吉田嘉明のスラップに関する「見解」に反論する-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第81弾
- 2016年 10月 8日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
下記は、「DHCスラップ訴訟」の上告受理申立書に添付された吉田嘉明作成の「見解」である。スラップ訴訟に関する彼の考え方が述べられたもの。その全文をご紹介し、これに反論しておきたい。
スラップ訴訟云々に関して
共同通信の斉藤友彦氏や朝日新聞の干葉雄高氏より、小生とDHCが提訴している澤藤被告がブログや記者会見でスラップ訴訟云々と主張している件に関して見解を伺いたいとのことなので、取材に応じる代わりに本紙面で私の見解を述べることにいたします。
そもそも私が渡辺元議員を支援したのは当時官僚改革に最も真摯に取り組んでいた彼の姿を見て陰から支えてあげたいと思ったからであり、それ以外の何もありません。私は官僚改革こそが日本再生の必須の課題であると今も思っています。澤藤被告が「吉田嘉明が自分の儲けのために、尻尾を振ってくる矜持のない政治家を金で買った」とか「大金持ちが更なる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出した」とか、その他諸々の悪口雑言をインターネットに並べ立て小生を悪罵していたために提訴したわけですが、そのどこがスラップ訴訟なのでしょうか。事実無根の、全く根拠のない嘘でたらめを、しかも悪意を持って世間に広言されたら誰もが怒りに震えるのは当然のことでしょう。渡辺氏のことを矜持のない政治家だと贅言していますが、無名の弁護士が売名のために騒ぎまくっている行為こそが矜持のない醜態だといえるのではないでしょうか。渡辺氏は検察の最終判断ですべてが不起訴となり、一連の騒動はすべて終了しました。今は浪人中ですが依然として国が必要とする類い稀な政治家であることに変わりはありません。それを虚名の三百代言ごときに矜持がないなどとは言われたくはありません。格が違います。「行政の規制緩和を求めて政治家に金を出した」などと妄言していますが、小生がただの一度でも当時の渡辺議員に行政への橋渡しを依頼したことがあるのか、直接渡辺氏なり、厚労省の担当官に尋ねてみればわかることです。澤藤被告は訴訟の書面やブログで、この裁判は、裁判の勝敗よりも相手を萎縮させ、言論を封じることを目的としたスラップ訴訟であり、訴権を乱用していると主張しています。
渡辺騒動の後、澤藤被告始め数十名の反日の徒より、小生および会社に対する事実無根の誹膀中傷をインターネットに書き散らかされました。当社の顧問弁護士等とともに、どのケースなら確実に勝訴の見込みがあるかを慎重に熟慮検討した上で、特に悪辣な十件ほどを選んで提訴したものです。専門の顧問弁護士が確実に勝てると思って行ったことです。やみくもに誰もかもともと提訴したわけではありません。それに提訴後、澤藤被告の言論を封じたどころか、彼は連日のごとく悪口雑言をブログに書きまくっているではありませんか。全く萎縮などしていません。
そもそもスラップ訴訟の意味すら分かっていません。拡大解釈も甚だしい。SLAPP とはStrategic Lawsuit Against Public Participationの略で「社会参加を邪魔するための戦略的訴訟」ということですが、今回の訴訟のどこが被告の社会参加を邪魔しているのか、どこが戦略的なのか笑ってしまいます。
名誉棄損の裁判を起こすのは驚くほどの金銭を要し、普通の人はお金のことを考えただけで身を引いてしまいます。泣き寝入りをしている人がほとんどです。メディアはスラップ訴訟を云々するより、むしろ、善良な人たちの泣き寝入りをいいことに嘘、悪口の言いたい放題が許されている現状こそ問題にすべきです。インターネットの醜さはどうでしょうか。人間生活を完全に壊しています。朝日新聞は何十年にもわたって嘘を書き続け、世界に向かって日本及び日本人を貶めたことをお忘れでしょうか。共同通信も最近では朝日に劣らず反日メディアなのではと危惧され始めています。どこの国の人かわからないような似非日本人が跳梁跋扈している世の中、そして嘘、悪口の言いたい放題が許されている世の中には私は断固反対します。嘘つきは信用できません。
平成28年2月21日
株式会社DHC 代表取締役会長・CEO吉田嘉明
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スラップ訴訟云々に関して
共同通信の斉藤友彦氏や朝日新聞の干葉雄高氏より、小生とDHCが提訴している澤藤被告がブログや記者会見でスラップ訴訟云々と主張している件に関して見解を伺いたいとのことなので、取材に応じる代わりに本紙面で私の見解を述べることにいたします。
私(澤藤)は、吉田嘉明とDHCの私に対する高額損害賠償請求訴訟を典型的なスラップ訴訟と位置づけ、この訴訟に「DHCスラップ訴訟」と固有名詞を冠した。DHCスラップ訴訟は、当初は市民運動や心あるジャーナリストだけの注目するところだったが、ようやく共同通信や朝日新聞が取材するようになった。法学セミナーの10月号にも特集となった。その他にも、寄稿や講演の依頼が少なくない。今や、DHCとスラップ、スラップとDHCは、切っても切れない仲となった。スラップには薄汚いイメージがつきまとう。当然にその薄汚いイメージはDHC・吉田のイメージとして拭いがたく定着している。このことは、自らスラップを提起したDHC・吉田の自業自得であり、身から出た錆というべきものなのだ。
そもそも私が渡辺元議員を支援したのは当時官僚改革に最も真摯に取り組んでいた彼の姿を見て陰から支えてあげたいと思ったからであり、それ以外の何もありません。
政治家の支え方にはいろいろある。労力を提供すること、知恵を貸すこと、人脈を紹介すること…。カネを出すこともそのひとつだが、カネを出す場合には、政治資金規正法に則った透明性が要求される。もちろん、金額の上限もある。政治がカネの力で壟断されてはならないからだ。
吉田は、渡辺を「陰から支えて」「巨額のカネを提供した」のだ。「政治家を陰から支えるための巨額のカネ」を、日本語では「裏金」という。本来政治資金の動きは透明でなくてはならない。この透明性を欠いた「裏金」には、薄汚い思惑が秘められていることが常識である。私のブログは、DHC・吉田の薄汚い思惑について、合理的で常識的な推認にもとづく意見ないし論評として記事にした。判決はこれを表現の自由の範疇にあるものと認めた。当然のことだ。
私は官僚改革こそが日本再生の必須の課題であると今も思っています。澤藤被告が「吉田嘉明が自分の儲けのために、尻尾を振ってくる矜持のない政治家を金で買った」とか「大金持ちが更なる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出した」とか、その他諸々の悪口雑言をインターネットに並べ立て小生を悪罵していたために提訴したわけですが、そのどこがスラップ訴訟なのでしょうか。事実無根の、全く根拠のない嘘でたらめを、しかも悪意を持って世間に広言されたら誰もが怒りに震えるのは当然のことでしょう。
「吉田嘉明が自分の儲けのために、尻尾を振ってくる矜持のない政治家を金で買った」とか「大金持ちが更なる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出した」は、合理的で常識的な推論なのだ。「事実無根の、全く根拠のない嘘でたらめ」ではない。私のブログの記事は、もっぱら吉田が週刊新潮に自ら書いたとされる「手記」を根拠にし、これに基づいてのものである。その標題を確認しておこう。「借金8億円を裏金にして隠した『みんなの党』代表への実名告発」「さらば器量なき政治家『渡辺喜美』代議士」「DHC吉田嘉明会長独占手記」というのだ。
吉田は、自らの手記の内容を事実無根と言うのだろうか。その手記の中には、自らが経営する事業に対する厚労省の行政規制に不満が述べられ、「厚労省の規制チェックは…特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます」と言い、「私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出すほど、日本の産業はおかしくなっている」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められている政治家」と語られている。一般常識を持つ人ならば、誰もが、吉田の裏金提供の意図を、規制緩和による利潤拡大と推認するだろう。私はこのことを厳しく表現した。けっして、「事実無根」でも、「全く根拠のない嘘でたらめ」でもない。仮に吉田が、怒りに震えたにしても、自らの行為と、週刊誌に手記を発表した己の不明を恥じるべきで、私を怨む筋合いではない。
「どこがスラップ訴訟なのでしょうか」に答えよう。
まずは、私の言論は客観的に違法性のない真っ当な言論である。言論の自由の保障が与えられることが明々白々な言論にほかならない。この私の言論を違法として提訴すること自体が、自らを批判する言論を嫌忌し、これを恫喝して萎縮せしめようというスラップにほかならない。
主観的には違法と考えていたという言い訳は通じない。その言い訳は、言論の自由を尊重しない体質を露呈しているだけである。
何よりも、高額請求がスラップの性格をよく反映している。本件で損害賠償が認められる余地はさらさらないと言うべきだが、法や判例に疎い者が原告になって、勝訴の見通しを誤認したとしても、100万円以上の慰謝料請求はリアリテイを欠く。当初2000万円、さらには6000万円の法外な請求額は、言論萎縮を狙った恫喝目的訴訟以外のなにものでもない。
さらに、DHC・吉田には前科がある。争議中の労組ホームページの記事を、会社に対する名誉毀損だとして5000万円を請求して全面敗訴(東京地裁・2005年11月1日判決)の前科である。これも、典型的なスラップ。
また、私を含め、類似案件としてほぼ同時に10件の提訴をしていることも、その批判言論嫌忌の体質を物語っている。ここまで来れば、スラップ常連と言って差し支えない。
吉田嘉明が自分を批判する言論を気に食わないとすれば、本来は言論をもって反論すればよいことなのだ。対抗言論の発信力あるものは言論による反批判をすればよい。敢えて、高額請求訴訟におよぶのは、恫喝の意図を推認させるものである。
渡辺氏のことを矜持のない政治家だと贅言していますが、無名の弁護士が売名のために騒ぎまくっている行為こそが矜持のない醜態だといえるのではないでしょうか。
「贅言」は日本語の使い方の間違い。「売名のために騒ぎまくっている無名の弁護士」「虚名の三百代言ごとき」とはいずれも私のことを指すようだ、これは明らかに侮辱に当たる。しかも、違法性を阻却する文脈にない。3年の時効期間経過までに折あれば問題にしたいが、今のところは勝者の余裕をもって寛容の大度を見せておこう。
「行政の規制緩和を求めて政治家に金を出した」などと妄言していますが、小生がただの一度でも当時の渡辺議員に行政への橋渡しを依頼したことがあるのか、直接渡辺氏なり、厚労省の担当官に尋ねてみればわかることです。
こうなると、相手にするのも愚かしい、驚かざるを得ないレベル。子どもの喧嘩の類の論法。私が、繰りかえし「合理的推論」と言っている意味がお分かりでないよう。「あなたは涜職に関する罪を犯しましたか」と尋ねてみて、いったい何がわかると言うのだろうか。
澤藤被告は訴訟の書面やブログで、この裁判は、裁判の勝敗よりも相手を萎縮させ、言論を封じることを目的としたスラップ訴訟であり、訴権を乱用していると主張しています。渡辺騒動の後、澤藤被告始め数十名の反日の徒より、小生および会社に対する事実無根の誹膀中傷をインターネットに書き散らかされました。
「渡辺騒動」で吉田嘉明を批判したのは、私だけでなく、「数十名の反日の徒」だったという。私が特異な意見を発信したのではなく、吉田が認識しただけでも「数十名」あった批判者の内の一人に過ぎなかったということではないか。
なお、この文書の中に「反日」が複数回出てくる。私や朝日・共同に対する悪口として、である。これは特定の立場をもった人びとだけが使う言葉。吉田嘉明はそういう立場なのかと思わせる。
当社の顧問弁護士等とともに、どのケースなら確実に勝訴の見込みがあるかを慎重に熟慮検討した上で、特に悪辣な十件ほどを選んで提訴したものです。専門の顧問弁護士が確実に勝てると思って行ったことです。やみくもに誰も彼もと提訴したわけではありません。
こんなことはなんの言い訳にもならない。代理人の不見識や能力不足あるいは過誤は、対外的には依頼者本人が引き受けなければならない。しかも、名誉毀損とされた私のブログの掲載日(2014年4月8日)から、提訴(4月16日)までの期間がわずか8日である。到底慎重で真摯な検討がなされたとは考えられない。ともかくも早期提訴による萎縮効果を狙ったものと考えざるをえない。
それに提訴後、澤藤被告の言論を封じたどころか、被は連日のごとく悪口雑言をブログに書きまくっているではありませんか。全く萎縮などしていません。
これは、褒め言葉として承っておこう。当てが外れたのだ。自分の物差しで人をはかって、見損なったのだ。DHCが同時期に起こした10件のスラップ訴訟で、私以外は萎縮させたではないか。10件の被告以外の多くの人に、DHC・吉田を批判すると面倒になる、と思わせたではないか。それが、スラップの狙いなのだ。
そもそもスラップ訴訟の意味すら分かっていません。拡大解釈も甚だしい。SLAPP とはStrategic Lawsuit Against Public Participationの略で「社会参加を邪魔するための戦略的訴訟」ということですが、今回の訴訟のどこが被告の社会参加を邪魔しているのか、どこが戦略的なのか笑ってしまいます。
こちらこそ嗤ってしまう。誰からこんなことを吹き込まれたのだろうか。DHC・吉田は、10件の高額請求訴訟(最低2000万円、最高2億円)の提訴をもって、民主々義社会の土台をなす自由な言論という Public Participationを害したのだ。被害に遭遇したのは、被告になった者にとどまらない。被告以外にも威嚇効果が及んでいる。民主々義に実害が及んでいることを知らねばならない。
名誉棄損の裁判を起こすのは驚くほどの金銭を要し、普通の人はお金のことを考えただけで身を引いてしまいます。泣き寝入りをしている人がほとんどです。メディアはスラップ訴訟を云々するより、むしろ、善良な人たちの泣き寝入りをいいことに嘘、悪口の言いたい放題が許されている現状こそ問題にすべきです。
「名誉棄損の裁判を起こすのは驚くほどの金銭を要し、普通の人はお金のことを考えただけで身を引いてしまいます。」には、いうべき言葉を見つけがたい。開いた口が塞がらないとでも言うべきだろうか。
「泣き寝入りをしている人がほとんどです。」以下には、意図的なすりかえがある。匿名に身を隠したネトウヨの暴力的な名誉毀損記事に人権を侵害されている善良な人びとは数多い。不用意なメディアの誤報に怒りながらも泣き寝入りを強いられている人も少なくない。しかし、DHC・吉田が、このような人びととことさらに自分を同じ立場に見せようというのは、卑怯きわまる。まったく立場が違うのだ。
人の名誉を傷つける言論の許容度を考えるに際しては、誰を対象とする言論であるかで、二分することを要する。この社会の一握りの強者と、それ以外の市政の市民とである。強者とは、権力や権威をもつ者あるいは企業や財界など経済的な強者をさす。この強者に対しては、批判の言論が最大限に許容されなければならない。一方、市井の市民にはその人格権としての名誉やプライバシーの保護が尊重されなければならない。
吉田嘉明は、経済的強者であり、健康に関わる消費材生産の大企業主であり、何よりも自分の眼鏡にかなった政治家に巨額のカネを提供して政治に関わろうとした人物である。批判を甘受しなければなない立場にあることを自覚しなければならないのだ。
インターネットの醜さはどうでしょうか。人間生活を完全に壊しています。
文頭に「ネトウヨの」と付ければ、まったく同感。
朝日新聞は何十年にもわたって嘘を書き続け、世界に向かって日本及び日本人を貶めたことをお忘れでしょうか。共同通信も最近では朝日に劣らず反日メディアなのではと危惧され始めています。どこの国の人かわからないような似非日本人が跳梁跋扈している世の中、そして嘘、悪口の言いたい放題が許されている世の中には私は断固反対します。嘘つきは信用できません。
突然に朝日と共同通信攻撃。文脈混乱で論理も混乱だが、吉田嘉明の思想的立場だけは、しっかりとよく分かる。
以上のとおり、吉田嘉明の無力な「弁明」スラップ訴訟の表現の自由に対する侵害は到底看過し得ないのだ。
(2016年10月7日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.10.07より許可を得て転載
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