スラップ提起者らにはしかるべき損害額を賠償させる必要がある-「DHCスラップ訴訟」を許さない・第83弾
- 2016年 10月 10日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
DHCスラップ訴訟の「勝訴確定おめでとうメール」の中には、「さあ、反撃ですね」「損害賠償請求はいつ出しますか」「次はS63年判例への挑戦ですね」などというものが少なくない。私は、DHC・吉田への反撃を期待されているのだ。もしかしたら、挑発されているのかも知れない。
スラップ訴訟の被告は、訴訟に勝って原告の請求を斥けただけでは被害を回復できたことにはならない。恫喝目的の高額提訴自体が被告に精神的苦痛をもたらす。応訴には弁護士費用もかかり、手間暇を要することになる。本来の業務にも差し支えが生じる。これらの損害を回復するためには、スラップを提起した原告やその補助者(たとえば代理人弁護士)に損害賠償請求訴訟の提起が必要なのだ。
「反撃」とは、この損害賠償請求訴訟の提起をさしている。そして、「S63年判例」とは、提訴が違法となる要件についてのリーディングケースとされている1988(昭和63)年1月26日最高裁(第三小法廷)判決を指している。
違法な行為(あるいは過失)によって他人に損害を与えれば、その損害を賠償しなければならない。はたして、スラップの訴訟提起が違法といえるのか。スラップは形のうえでは民事上の訴権の行使としてなされる。敗訴となる訴の提起がみな違法となるわけではないのは当然のこと。DHC・吉田側は憲法32条(裁判を受ける権利)を援用して「勝訴・敗訴の結果にかかわらず、提訴自体が違法となることはない」と防戦することになる。しかし、言論封殺目的でのスラップが許されてよかろうはずはない。
このことについてのリーディングケースとされている最判(最高裁判決)が「63年判例」である。注意すべきは、これがスラップについての事案ではないことだ。スラップについては「63年判例」を修正して考えなければならない。
このことについての検討を、DHCスラップ訴訟の被告弁護団で活躍した小園恵介弁護士が、「法学セミナー10月号」のスラップ訴訟特集に「昭和63年判例の再検討」と題して寄稿している。
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63年判例の事案の内容は以下のとおりである。
本件には、先行する前訴がある。
前訴は、原告Yが被告Xに対してした損害賠償請求。土地売買に際して測量を行ったXの測量結果に誤りがあったためYに損害が生じたとするもの。結果は原告Yの敗訴となった。
その訴訟に続いて攻守ところを変え、今度は原告Xが被告Yを提訴した。Yの前訴提起が不法行為に当たるとして損害賠償を求めるという事案。
最高裁は、概ね次のとおり判示して、Xの請求を棄却した。(小園論文を引用)
「民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、(①)当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、(②)提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。けだし、訴えを提起する際に、提訴者において、自己の主張しようとする権利等の事実的、法律的根拠につき、高度の調査、検討が要請されるものと解するならば、裁判制度の自由な利用が著しく阻害される結果となり妥当でないからである。」
つまり、こう言うわけだ。
提訴者には憲法32条の後ろ盾がある。だから、軽々には提訴自体を違法とはいえない。しかし、提訴が「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるとき」には違法となる。もっとも、違法はその場合に限られる。
具体的には、次の2要件があれば、違法となる。
①(客観要件)当該訴訟において提訴者の主張した権利等が事実的、法律的根拠を欠くこと
②(主観要件)提訴者が、そのことを知りながら提訴した、または通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したこと
この要件は高いハードルではあるが、ラクダが針の穴を通るほどに難しいものではない。この2要件を使う形で、スラップ訴訟でもいくつかの反訴認容判決が出ている。私が、筆頭代理人を務めた「武富士の闇」スラップ訴訟判決(4被告による反訴で各120万円、計480万円の認容)がその典型であろう。なお、この事件の顛末についても、被告とされた新里宏二弁護士が「法学セミナー10月号」の特集に寄稿している。
しかし、留意すべきは、「63年判例」がスラップに関するものではないことである。違法を問われる提訴が、表現の自由を攻撃するものである場合には、「63年判例」は修正を余儀なくされるはず。なぜなら、「正当な表現活動を、裁判制度を利用して抑圧しようとすることは、まさに『訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く』ものにほかならない」からだ。これが小園論文のエキスである。
これを敷衍して、小園論文は次のようにも述べられている。
「スラップ訴訟の対象とされるような批判的言論は、その多くが公共的な問題を社会に訴えかけるものであり、まさに国民の意思決定を支える礎といえる。批判的言論には、特に手厚い保障が与えられなければならない。したがって、スラップ訴訟のように批判的言論を対象とした訴訟の提起の違法性を検討するに当たっては、原告側の裁判を受ける権利と被告側の応訴負担だけで利益調整をしたのでは足りない。天秤の被告側に、表現の自由の保障という考慮要素が乗せられなければならないのである。」
まったくそのとおりではないか。
ラクダが針の穴を通るほどではないにしても、この要件は相当に高いハードルではある。ことスラップの場合に限っては、もっとこのハードルを下げなければならない。それが、憲法21条を死活的に重要な基本権とする憲法が要求するところなのだ。この基本的な考えに基づいて、小園論文は、「63年判例」枠組みについての具体的な修正案を複数例提示して興味深い。
違法な提訴の責任主体を訴訟代理人弁護士まで含めることは、スラップ訴訟に大きな抑制効果をもつものとなるが、小園論文はその場合に必要な共同不法行為論にまでは言及していない。
なお、小園論文はスラップ提訴の損害論に及んでおり、これも興味深い。
前述の「武富士の闇」スラップ訴訟反訴の認容額は反訴原告一人が120万円だった。内訳は、100万円の慰謝料と20万円の弁護士費用である。これは、少額に過ぎる。とりわけ、問題にすべきは弁護士費用の額である。
20万円の弁護士費用額は、反訴の認容額を基準とする金額とした場合には妥当だろうが、違法提訴への応訴のための弁護士費用としては全く不十分である。
小園論文は、「原告の設定した請求額によって被告の弁護士費用が決まるのであるから、原告の請求額を基準として弁護士会の旧報酬会規により算出される金額を、被告の(応訴に必要な弁護士費用として)損害と認定すべきである」という。これも、まったくそのとおりだ。
その上で、算定の具体例を挙げている。
「請求額が2000万円なら、『327万円+消費税』である」と。
請求額6000万円の場合の算定はないが、計算してみると747万円である。消費税込みだと800万円を越す。これが、認容さるべき弁護士費用なのだ。
私がDHC・吉田を提訴するとなれば、慰謝料よりも、彼が設定した高額請求訴訟の応訴弁護士費用の損害額が大きくなる。こうすることが定着すれば、スラップの提起は安易にできなくなるだろう。とりわけ過大な高額請求事案は減るに違いない。
(2016年10月9日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.10.09より許可を得て転載
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