事件を見る視角(続き)──先週の新聞から(18)
- 2011年 3月 3日
- 時代をみる
- G20 中央銀行・財務相会議ドイツの「恫喝外交」玉虫色の合意脇野町善造
かなり貧弱な知識で外国の新聞を眺めていることは過去のこの報告で既に触れたと思う。今回はその貧弱さがいかにひどいものであるかをさらけ出すことになるが、そしてまたそれ故に、「翻訳できなかった文章」を外国語のままで伝えることになるが、あらかじめお許しを請うことにする。
前便(第17信)で2月19日に閉幕したパリのG20 中央銀行・財務相会議の報道のされ方について触れた。そこでは、会議の紛糾ぶりは、「2月19日のWSJ(Wall Street Journal)を読めばよくわかる」と書いた。報告では触れなかったのだが、この記事のなかに次のような文章があった。
“It means what it means what it means, just like a rose is a rose is a rose,” Christine Lagarde, France’s finance minister, told reporters after emerging from the Group of 20 talks.
各国の経済の「ゆがみ度合い」を示す指標に関する玉虫色の合意文書についてのフランス財務相の「コメント」(といえるかどうは、今はさておく)である。私の貧弱な知識では、”It means what it means what it means, just like a rose is a rose is a rose,”をどう訳せばいいのか分からなかった。財務官僚が会議の分裂だけは回避しようとして、どうにでも読める無内容な文書を作ったということであろうと理解し、それっきりになっていた。
ところが、2月26日付けのEconomistを眺めていたら、次のような文章が出てきた。
“It means what it means what it means, just like a rose is a rose is a rose.” That is how Christine Lagarde, France’s finance minister, explained the statement on what to do about global economic imbalances issued after a meeting of her G20 peers in Paris. She might have said: “just like fudge is fudge is fudge.”
またも、“It means what it means what it means, just like a rose is a rose is a rose.”である。この発言はパリの会議を取材した各国の記者によほど強い印象を残したようだ。こうなると気になってきて、知人に訊いた。どうやらこれは、「バラを定義するのに、『バラとはバラである』というのと同様、今回の合意が何を意味するかといえば、『それが意味するのが、その意味だ』ということだ」ということのようだ。Economistの記者は、“just like a rose is a rose is a rose.”を“just like fudge is fudge is fudge.”ということだろうと言い換えてくれた。「バラ」を「たわごと」(fudge)と替えただけではあるが、これでラガルド財務相が指標に関する合意文書をどう評価しているかは、いっそう明瞭になる。どうとでも読める合意文などいうものは何の意味もないものであって、そういうものしか作れなかった会議の結果を、彼女は自嘲的にそして正直に振り返っているといえる。
日本でこういう会議が開かれ、玉虫色の合意文書がまとめられた場合を想定してみたらいい。我が国の財務相は「大きな前進が得られた」という自賛的なコメントしか出さないであろう。しかしフランスのラガルド財務相は、“It means what it means what it means, just like a rose is a rose is a rose.”と語った。彼女がどういう経歴の人物であるかは知らないが、記者に対してこういう発言ができるということだけで、感心してしまう。失敗を失敗として認めることは、あらゆる場面において必要不可欠なことであろう。それを決してやろうとしない集団ほど救いのないものはない。われわれはそれをいやになるほど見てきたし、今もなお見ている。
そう考えていたら、このことを伝えなかった日本の新聞にまた腹が立ってきた。伝えるべきものの選択とその伝え方とで、読者の受け止めようは大きく変わってくる。そのことをジャーナリストはどこまで自覚しているのであろうか。
「伝わり方」は単語一つでも左右される。2月26日の El país に、ポルトガルのソクラテス(Sócrates)首相がベルリンにいくことになったという短い記事が掲載された。形の上では、ドイツのメルケル首相の招請を受け入れたということになっている。しかし、ベルリンでは、3月上旬のEU首脳の臨時会議、同月下旬の定例会議(そこでは、2月4日のブリュッセルでのEU首脳会議でまとまらなかった政策協調が再び問題になる)のことが欧州金融安定基金(EFSF)の利用の問題とともに話し合われるという。ドイツ(メルケル首相)は、30年来の経済危機に陥っているポルトガルを支援する条件として、自国が提唱している政策協調への同意をポルトガル(ソクラテス首相)に求めるのであろう。「助けてほしければ俺の言うことを聞け」ということである。姿勢や言葉遣いはどうであれ、ドイツの「恫喝外交」である。それが分かっていながら、ベルリンに行かざるを得ない、そしてメルケル首相に屈しざるを得ない、ソクラテス首相の心中は察するに余りある。
スペインもポルトガルと同じ道を歩くことになるかもしれないことを思えば、スペインの新聞であるEl paísがポルトガルに同情的になってもおかしくはない。もちろんEl paísは露骨にドイツを批判することも、ポルトガルを擁護することもない。事実を伝えているだけである(ドイツの「恫喝外交」というのは私の勝手な感想に過ぎない)。ただ同紙は、ベルリンに行くことになったというソクラテス首相の声明を、“ir a Berlin”ではなく、“acudir a Berlin”(原文はその未来形)という表現を使って伝えている。「ベルリンへ行く」ということをソクラテス首相がポルトガル語でどう表現したのかはわからないが、スペイン語では「行く」という場合は通常は ir という言葉が用いられる。しかしここでは、irではなく、acudirとなっている。これには「呼びつけられたので行く」という含意がある。この言葉からは、ソクラテス首相のベルリン行きに対するEl paísの思いが伝わってくる。
メルケル首相をヒトラーに重ねることはたぶん間違いであろう。しかし、腕っ節に訴えるだけの強面の男よりも、穏やかな笑顔を湛えながら、「ねえ、困っているんでしょう? 手助けしてもいいわ。その代わり、私のお願いも聞いて頂戴」と穏やかに手を差し伸べる女性の方が、はるかに怖い場合もある。予定ではソクラテス首相とメルケル首相の「ベルリン会談」は3月2日(水)に行われる。従ってこの報告が掲載される頃には、もう会談は終っている。その会談の結果をEl paísは果たしてどう伝えるのであろうか。
地中海南岸で大規模な流血の衝突が続いている。本当はそっちのほうが、ブリュッセルの迷走する会議や、ベルリンに呼びつけられたソクラテス首相の屈辱よりは遥かに重要なことだと思う。そして、少し前だったら、こういう事件が起きれば国際通貨市場は甚大な影響を浴びていたはずだ。資金の逃避先としてのドルの駆け込み需要が生じるからである。しかし、今回は違う。2月25日のWSJは、「今回の石油ショックではドルは逃避先通貨としての立場を失った」としている。中近東の政治不安が引き起こすであろう「原油高」はアメリカにも大きなマイナス要因となり、ドルは「セーフティーネット(安全網)というよりは、ほつれかけたハンモックのようにさえみえる」という。「戦時にはドルが強くなる」というのはもう神話になったようだ。当たり前の話だが、時代は動いている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1218:110303〕
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