていたと指摘し、『塩鉄論』から諸関連文章を引用しておいた。しかしながらそのころは、「人権」表現の存在に気付いていなかった。
さて、Human Rightにかかわる「人権」は、文学が御史大夫が推進した統制経済の悪しき結果として、汚職官僚層が肥大化して、民衆の権利が脅かされていると批判するところに出現している。私は今、「民衆の権利」と書いてしまったが、まずは原文を引用しておこう。
―①公卿無請減除不急之官省罷機利之人。②人権縣太久。民良望於上。
問題は②の「人権」の意味である。岩波文庫版『塩鉄論』(1934年)には原文と読み下し文(pp.46-47)のみで和訳なし。
山田勝美『塩鉄論』(昭和42年・1967年、明徳出版社)は、原文と読み下し文のほかに和訳を与えている。―①政府の諸公は行政整理を断行し、黒い霧につながる人々を馘にしたいと願い出てもいない。②これでは人民の権利はさっぱり守られておらず、宙ぶらりんにぶら下がったまま長いこと無視されたままで、人民は心から政府の善処を待望している(p.165)。
佐藤武敏訳注『塩鉄論』(東洋文庫167、昭和45年・1970年、平凡社)は、和訳のみである。―①大臣たちは不急の役人を減らしたり除いたりすることや利権屋を省いたりやめさせたりすることを請うたことがございません。②[こうした人たちが]はかりにかけられ軽重をはかられるようになってからたいへん長いことがたちますので、人民は全く陛下のご英断を期待しております(p.32)。
王利器『塩鉄論校注(定本)上』(1992年、中華書局、北京)には和訳がないが、次の校注は大切である。―「権」即「権衡」之「権」、・・・「権」亦「等軽重」之工具(p.88)。
E.M.Gale,Discourses on Salt and Iron(1931,1934,reprinted by Ch’eng Won Publishing Company,Taipei 1973)では、①の部分は山田と佐藤に同じであるが、②の部分はヨーロッパ人なりの工夫があり、次のようになっている。―While others have left the matter in abeyance too long, the people have fixed their hope on the Emperor.(p.36)
この「人権」を英語でHuman Rightと訳出すれば、あまりに近代的すぎるので、Matterを用いて民衆の重大事が未定のままになっていると英記したのであろう。私、岩田は山田とGaleの解釈に近い。民衆の重大事を民衆の権利―「機利の人」の「機利」ではない―と表現してもよいであろう。北西ヨーロッパのように、近代的な基本的人権思想を生みださなかったとはいえ、ここに表出されたような「人権」理念が天命理念と裏表一体となって、中国の王朝交替、易姓革命を繰り返させたのであろう。私たち日本人が「権」の字に「はかりのおもり」ではなく、「力」やPowerのみを感じてしまうのは、あまりにも現代化された思想習慣であろう。
更に一言。中国共産党よ!天命と人権の表裏一体の伝統的革命性に心せよ!
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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