法が弁護士という制度を創設した趣旨を考える
- 2016年 12月 19日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
とある受任事件の中間報告である。客観的には重大事件ではない。しかし、どんな紛争も当事者にとっては深刻である。しかもこの事件がもつ問題の普遍性が高い。この事件の解決如何が影響するところは、広く大きいと思う。
私の依頼者(複数)は、語学学校の講師である。もっとも、びっちりと授業時間が詰まっているわけではなく、受講者が講師を指名してマンツーマンでの指導が行われるという形をとっている。だから、指名がなければ講師としての仕事はなくなる。使用者は、宣伝広告によって受講者を募集し、授業時間のコマ割りをきめ、定められた受講料のうちから、定められた講師の賃金を支払う。労働時間、就労場所、賃金額が定められている。これまでは、疑いもなく、労働契約関係との前提で、有給休暇も取得されていた。
ところが、経営主体となっている株式会社の経営者が交替すると、各講師との契約関係を、「労働契約」ではなく「業務委託契約」であると主張し始めた。そして、全講師に対して、新たな「業務委託契約書」に署名をするよう強要を始めた。この新契約書では有給休暇がなくなる。
経営側が、「労働契約上の労働者」に対する要保護性を嫌い、保護に伴う負担を嫌って、業務請負を偽装する手法は今どきのトレンドといってよい。しかし、弱い立場の勤労者の生計を守る必要を基本とする市民法であり、労働者保護法制ではないか。本件のような、「請負偽装」を認めてしまっては労働者の権利の保護は画餅に帰すことになる。
とはいうものの、本件の場合講師の立場は極めて弱い。仕事の割り当ては経営者が作成する各コマのリストにしたがって行われる。受講者の指名にしたがったとするリストの作成権限は経営者の手に握られている。このリストに講師の名を登載してもらえなければ、授業の受持はなく、就労の機会を奪われて賃金の受給はできない。これは、解雇予告手当もないままの事実上の解雇である。やむなく、多くの講師が不本意な契約文書に署名を余儀なくされている。
それでも、中には少数ながらも経営者のやり口に憤り、「断乎署名を拒否する」という者もいる。「不当なことに屈してはならない」というのだ。たまたま、そのような心意気の人との接触があって、まずは交渉を受任することとなった。
本題は、ここからだ。こうして、私は講師を代理して、経営者に内容証明郵便による受任通知と、交渉の申し入れを行った。ところが、なんの返答もない。当事者の講師には、なおも署名の強要が続けられる。再度の内容証明郵便を発送したが、またもなしのつぶて。電話をしても、責任者はけっして出ようとしない。労基署への申告をして、その旨の通知もした。私の依頼者に口頭で「会社側の誰が弁護士との交渉担当になるのか特定してくれ」と言ってもらったところ、「誰と交渉すべきかについては返答を拒否する」との回答だったという。
普通は、こんなとき経営側に弁護士がついてくれないかなと思う。少なくとも話が通じる。無用の軋轢は回避できる。そんな折に、経営者が本件に関して弁護士を選任して労働基準監督官との交渉を委任し、講師との交渉に関してもその指示を仰いでいる様子が見えてきた。ところが、奇妙なことにこの弁護士は、通常のどの弁護士もするような振る舞いをしない。私に何の連絡もせず、むしろ当事者間での交渉を急がせているように見受けられる。これは、弁護士にあるまじき行動として、問題は大きいのではないか。
「弁護士職務基本規定」というものがある。かつては「弁護士倫理」と言っていた、弁護士がよるべき職務上の行動規範である。その第52条は「相手方に法令上の資格を有する代理人が選任されたときは、正当な理由なく、その代理人の承諾を得ないで直接相手方と交渉してはならない」と相手方本人との直接交渉の禁止を明確にしている。その理由は、代理人を通じての円滑な交渉の進展を阻害するというだけでなく、法律に通暁した代理人を選任して自らの権利を擁護しようとした相手方当事者の権利を不当に侵害することになるからである。
本件の場合、労働者は私という弁護士を選任した。経営側の弁護士は、私という労働者代理人の弁護士を無視してはならないのだ。ことは、弁護士という法律専門職の制度を創設した趣旨に関わる。法が弁護士という人権擁護の使命をもった法律専門家としての資格を創設して、弱い立場の人権を擁護しようとしたのだ。その制度の意味を失わせてはならない。
本件の場合、私が労働者側に付いたことを通知して以来、私の依頼者本人と交渉したのは弁護士ではなく経営者ではある。しかし、経営側の弁護士が直接交渉を指示し、あるいは許容したのであれば、生じる事態に差はない。本件の紛争が労働契約関係をめぐるものであり、彼我の交渉力量の歴然たる格差の存在に鑑みれば、当該弁護士の行為は、実質的に弁護士職務基本規定第52条に違反し、弁護士法第56条1項に定める「弁護士としての品位を失うべき非行」に該当するものといわざるを得ない。
さらに、経営者は、労働基準監督官の経営者に対する事情聴取の席に立ち会ったあとの当該弁護士の発言として、「行政は労働者性を完全に否定している」「争っても勝ち目はない」として、「業務委託契約書」への署名強要の手段としている。
弁護士の発言は伝聞の限りであって、どのような内容であったかを断定はし得ない。しかし、経過を知る弁護士が、事態の推移を黙認していること自体が問題ではないか。弁護士職務基本規定第5条は「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」として、弁護士に信義誠実の原則に従って業務を行うべき義務を課している。これに違背する非行も、懲戒事由に当たるものと考えられる。
弁護士とは人権擁護の任務を負うものである。労働者、あるいは消費者、患者、住民など、定型的に弱い立場の人権を擁護すべきが本来的任務というべきである。経営者・事業者・医療機関・公害企業など、その相手方にも弁護士が選任されることが想定されてはいる。しかし、強者の側の弁護士も人権擁護の任務を負っている。その任務の一側面として、十全なものとしてなされるべき弱者側の弁護士の活動を不当に阻害してはならないというべきである。そのことは、弁護士という職能創設の制度の趣旨が求めるところである。
(2016年12月18日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.12.18より許可を得て転載
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