洋学紳士の民主主義はプラスかマイナスか――『三酔人経綸問答』の現代性――
- 2017年 1月 9日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
「評論・意見・紹介」欄 新年1月5日に「憲法第9条は明治20年に誕生した?!」を載せた。そこで依拠した中江兆民『三酔人経綸問答』(岩波文庫)について更に紹介してみたい。今日唯今の諸問題に関連付けてだ。
琉球独立論との関連で。
洋学紳士:「・・・は、ひとしく人間です。・・・・・・。イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどはなおさらのことです。インド、シナ、琉球などは、なおさらのことです。(現代語訳p.41、原文p.147)」
明治12年(1879年)の「琉球処分(廃琉置県)」によって、琉球王国は、日本帝国の一つの県になったはずであるが、中江兆民は、洋学紳士の口を借りて、琉球を印度、中国、英、仏、独、露と同列の異国としている。この文脈で想起される歴史書がある。坂野潤治著『日本近代史』(ちくま新書)である。『日本近代史』でありながら、近代日本国民の形成が全く分析されていない。大和民族主導の下に琉球民族とアイヌ民族が日本国民に転成して行く歴史過程が論述されていない。「琉球処分」さえ不問にされている。その理由がわからなかった。しかしながら、今、中江兆民が琉球を明治20年になっても異国、外国であると見ていた事を知ると、著者・坂野が近代日本史の論述において琉球を不問にした気持もわかるような気がする。難問だったのだ。
清国(中国)割き取り論について。
豪傑君:「アジアだったか、アフリカだったか、・・・・・・、大きな国がひとつある。・・・・・・、とても広く、とても資源がゆたかで、一面とても弱い。・・・・・・その国は兵隊が百万以上あるけれども、乱雑で無統制で、いざというときの役に立たない、とのこと。つまり、よく肥えた大きなイケニエの牛なのです。・・・・・・なぜさっさと出かけていって、その半分、あるいは三分の一を割き取らないのですか。・・・・・・。その国の半分あるいは三分の一を割き取ってわが国とするならば、われわれは大国となるでしょう。・・・・・・。小さなわが国がたちまち変ってロシアとなり、イギリスとなるでしょう・・・・・・。」(pp.69-70、pp.171-172)
豪傑君は、現代語訳pp.72-73、原文pp.174-175においても全く同じ割き取り論を熱弁している。
豪傑君は、「イケニエの牛」国の実名をあげていないが、中江兆民の南海先生は、それを中国と見て、以下のような豪傑君批判を展開している。長々となるが、あえて引用しよう。
南海先生:「そもそも豪傑君のいわゆる、アフリカかアジアのさる大国というのが、どこを指すのか、私にはもちろんわかりません。しかし、もしその大きな国というのがアジアにあるとしたならば、たがいに同盟して兄弟国となり、すわというときにはたがいに援けあう、そうすることによって、それぞれ自国の危機を脱すべきです。やたらと武器を取って、かるがるしく隣国を挑発して敵にまわし、罪もない人民の命を弾丸の的にするなどというのは、まったくの下策です。
たとえば、中国などは、その風俗、風習から言っても、その文物、品格から言っても、また地理的に言っても、アジアの小国としてはいつもこれと友好関係をあつく、強くすべきで、たがいに恨みをおしつけあうようなことのないよう、努力すべきです。わが国がいよいよ特産物を増し、物資を豊かにするならば、国土が広く、人民のいっぱいいる中国こそ、われわれの大きな市場であって、尽きることなく湧く利益の源泉です。この点を考えずに、ただ一時的に国威発揚などという考えにとりつかれて、ささいな言葉のゆき違いを口実にして、むやみに争いをあおりたてるのは、ぼくから見れば、まったくとんでもないゆき方です。」(現代語訳pp.105-106、原文pp.202-203)
これは、130年前の東アジアにおける国際交際論である。平成29年(2017年)の現在においても完全に有効である。但し、大きな相違点がある。130年前、1887年の日本は、東アジアの弱小アルヒペラゴにすぎなかった。そして、中国は東アジアの老衰大陸であった。三酔人は、かかる二事実を大前提として議論していた。ところで、ここに確認しておくべきことがある。明治日本前期に豪傑君のような大陸割き取り論者がいたように、同時代の清国=中国にも亦豪傑君がいて、横長列島を略取して、そこを北洋艦隊の遠洋出撃根拠地にして、欧米の諸艦隊にいどむと言うような帝国主義的政策を皇帝に建言していたか否か、を知りたい。さて、130年昔のことはこれくらいにしておこう。
今日、中国は、世界第二の経済大国であり、かつ政軍大国である。日本も亦世界第三の経済大国であり、かつ文武強国である。南海先生の基本姿勢を生かす具体的道は如何?。
豪傑君への反対論以上により深く現代国際政治の実相を射貫く南海先生の立論がある。それは、洋学紳士に対する鋭利な批判の中に見られる。
南海先生:「紳士君は、もっぱら民主制度を主張されるが、どうもまだ、政治の本質というものをよくつかんでいない点があるように思われます。政治の本質とは何か。国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうど見あいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させることである。もし国民の意向になかなかしたがわず、その知的水準に見あわない制度を採用するならば、平穏な楽しみ、福祉の利益は、どうして獲得することができるでしょう。かりに今日、トルコ、ペルシアなどの国で民主制度をうち建てたとすれば、大衆はびっくり仰天して、騒動しだし、あげくの果ては、動乱をかきたて、国じゅう流血さわぎになる。たちまちそうなるに決っています。それに紳士君の言う進化の理法によって考えてみても、専制から立憲制になり、立憲制から民主制になる、これがまさに政治社会の進行の順序です。専制から一挙に民主制に入るなどというのは、けっして順序ではありません。なぜかと言えば、人々の頭のなかには、まだ帝王思想とか公爵伯爵的イメージが、その奥底につよく刻印されていて、眼こそ見えないが、まるでその人の御本尊様かお守り札のようになっているとき、にわかに民主制をはじめるならば、大衆の頭はすっかり混乱させられてしまう。これはまさに心理的法則なのであります。そのばあい、たった二、三人の連中だけが、ひとり悦に入って、民主主義は道義にかなっている、などと喜んでみても、大衆があわてとまどい、わきかえるのを、どうしようもない。これはわかりきった理屈です。」(pp.97-98、p.196)
引用文で強調体にしておいた個所、「騒動」、「動乱」、「国じゅう流血さわぎ」は、南海先生が危惧した通り、旧ユーゴスラヴィアの東南部諸国、ウクライナ、エジプト、イラク、リビア、そしてシリアにおいて21世紀の今日常時出現している。不幸なことだ。南海先生の時代とは異なって、民主制が急速に導入されて、「ひとり悦に入って、民主主義にかなっているなどと喜んで」いる人達は、今は「たった二、三人の連中」だけではない。人口の1割から2割になるのではなかろうか。主にいわゆる知識人層で、北西部ヨーロッパ・北米に生まれた近代社会科学・社会思想(リベラリズムとマルクス主義の一対)で教育された階層である。ところが、その民主制は、西欧北米におけるように長い歴史を経て社会生活の真中から創成して来たものではない。現体制や現行政権に対する諸反対派――民主主義者もいれば、権威主義者もいる。――が自由民主主義革命の本拠地アメリカ合衆国の政治エリートを説得し、あるいは利益誘導して、そして、アメリカの金融産軍複合レジームは人道的介入の大義名分を獲得して、合衆国の圧倒的な武力と金力とマスメディアと市民力(NGO等)とを借りて、形だけ実現したものにすぎない。かくして、現行体制を打倒することだけなら、ジーン・シャープ博士『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』(ちくま学芸文庫)が説く「非暴力行動198の方法」を駆使して、比較的容易に実行出来た。しかしながらである。打倒されたレジームが常民・民衆の日常生活に提供していた社会秩序は、消失したままで再建されなかった諸ケースが多い。眼前に出現したのは、混沌、カオス、動揺、そして流血であった。要するに、洋学紳士集団が外力を借りて行う民主化・自由化革命の結果は、次の如くである。成功した場合――常民の生活崩壊と無秩序、失敗した場合――現行半民主制の権威主義への退化か現行権威主義体制の強化である。
平成29年1月9日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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