サウジアラビアに危機感高まる -反体制デモの周辺諸国に包囲されて-
- 2011年 2月 22日
- 評論・紹介・意見
- サウジアラビア伊藤力司民衆革命親米保守派路線
チュニジア、エジプトと長期独裁政権が民衆のデモで相次いで打倒されるというアラブの民衆革命の嵐はいつ収まるとも知れない。当面はチュニジアとエジプトに挟まれたリビア、ペルシャ湾の小島バーレーン、アラビア半島の最南端のイエメンで最も激しく燃え盛っているが、この動きに最も脅威を感じているのが大産油国のサウジアラビア王国である。親米保守派路線の盟友ムバラク前エジプト大統領を失った打撃に加えて、東のバーレーンと南のイエメンと隣接国の民主化運動がサウジ保守王制を揺すぶっているのである。
サウジアラビアこそアラブ世界の宗教的・政治的な保守主義の守護神であり、膨大の石油の富とイスラム教の聖地と強固な国王制度に守られて最も揺るぎない体制と見られてきた。アラブで吹き荒れている民主化闘争に対して強力な防波堤だったはずだ。そのサウジ王室=政府が孤立感を深め、これまでは最も安心できるサポーターだった米国のオバマ大統領がアラブ保守陣営を裏切るのではないかと疑心暗鬼に駆られているのだ。
イスラム教スンニー派の本家サウジアラビアにとって最大の脅威は、ペルシャ湾をはさんで対峙するイスラム教シーア派の大国イランである。ブッシュ政権のアメリカが突っ込んだイラク戦争の結果、1991年の湾岸戦争以前のサウジアラビアにとって現実的脅威だったサダム・フセイン体制(スンニー派主導)はなくなったが、結果として残っているのはイラクでは多数派のシーア主導のマリキ政府である。イラクが今後シーア派の絆によってイランべったりになるとは限らないが、イラク戦争以前に比べてペルシャ湾岸地域でイランの勢威が強まったことは否定できない。
サウジアラビアにとって当面焦眉の急はバーレーン王国の反政府闘争だ。闘争の主体は多数派のシーア派住民であって、少数派のスンニー派の王室政府が攻められている構図だ。もともとこの島国はペルシャ帝国時代からの流れでシーア派住民が多かったのだが、150年ほど前にアラビア半島から渡ったスンニー派のハリファ部族が島を制圧、折から石油が発見されたこともあって英国の保護領となった。1971年英軍のスエズ以東撤退を受けてバーレーンは独立したが、英軍撤退後の「真空状態」は米海軍の第5艦隊の母港を受け入れることで埋められた。
米国が事実上のパトロンになったことを受けてか、ハリファ王家の現ハマド国王(61)は湾岸地域の王国や首長国には珍しい開明的君主で、国会開設や女性参政権を認めるなど米国にとって好ましい体制を敷いてきた。サウジアラビアやクウェートなどの保守王国からすれば好ましくない政策だったろうが、ハマド国王は1999年の即位以来一貫して民主化路線を貫いてきた。サウジ政府などは、こうしたリベラル路線が反体制運動を誘発した原因だと、苦々しい思いを噛みしめているようだ。それはともかくサウジアラビアが主導している湾岸協力会議(GCC)は早速緊急理事会を開いてバーレーン政府を救援することを決議した。
サウジ政府にとってバーレーン民衆蜂起が恐ろしいのは、油田地帯が集中するサウジアラビア東部沿岸地帯はシーア派住民が多いことである。サウジアラビアではスンニー派が85%と圧倒的多数派だが、全国では15%しかいないシーア派が東部沿岸地帯に集結しており、東部だけで見るとシーア派が多数派になっているのだ。サウジ王国にとって、東部のシーア派住民対策は古くから内政上の課題であった。もし東部のシーア派住民がバーレーンのシーア派住民の蜂起に呼応して立ち上がって騒乱となれば、サウジ政府にとっては由々しき事態になる。もし油田地帯で騒動が続けば「虎の子」である石油の生産が脅かされることになるからである。
こうした状況だからサウジ政府は、バーレーン政府が打倒されるのを座視しないだろうという見方が一般的だ。サウジアラビア東岸とバーレーンを隔てる距離は約24キロしかないし、この間の海は浅瀬だから土手道のような道路が建設されている。もしバーレーン政府がSOSを発すれば、サウジ政府はこの道を通って大量の救援部隊を派遣することが出来るのだという。
バーレーンと並んでサウジ政府を悩ませているのは、1700キロの国境を接する南隣りのイエメンの情勢だ。石油の出ないイエメンはアラブ世界で最も貧しく、冷戦解消後1990年に親ソ路線を採っていた南イエメンを吸収合併したが、その後も政情は不安定。、北イエメン時代から数えると、32年間の独裁体制を維持してきたサレハ大統領打倒を叫ぶデモが3週間以上続いて、しかも次第に拡大しているのだ。
さらにイエメンは、ウサマ・ビンラディンが20年ほど前から育てた「アラビア半島のアルカイダ」が根拠地を維持している国で、昨年来のアメリカに対するテロ未遂事件の震源地でもある。サレハ大統領は次回大統領選挙に出馬しないと発表したがデモはやまず、治安部隊との衝突で死傷者も続出している。もしサレハ大統領が引退に追い込まれると、イエメンには後継体制が見当たらないだけに、エジプト以上の混乱が予想される。
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〔opinion0350 :110222〕
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