この国の治山治水はいったいどうなっているのか - 岩手県岩泉町の浸水被害に思う -
- 2016年 9月 5日
- 時代をみる
- 岩垂 弘水害治山治水
台風10号が岩手県に上陸し、東北と北海道に豪雨による被害をもたらした。とくに岩手県岩泉町では小本川の氾濫により、高齢者のグループホームの入居者9人が濁流にのまれて亡くなるという悲惨な事態となった。同町では、他に今なお孤立した多数の住民が救出を待っている。私は57年前にこの町を訪れたことがあるだけに、こんどの被害にひときわ胸が痛んだ。そして、この国の治山治水は十分ではない、と痛感せざるをえなかった。
全国紙の記者をしていた私は、1958年から60年にかけて岩手県盛岡支局に勤務した。この間、取材で県内各地を訪れたが、岩泉町へも59年に足を運んだ。
当時、この町は、へき地(都市から遠く離れた、へんびな土地)の多い岩手県でも「へき地中のへき地」といわれていた。なにしろ、盛岡から岩泉までの鉄道はなく、バスで6時間かかるという遠隔地であった。
岩手県には、中央に南北に走る巨大な山地がある。「北上山地」あるいは「北上高地」といわれ、標高1300~1000メートルの山塊が連綿と連なる。岩泉町はその中央付近から東方に展開しており、東端は北部陸中海岸、その先は太平洋である。南北51キロ、東西41キロ。面積は992平方キロメートル。本州で一番広い町で、東京23区の約1・5倍だ。
したがって、全町が山また山で、平野はほとんどない。このため、人びとは、小本川など3本の河川の流域に沿って集落を形成している。私が訪ねたころも、住民(当時の人口は二万数千)は山と山の間を流れる河川の両岸の背後のごく狭い平地に肩を寄せ合うように住んでいた。
それゆえに、その時、町づくりの専門家でない私でさえも、こんな感慨に襲われた。「大雨が降ったら大変だろうな。山の谷間を流れ下ってくる水で河川は瞬く間に増水するに違いない。そしたら、岸辺の家々は、河川から溢れた濁流につかり、ついには押し流されてしまうのではないか。そうした危険性は意識されているのだろうか、そして、それに対する防護策はなされているのだろうか」
盛岡を離れた後も、ここを訪れたことがある。1972年のことだ。国鉄岩泉線が開通し、盛岡から岩泉まで鉄道で行けるようになったからである。その岩泉線も2014年に廃止になった。そんなこともあって、私の中では岩泉町の記憶は薄れるばかりだった。
そこへ、こんどの10号台風による豪雨災害である。新聞やテレビで、岩泉町乙茂地区の小本川川畔にある高齢者グループホーム「楽ん楽ん」の惨状を見て思わず息をのんだ。その瞬間、1959年に同町を見て回った時の感慨が、57年ぶりによみがえってきた。とともに、こんな思いに駆られたのである。「あの時、私が抱いた懸念が現実のものになってしまった」と。
新聞報道によれば、岩泉町で降水量が増えたのは8月30日午後3時から午後7時ごろまで。とくに午後6時21分までの1時間の降水量は70・5ミリで過去最高だった。このため、小本川の水位は急速に増し、午後7時には堤防の高さ(4・87メートル)を上回る5・1メートルに達した。降水量の点でも川の水位の点でも避難勧告を出す基準を超えていたが、町はそれを「楽ん楽ん」周辺地区に出さなかった。対応に追われ、避難勧告を出す機会を逸したというのが町の説明だ。
一方、これも新聞報道だが、「楽ん楽ん」には避難計画がなかった。それには、こんな背景があるようなのだ。
水害に備えるための水防法は、降雨で河川が氾濫した場合に浸水が予想される地域を「浸水想定区域」に指定するよう国や都道府県に求めている。そして、この「浸水想定区域」がある市町村は、洪水予報の伝達方法や円滑かつ迅速な避難を実施するためのハザードマップを作る義務を課せられる。一方、指定区域内の高齢者施設には、避難計画を作る努力義務が課せられる。なのに、岩手県は、「楽ん楽ん」のある乙茂地区を「浸水想定区域」に指定していなかった。
岩手県によれば、指定を検討したことがあったが、2011年に発生した東日本大震災で同県沿岸部の復旧・復興を優先せざるを得なくなり、乙茂地区の区域指定が後回しになったという
某新聞の社説は「そもそも、河川の脇に、施設を建設したこと自体に問題があったのではないか。氾濫すれば、すぐさま水が押し寄せることは、十分に予測できたはずだ」と書いていたが、これは、現地の地理的条件を知らない暴論だろう。すでに述べたように、同町は平地が極めて少なく、新しい施設を建設しようとすれば、河川の脇に建設立地を求めるしかないのだ。
私としては、今回の岩泉町の浸水被害については、行政による治山治水・洪水対策が不十分だったのが最大の要因ではないかとの思いを禁じ得ない。
もし、岩手県、岩泉町といった行政当局が、こうした問題では全く素人の私がたまたま57年前に岩泉町で抱いた「懸念」と同じような「懸念」を早くから持っていたら、もっと早くから治山治水・洪水対策が進んでいたのではないか。
それが、これまでおろそかになっていたのは、「岩泉には記録破りの猛烈な豪雨など到来しないだろう」という楽観論にとらわれていたからではないか。なぜなら、戦後この方、東北に台風が上陸するなんてことはなかったからだ。長い間、豪雨による水害がなかったので、水害に対する警戒心がゆるんでいたのではないか。
それにしても、日本は風水害が多いように思えてならない。
毎年のように梅雨末期には記録的な集中豪雨がある。加えて、毎年、夏から秋にかけて台風が日本列島に襲来する。多くの場合、浸水、洪水などの被害が出る。死者も絶えない。最近では、2013年10月に東京都大島町(伊豆大島)が台風26号による豪雨に襲われ、死者39人を出したケースと、2014年8月に広島市北部で、秋雨前線による豪雨で生じた大量の土砂が住宅地を襲い、74人が死亡したケースが記憶に新しい。
毎年、集中豪雨や台風が必ずやってくる。それが分かっていながら、なぜ被害を防げないのか。政府や自治体が防災対策に真剣でないためか。それとも、防災対策に全力で取り組んでいるけれども追いつけないので、まだ被害ゼロというわけにはいかないということなのか。私がいつも思っている疑問だ。
ともあれ、行政には、自然災害に対しては、いつでも「最悪の事態」に対応できるような緊張感と、とくに長期的で根本的な防災対策が求められというものだ。防衛力の増強、高速道路や新幹線の建設、大企業支援に巨額の予算を投入する前に、防災対策の強化にこそ予算を使ってもらいたい。国民の生命と生活を災害から守ることこそ政府に課せられた最大の使命なのだから。
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