テント日誌12月19日…淡々とだが続いている座り込み
- 2016年 12月 21日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
淡々とだが続いている座り込み現場である。 12月17日(土)
Kさんが「荒川区でヘイトデモがあるらしい。カウンターには人数が少ないけれどせめて監視だけでも。一時過ぎにそちらに行きたいのだが」と言うので「是非行ってきてください」と快諾した。
今日は風もなく暖かい。座り込みの準備をしていると暑くなってきた。上着・マフラーを次々と脱ぐ。「いつも天気に恵まれるね」とKさん。一時過ぎにKさんが荒川へ向かった後は女性3人計4人で座り込み。以前「女の中に男がひとり」と冷やかされたことがあったな。たしか「お花畑にいます」と切り返した記憶がある。
跡地では案内地図の土台周辺に職人さんがひとりでタイルを敷いていた。水準器を使い丁寧にタイルを置いていく。でも案内地図には近づけないのは変わらない。案内地図は誰のためのものか? 経産省の敷地に公共の物を置くのが間違い?敷地周囲の歩道に面した部分は高さ1メートル位の鉄柵(下はコンクリートブロック)で覆われていた。5センチほどの高さで丸い鉄棒が飛び出していて槍衾のようだった。通行人がそこへ倒れでもしたら大変危険な突起物だ。
座り込みに来てくれた女性が歩道近くの正面入口敷地内の落ち葉を拾いたいといったら経産省の敷地だから駄目と断られ、取ってくれますかと聞いたら無視されたそうだ。歩道で集めたプラタナスの落ち葉を見せてもらった。一枚一枚色が見事に違った色合いで綺麗だった。絵のモデルにどう?と勧められたが大きすぎて置く場所がなかったので諦めた。
夕方近くになってもSさんが来ない。皆で心配したが別の用事で来なかったことが後でわかった。Sさんが座り込みに来ないなんて滅多にないから皆心配した。今日は外務省の機動隊、丸の内署のお巡りさんは誰も来なかった。Iさん曰く「来ないとつまらない」。うん、確かに。連日のプーチン大統領来日の警備・昨夜の厳しい冷え込みとお疲れ様でした。お巡りさんたちも、お体を大切に。(O・O)
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今日は暖かく過ごしやすかったが… 12月18日(日)
座り込みは12時00分から16時00分まで。のべ8人座り込み。
天気は快晴で風もなくおだやかでした。
日がよく当たるので15時半くらいまでは暖かく過ごしやすかったです。
師走の忙しさはあまり響いてこないで静かな一日だった。
この日は主要メンバー2名が欠けたので荷物は最小構成です。主要メンバーは他所の行動に出掛けていたのです。
警察の指揮車が来て制服警官1名が来ましたが、すぐに立ち去りました。
それ以には特に変わったトラブルはなく穏やかに終わったような感じです。 (N・Y)
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バナーに書かれた意味を問え!
11時25分事務所着、テントニュース97号を持ち出し11時50分に経産省前に着く。
いつも通り街路樹と電柱にバナーを財務省側と経産省側に張り付ける。Yさんはノボリと椅子を使いバナー張りに勤しむ。
いつも通り警官が訪れるがなにか困った様子なので声をかけると、「街路樹側の幕をどうしても外してほしい」と言う。
聞くと「今日は上から厳しく命令されている」そうだ。もう一人警官が増えた。通報先は知らないという。
「所管の国交省に連絡したら」と伝えると納得して引き上げる。
ほぼ完成したテント跡地の植え込みはツツジの幼木で200~300本ほどびっしりと植えこまれた。
完成間近なのだが鉄柵付の緩衝帯に監視カメラはいかにもテント排除の証しではないか。
バナーに書かれた意味を問え! 12月19日(月)
11時25分事務所着、テントニュース97号を持ち出し11時50分に経産省前に着く。いつも通り街路樹と電柱にバナーを財務省側と経産省側に張り付ける。Yさんはノボリと椅子を使いバナー張りに勤しむ。いつも通り警官が訪れるが、何か困った様子なので声をかけると、「街路樹側の幕をどうしても外してほしい」と言う。
聞くと「今日は上から厳しく命令されている」そうだ。もう一人警官が増えた。通報先は知らないという。「所管の国交省に連絡したら」と伝えると納得して引き上げる。
ほぼ完成したテント跡地の植え込みはツツジの幼木で200~300本ほどびっしりと植えこまれた。完成間近なのだが鉄柵付の緩衝帯に監視カメラはいかにもテント排除の証しではないか。「ここにテント在り」バナーがよく似合うので寄付したい。
通行者に声をかけニュースを配る。テレビカメラが経産省のプレートを撮影している。ニュースに使うのだろうが何か大きな会議が行われているのか。帰宅して知ったが今日はもんじゅ廃炉の代替開発方針を議論する「高速炉開発会議」が行われていた。なるほど、おひざ元でNO NUKESバナーは撮ってほしくないわけだ。「原発はコスト安」などと宣う世耕大臣をもっと誹謗しておくべきだった。
テントの頃によくみえたHさんがもう一人の女性と植え込み前でスタンディングしている。「この角が目立つのでお気に入りの場所」とのこと。しばらくして経産省前でも、「弱者を棄民する東電、安倍を許さない!」と大声でこきおろす。そうだ!の合いの手を入れる。暖かい日で西風が心地よく座り込みも延べ10名を超える。
大きなマスクをして引継ぎのSさんがやってきた。インフルエンザで1週間も寝込んだそうだ。「サンケン電気本社に整理解雇を撤回させよう!」のビラを渡される。韓国サンケンの100%子会社が新座市にあり抗議支援しているという。
そんな時、ヌゥーと国交省の担当官2人が現れた。街路樹のバナーを外せというクレームが入り来たという。6時に撤収するというとあっさり「伝えました」と画像を撮り帰って行った。 (I・M)
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グローバリゼイションは何処へ行くのか 12月19日(月)
地下鉄の出口から地上に出て、テントは今日もあるな、と確認していた日々が懐かしいのだが、かつてのテント跡はつつじが植えられていて、見通しはよい。テント以前のことは意識にないのだからその前のことはよくわからないが、僕らはテント跡の前を有効に活用する算段を考えるべきであろう。官邸前から降りてくる茱萸坂は毎週金曜日の官邸前抗議集会の場になっているし、国会の周辺を表現(異議申し立て等)の場にするのは当たり前になっている、だが、少し前までそこは厳しく規制され、ゼッケンをつけて国会周辺を徘徊(ぶらつくこと)も禁じられていたのである。国会や官庁が、官僚などが独占的に占有し、人々が近づくのを禁じてもいたのだ。「書を捨てて街にでよう」といったのは寺山修司だが、こういう場を時には占拠し、表現の場にするのは当たりまのことにしよう。それは国家(官僚)との闘いによって人々が勝ち取ってきた歴史であり、国家が神聖にして、独占的に場を占める歴史との闘いの歩みである。もちろん、これは国家が国民の意思や意向と関係の場所で共同の事側を決めて行くことへの異議申し立てのためであり、その、日本的な伝統と闘うためだ。
僕らはテントを作り、経産省に向かって意識的、無意識的な圧力を原発行政の変更を要求してきた。福島第一原発事故によって、原発についてばら撒かれていた多くの幻想(神話)は化けの皮がはがれ、経産省など原発行政を独占してきた面々もこれまでのあり方の変更を余儀なくされた。全国の原発は稼働を停止、あらためて存続の是非を問う声が広範に出て来たからだ。だが、経産省の官僚たちは、福島第一原発の事故の収拾もできず、その検証もできないのに、現在、停止中の原発の再稼働を目論んできた。彼らのこの道はうまくいってはいない。当たり前のことである。
彼らは国民のいない場でことを進めるという伝統的な日本の政治を踏襲しているだけだが、思惑通りに行くわけがないのだ。だが、僕らの闘いの「日は暮れて道遠し」という様相の中にある。闘いはいつだってこんなものだろうし、脱原発―反原発の長い闘いは特にそうかもしれない。テレビやネットでは逝きし人を惜しんでいるが、僕らは身辺でおなじことを経験している。人の別れはいつの時代も悲しく、切ない思いをのこすが、ひとしを、それを感じさせる日々だ。わが胸や心の内に目をおとしながら、権力に異議申し立てをし、彼等の所業の変更を迫る闘いの道の遠きことを思いやる。世界はグローバリゼイションへの疑念が溢れ出してきた。疑念は当然m¥のことだが、それをどう変えていくのか、その構想やビジョンをえがけるか。それは権力との果てしない闘いとその道の遠さと別のことではない。闘いを背後に持つ構想やビジョンが必要とされている。(三上治)
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反原発美術館(丸木美術館内)では講演会が 12月18日(日)
今日(12月18日)は日曜日で市内循環バスが運休なので、つきの輪駅から歩いて(30分)丸木美術館に着いたのが10時でした。わたしの前に二人の若い女性が入館するのが見えました。急いで反原発美術館に行き、電気ポットでお湯をわかしたりしながら、鑑賞者を迎える準備をしました。幸い、今日はそんなに寒くなく、なんとかテント内にとどまっていることが出来ました。
準備が終わったころ、大東文化大学の男女学生7人が先生(教育科)とともに入館し、学芸員の方から原爆の図の案内を受けていました。
しばらくして、反核反戦展にも見えたので、反原発美術館にも誘いました。最初、先生のみが来て(その時点では先生だとはわからなかった)、説明をしていると、学生さんたちも次々に来てくれました。みな、興味深そうに説明を聞いてくれました。希望があったときのために、281さんのデザインの布作品と同じ缶バッジなどを用意して行ったのですが、次々に買ってくれたのもうれしかったです。
今日は天気がよく、テント内もそんなに厳しい寒さでなかったせいか、皆、差しいれのお茶を飲みながら、ゆっくりしていってくれました。これまで、お茶を勧めても断られることが多かったのですが、今日はあたたかいお茶を手にゆっくりして行ってくれたので、テント内の気温とお茶の受け取りの関係がわかりました。断るときは、温かいお茶を進められてもとどまっていたくないほど、テント内が寒かったということのようです。
学生さんのうち2人が来月4泊5日でソウルに行くそうなので、友人がボランティアをやっている新大久保の高麗博物館の見学も勧めておきました。
このグループはその後、丸木夫妻が建てられた朝鮮人慰霊碑を見にいくとのことでした。午前中にはこのほかにもテントを知っている人も見えたりして、一人だったので結構、応対に忙しかったです。
11時半ごろに早川さん、井上めぐみさん、橋ゆきさん、馬場さんが来て、午後のイベントの準備が始まりました。午後のイベントについては別途、報告をまとめるので、ここには詳しく書きません。参加者は17人、1時から3時まで井上さんがこれまで毎月のように訪れて来た福島の生々しい報告を聞くことが出来ました。テントの再建展示してある、ベランダの手前の部屋を使えることになったので、お話はそこでゆっくりと聞くことが出来ました。そのあと、テント内に移動し、そこにかけられた井上さんが撮影してきた数々の写真パネルを見ながら、井上さんの説明を聞いたり、質問したり。そのあともお茶を飲みながら、交流が続きました。
今日も訪れてくれた方々といろいろお話することが出来、充実した時間を過ごすことが出来ました。(T・A)
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一周ずれましたが、川柳句会から 12月11日(日)
12月11日(日)午後1時より脱原発青空テント川柳句会が開催されました。 選者は乱鬼龍氏、席題は「明るい」、「めざす」 3時投句締切、3時半頃より入選者の発表、講評となりました。
参加者は 初参加の方も含めて 7名、北風が強く吹き付ける寒い日ではありましたが、良く晴れていて陽に当たっていると暖かでした。
入選者へ選者より様々な景品が手渡されました。入選句は以下の通りです。(S.E)
「明るい」
特選
・明日知れずされど明るい明日希(のぞ)む - 落葉
秀句
・ネオン街原発なしで煌々と - 草地
・友達と遊び輝く子どもたち - 無位史膳(むいしぜん)
・安倍やめて原発やめれば明るい世 - コロッケ
・原発の未来明るく廃炉のみ - 芒野
・暗い世に明るいニュース安倍辞任 - 花水仙
「めざす」
特選
・グローバル経済脱し個に帰る - 芒野
秀句
・福一の廃炉めざして20兆 - 花水仙
・止まるまでみんなでめざす脱原発 - コロッケ
・戦争と核のない世を只目ざす - 落葉
・めざせ解明福島3号核爆発 - 原子力ドンキホーテ
・再稼働目指す社会の無知と無恥 - 無位史膳(むいしぜん)
次回の 脱原発青空テント川柳句会は1月22日(日)13時からの予定です。
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12月23日(金)午後5時から経産省前抗議行動。テントひろば主催
官邸前抗議集会は6時から首都圏反原連
テントひろばは今年最後の周(12月26日~31日)に経産省前でイベントなどを企画しています。詳細は次の日誌で発表します。参加を。歳の最後にはひろばに顔をだし交歓などをやりましよう。
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