SJJA&JWSPO【西サハラ最新情報】180 アントニオ・グテーレス次期国連事務総長
- 2016年 10月 9日
- 評論・紹介・意見
- サハラ国連平田伊都子西サハラ
2003年にアメリカはイラクを空爆し、2006年12月30日にアメリカが元イラク大統領フセインを絞首刑にした後も、イラクはアメリカ軍の実戦軍事演習場のままで、イラク住民は難民になって、隣国のシリアやヨルダンに逃げ込んでいました。 国連も国際機関もその実態や実数がつかめず、イラク難民支援組織も立ち上がっておらず、当時のアントニオ・グテーレスUNHCR国連高等難民弁務官が資金集めに奮闘していました。 アンマンにあるUNHCR事務所での記者会見でグテーレス国連高等難民弁務官は、「イラク難民は200万をゆうに越えている。シリアには120~140万人、ヨルダンには50~75万人いると推測される」と、語っていました。
(1) アントニオ・グテーレス(1949年ポルトガルのリスボン生まれ):
1974年、グテーレスは社会党に入党し、1974年4月25日のカーネーション革命後はリスボン地区で社会党の組織化に深く関与した。1995年の総選挙で社会党が勝利すると、グテーレスは首相に就任、1999年に首相に再任され、2000年1月から7月には欧州評議会の議長も兼務した。2001年12月に首相辞任後は、2005年まで社会主義インターナショナルの議長を務めた。2005年5月の国連総会で、グテーレスは国連難民高等弁務官に任命され、2011年にアメリカが仕掛けたシリア戦争で、未曽有の難民危機が勃発すると、難民に対する国際支援金獲得に尽力し、2015年12月31日に国連難民高等弁務官を退任した。
2016年10月6日、安保理議長国ロシアのチュルキン国連大使は記者団に対し、「安保理は国連総会に、アントニオ・グテーレス次期国連事務総長を推薦」と発表した。
グテーレス氏はリスボンで、「今の気持ちは、感謝と謙虚です。最も弱い立場にある人たち、紛争やテロや権利侵害、貧困、世界の不正義の被害者のために尽くすには、この謙虚な気持ちが必要なのです」と述べた。
(2) UNHCR国連難民高等弁務官と西サハラ難民キャンプ:
勿論、グテーレス国連難民高等弁務官(任期2005~2015)は西サハラ難民キャンプを視察している。高等弁務官の西サハラ難民キャンプ視察は当たり前だ。が、登場した11人の高等弁務官の中で、緒方貞子氏は(任期1990~2000)一度も西サハラ難民キャンプを訪れていない。グテーレス前高等弁務官はその任期中、「UNHCR国連難民高等弁務官は西サハラ難民政府と共謀して難民の数を水増し、支援物資を横流ししている」というモロッコ捏造の中傷デマに悩まされ続けてきた。今年になってモロッコは、「支援物資の横流し主犯はアルジェリア政府だ」と、矛先をUNHCR国連難民高等弁務官からアルジェリアに変えた。
(3) 次期国連事務総長に期待する西サハラ難民;
西サハラと同様に1960年国連脱植民地化の当該地域に指定されていた東ティモールは、1999年UNAMET(国連東ティモール派遣団)の下で住民投票が行われ、賛成多数で独立が決定した。これを不服とした反対派民兵とその後ろ盾となっていたインドネシア国軍が東ティモール住民を襲撃し、町を破壊した。しかし、2002年にインドネシアから独立した。
西サハラと東ティモールの状況は似ている。1975年に、西サハラはモロッコの軍事侵略により、東ティモールはインドネシアにより不法占領下に置かれた。但し、国際法上は、西サハラはスペインの、東ティモールはポルトガルの植民地ということになる。MINURSO(国連西サハラ住民投票監視団)はUNAMET(国連東ティモール派遣団)に匹敵する。
東テイモールが独立闘争を戦っていた1999年から2002年にかけて、当時のポルトガル首相グテーレスは、インドネシア国軍の残虐行為を非難し、東ティモールの独立運動を支持した。西サハラ難民は、大いにアントニオ・グテーレス新国連事務総長に期待している。
(4)ノーベル平和賞コロンビアと西サハラ難民:
1810年、スペインから独立したコロンビアはRASD西サハラ難民政府を正式に承認しており、西サハラの民族自決権を支持し、西サハラの独立を応援している。一年に一度は3泊4日の西サハラ難民視察団が南米コロンビアからやってくる。
2014年6月20日には超党派のコロンビア上院議員団が西サハラ難民キャンプに入った。一行はジョルジュ・エンリコ・ロブレド(左派連合)、ホアン・マニュエル・ガラン(自由党)、ホアン・マリオ・ラセマ(保守党)などで、西サハラ難民キャンプを視察し、西サハラ難民政府要人と会談し、西サハラに眠るエネルギー資源の事を討論した。
ノルウェーのノーベル賞委員会は7日、2016年のノーベル平和賞を、コロンビア和平に力を注ぐ同国のサントス大統領(65)に授与すると発表した。最終合意に達した和平内容は2日の国民投票で否決され、左翼ゲリラ組織コロンビア革命軍との再交渉が必要になったが、ノーベル平和賞委員会はサントス氏の受賞を変更しなかった。
ノーベル平和賞ほど、楽屋裏が見え見えの賞はありません。 受賞者を決めるのは、犬猫ではありません。 胡散臭い人間です。
一体誰が操っているのか? いろいろ、勘ぐってみて下さい。
来年はぜひ、西サハラ難民がノーベル平和賞を貰いますように、、国連が約束した平和解決を待って25年、、難民生活に耐えること40年、、十分に、ノーベル平和賞ものだと思います。 <西サハラ難民にノーベル平和賞>を回す名案があったら。教えてください。
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2016年10月9日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6294:161009〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。