エジプトより独裁体制の シリアで民衆デモが起きない理由
- 2011年 2月 21日
- 評論・紹介・意見
- シリア浅川 修史
かつてアラブ連合共和国という国があった。1958年にエジプトとシリアが連合した国家である。アラブ連合共和国は1961年にシリアが脱退して、事実上消えるが、エジプトは1971年までこの国名を使用した。短期間だが、アラブ連合共和国として同一国家を形成したエジプトとシリア。歴史的にもエジプトとシリアは同じ国家(あるいは帝国の支配下)だった期間が長い。しかし、その風土や気質は大きく異なり、対照的である。
第3次中東戦争、第4次中東戦争でエジプトとシリアは連合してイスラエルと戦った。その当時、イスラエル兵士はエジプト軍の捕虜になることより、シリア軍の捕虜になることを怖れた。エジプト軍の捕虜の扱いは総じて人道的で穏やかである。
しかし、シリア軍に捕まったイスラエル軍兵士は過酷な扱いを受けることが多かったからだ。拷問の末、殺されたイスラエル兵士も少なくなかったという。
エジプト留学経験のある識者は、「エジプト人は忍耐強く、穏やかで、質素だ」と語る。「どこまでもがまんする体質」という言い方もする。
宗教の構成も他のアラブ諸国に比べるとシンプルだ。おおざっぱにいうと、スンニ派イスラム教徒が90%、コプト教徒が10%。ただし、コプト教徒は実際には5―10%の比率だという。
エジプトを本拠にしたファーティマ朝(909年から1171年)がシーア派の王朝だったのに、エジプトではシーア派がほとんどいないのは不思議な気がする。
それに比べるとシリア人はタフで残酷な印象を与えている。宗教の構成も複雑で、「宗教のデパート」と呼ばれている。
外務省のWEBではシリアの宗教構成について、イスラム教 90%(スンニ派 74%、アラウィ派・ドルーズ派 16%)、キリスト教10%と紹介されている。
しかし、ドルーズ派はスンニ派、シーア派からもイスラム教とは認められていない、シリア、レバノン、イスラエル北部にだけ残存する独特な宗教である。
親子2代にわたるアサド大統領はアラウィ派出身である。アラウィ派は軍隊を握っており、現在のシリアは人口の10%ほどといわれているアラウィ派に支配されている。
アラウィ派の起源はイスマーイル派のシーア派といわれているが、神秘主義の要素も混淆しており、シーア派と単純に呼べない宗教になっている。
これだけで十分複雑なのに、人口の10%を占めるキリスト教にはもっと宗派がある。カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教の三大宗派に加えて、マロン派、コプト派、ネストリウス派などいくつもの宗派がある。ほんのわずかだがユダヤ教徒もいる。
シリアは平野もあるが、全体として山岳地の多い地形がさまざまの宗教をつくり、残存させたのだろう。
少数派のアラウィ派が、バアス社会主義のイデオロギーと手法で国民を統治しているのがシリアである。ソ連から軍隊や秘密警察のノウハウも手に入れている。そこにはボルシェヴィキ的冷酷さが継承されている。軍隊、警察、官僚機構がどんな雰囲気なのか、容易に想像される。
連合王国の経済誌「ジ・エコノミスト」誌2011年2月3日号によれば、シリアは民主化度、腐敗度、報道自由度でリビアと並ぶ「ワースト国家」という。エジプト以上に自由がない、腐敗した、独裁国家という格付けである。
だが、そのシリアで民主デモは発生していない。たぶんこれからも大規模な反政府運動は起きないだろう。理由はただ一つ治安機構がしっかりしており、国民が萎縮しているからだ。
スターリン時代のソ連は農業集団化政策で多数の餓死者が出た。1930年代以降の計画経済では、囚人の強制労働を活用した。今では疑う余地がないほど明らかにされている。豚の脂身(サーロ)や石けん一つで女性が身を売ったという。
現在のエジプトやバーレーンよりスターリン時代のソ連の民衆の生活のほうが悲惨な状況だったはずだ。しかし、ソ連で民衆デモや「革命」は発生しなかった。治安機構が整備され、国民が萎縮していたからだ。シリアも同様と考える。
誤解のないようにいえば、筆者はシリアが好きだ。恵まれた、美しい国土を持っている。観光資源も豊富だ。首都ダマスカスは世界最古の首都である。ダマスカスはカイロと並ぶアラブ世界の中心である。シリア人女性の美人度は東欧以上かもしれない。食事も豊かだ。ただ、アラウィ派&バアス党支配下の治安機構の「実態」を述べているだけである。
さて、エジプトは治安機構がシリアほどしっかりしていない(だらしない)うえ、エジプト人特有の「優しさ、ためらい」があって、民衆「革命」が成功した。ただ、エジプトの場合も現在は軍事政権下の平和で、秋口に予想される大統領選挙が本番になる。
さて、ここから先は半分冗談だが、腐敗度が高くても、民衆「革命」が成功しそうもない国がある。イエメンだ。エジプト「革命」ではツッィター、フェイスブック、グーグル(検索エンジン)インターネット、携帯電話が大きな役割をはたした。だが、イエメンはそうしたインフラが発達していない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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