パルチザンの歌 よみがへる!
- 2017年 1月 6日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
最近、昔のパルチザン歌が唱われているらしい。旧ユーゴスラヴィア諸国、すなわちセルビア、クロアチア、スロヴェニア等のコンサートで、広場で、通りで。パルチザン歌を主に歌う合唱団もかなりの数が活動しているようだ。
スロヴェニアの民族音楽研究家 アナ・ホフマン女史が『パルチザン歌の新しい生命』なる書を出版した機会に、ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2016年12月26日)で発信していた。以下に彼女の発言を要約紹介しよう。
パルチザン歌が再び唱われ出したのは、過去へのと言うよりも、現在の諸問題への関心からだ。
旧ユーゴスラヴィア崩壊後、反ファシズム斗争の業績は、否定され、修正主義の的となった。かつて数百万の人々の日常生活にあったパルチザン歌は、「イデオロギー的に汚れている」音楽、共産主義レジームの産み出したものとされ、公共生活から追放された。そんな音楽が復活しつつあるのは、過去を理想化してではなく、社会問題を解決しようとする諸志向、諸理想、諸価値が今日では簡単に脇へ押しやられているが、かつてはきちんと存在していたという事実を示したいからだ。
今日歌われているパルチザン歌のレパートリーをみれば、それがわかる。森や山の中での戦斗歌だけではなく、インターナショナルやパンデラロッサ等がユーゴスラヴィア中の抗議集会でうたわれている。見捨てられたパルチザン戦記念碑の所で歌う。解雇された労働者達の前で歌う。難民問題でスロヴェニアとクロアチアの国境に配置された鉄条網の前で政権の難民政策を批判して唱う。民族的憎悪を利用する民族エリートに反対して唱う。セルビア、クロアチア、スロヴェニア、マケドニアにそんなパルチザン歌合唱団が活躍している。また、ウィーンから「合唱団11月29日」もやってくる(1943年11月29日、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのヤイツェで、対ナチズム抵抗戦争の全ユーゴスラヴィア会議が開催された。岩田)。
パルチザン歌の歌唱は、私有化、公私債務、大格差不平等からなる新ファシズムへの抗議である。
もうすでに四半世紀前になる。東西体制間競争に敗れて、ソ連東欧の集権制党社会主義が完全自崩した。その衝撃波の中でユーゴスラヴィアの労働者自主管理制党社会主義もまた党社会主義を脱皮できず、半自崩・半他壊した。その頃ベオグラード共和国広場で多数の民衆が旧王国時代の国歌をはじめとする愛唱歌を次々と歌い出した。その中に私の女友達がいた。「コムニストの時代には歌えなかったの。」と彼女等は目になみだしながら歌っていた。それから急速にコムニスト時代を象徴する歌が消されて行った。今日、再び復活しつつある。どちらの歌が常民民衆の歌なのであろうか。どちらもだ、としか答えられない。
平成29年1月4日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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