此の世の成立ちを観る基盤
- 2017年 1月 9日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
暦では、新しい年を迎えて、世間では、正月を祝う人々で各地の神社は人並みに溢れたそうです。
他人事のように書きましたのは、自身が世上で言われる処の正月を祝うことをしないからです。 理由は、亡父の口癖でありました「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」との一休宗純作と言われる歌にあるとおり、ただ、此の世に生を受けた定めに従わねばならない平等原理の下にある運命を知るからで、他にさしたる由来はありません。
本音を言えば、神社に詣でるのが阿保らしい、からです。 神道の信者でもありませんし、実際、あらゆる宗教を信じていないので、何かを拝む等と云う行為が馬鹿らしいからです。
と云えば、お前は、仏教の信者ではないか、それが証拠に両親の葬式は仏式で行い、御叮嚀に仏寺に納骨までしているではないか、との非難の声が聞こえるようです。 そう非難されれば、確かに仏事は済ました処ですが、それは、世間的な「習俗」に従ったのみであり、特段に仏教に帰依している訳ではありません、と答えるしかないのです。
そして、特段、世間一般の習いに反旗を翻す蛮勇が無いだけです。
私が、昔から、神社に行くのは、祭りの折には、夜店が出るからでしたし、正月に両親のお伴で神社に行けば、其処でも出店が沢山出て居て楽しかったからでした。 長じて仏寺へ行けば、私の趣味である園芸の手本が観られる処です。 何処の仏寺でも、庭があり、特定の品種の草木を栽培し、春化秋冬の花々が観られるからです。
従って、何方かと云えば、何処の地方へ行けども建築規模と賽銭箱等は違えども樹木の植栽の様が同じで、時代と作庭家の差異が反映した一定の作風に依る園庭の無い殺風景な神社よりも仏寺の方が好ましく思えます。
翻って世間を観れば、現在、この国は、古に回帰せんとする政治家等が蠢動していて、彼等の殆どが靖国神社等の神社に参られて、何事かを祈られているようです。
勿論、政治家も宗教を信じるのも信じないのも自由であり、神社に参られるのも憲法上の規定に従ってなされるのであれば自由です。 ですが、本当に彼等は、神社神道を信じているのでしょうか。 私には、宗教を利用しているだけに思えて仕方がありません。
更に言えば、この国では、本当に特定宗教の信者である者は、極少数派ではないのでしょうか。 残りの者は、単なる「習俗」としての行いをしているだけでしょう。
亡母を例にとってみましょう。 亡母は、自身が浄土真宗本願寺派(西本願寺)の信者、所謂、門徒である処、進んだ女学校は、東本願寺派の大谷でした。 昔、ある時にその由来を尋ねました処、「東も西も、たいした違いはあれへん(無いの)」と無邪気なもので、その後、続けて、「本願寺や言うて、なんぼ(いくら)拝んでも、死んだら終わりや」と呆気無く話を切り上げて大笑いしました。
この国の大多数が、亡母と同じ、と言いたい訳ではありませんが、それこそ、「たいした違いはあれへん」でしょう。
端的に申しまして、神や仏は、存在すると思われますか。 そんなものが実在すれば、御目にかかりたいものです。 そして、我が家の愛猫をこの手から奪った罪で、死罪を言い渡してやります。
翻って、視点を海外に転じれば、今や、世界は宗教戦争の渦中にあるようです。 数世紀も以前の西と東の夫々信じる処の宗教戦争が、未だに継続しているのか、とも思える様です。そして、各国とも今でも宗教的権威が民衆を支配している様が窺えます。 その中に在っては、科学者も御自身の科学的見解を披歴する結果、非難を受けることにもなります。
例えば、私の尊敬するケンブリッジの碩学ホーキング博士は、嘗て自著「The Grand Design」で神の存在を否定されましたが、当然のことに天国も死後の世界も否定される処です。 そして、そのために非難を受けることにもなられました。
博士の言で今も鮮明に覚えている一節があります。
曰く「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、『壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ』と述べた。」とReutersの記事にありました。
「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言 Reuters Oddly Enough | 2011年 05月 17日 11:18 JST http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-21136220110517?feedType=RSS&feedName=wtOddlyEnoughNews
ホーキング博士の証人として、何等かの傍証を出すとしたならば、不詳、この私の若干の経験を御話しましょうか。 それは、幼児の折のことで、既に両親も他界したことですので、此処で少し告白したとしても叱られることも無いのですから。
私が幼児の折、住まいは、周囲が田畑に囲まれた田舎の百姓家でした。 水道もガスも無く、井戸から汲み上げた水を用いた炊事で、日々、都会生まれの亡母が苦しんでいました。 亡父は、偶に夕食時に御酒を飲んだ時であったでしょうか、冗談であったと思いますが、便所に妖怪が出るぞ、と脅すことがありました。
田舎の家の便所は、本棟には無くて廊下の奥の少し離れにあったので、暗くて怖い空間でした。 でも、脅されても、必要とあれば便所には行かねばならないのですから仕方がありません。 妖怪であろうが、何であろうが止むを得ない、と悲壮な決心で便所に行く私を見て、亡父は、私が妖怪を恐れない子供、と単純に思ったようでした。 私としては、怖いも何も必要の前には恐怖心に勝つことが出来るのみでしたが。
どうもこの時期の経験が、妖怪、幽霊等の存在を疑問に思う心性が出来る端緒になったのでしょう。 そして、次第に自分が大胆になるようでした。
最初は、見事に咲いた彼岸花を妹のために取りに行くのが動機で、自宅から国道筋を超えた人家の無い場所にある墓場へ行くことでした。 其処は、生い茂った樹木のせいで昼なお暗い場所であり、多少開けた箇所に多数の彼岸花が咲いていることを古老から聞いた私が、それでは、自分が採りに行く、と妹に告げて何度か墓地に行ったのです。
勿論、幼児の頃ですから、最初は怖かったのですが、何度か墓地へ行く経験を積むと、妖怪も幽霊も出ず、特に怖い経験もしませんでした。
爾来、家人には何も言わず、墓地が私の遊び場の一つになりました。 やがて、国道筋から少し離れた場所へ墓地が移転してからは、広い墓地の中で夏には、蜻蛉や蝶を採り、春や秋には近くの小河で小鮒を捕え、冬には雪を集めて遊びました。
そうする中に、小学高学年時の或る時に、妖怪や幽霊が居るのなら、何故、自分には見えないのか、と疑問が生じました。 人魂でも、近隣の御寺の境内で亡母と妹は見たことがあるのに、その折に同行していた私には全く見えなかったのでした。 残念だ、見たい、と思いました。
そして、自分には何も見えないその理由は、日中に墓地や神社で遊ぶのみであるから、見ることが出来ないのではないか、と見当をつけました。
それなら夜に行ってみよう、と思ったのでした。
ある日の深夜に、自室になっていた物置の窓から出た私は、墓地へ行きましたが、何事も無く、では神様には出あうかも、と日を代えて神社へも行きましたが、何事も無く、ただ、出かけた日の朝には寝ぼけた顔で登校することになったのでした。
それだけでは、此処で懺悔する必要も無いことかも知れません。 でもそれで気が済まない私は、自身で妖怪か、幽霊を出してやろうとしたのでした。 ただ、妖怪や幽霊を演出するのには、必要な物資も要ることですし、人魂なら自分でも出来る、と思いつき、針金を釣り竿に結び付け、針金の先に脱脂綿の玉を付け、其処へアルコールを付けて燃やし、深夜に演出する段取りを整えたのでした。 ただ、問題は、深夜に墓地で人魂を演じても誰も見ない、と云う単純な結果が待っていることでした。
其処で、亡母と妹を怖がらせようと自宅の庭で挙行した晩に、悲鳴をあげた亡母と妹の叫び声に気付いた亡父に見つかり手酷く叱責を受ける羽目となったのでした。
これ等の笑い話(では無いのかも)の結末から、自身が導き出したのがホーキング博士と同等の結論とは。
哲学も思想も体系的学修が不要の、児童の折の経験から出た自身の此の世の成立ちを観る基盤です。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion6451:170109〕
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