ここがチャンスだ。やめよう、不便な元号使用。
- 2017年 1月 12日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
平成という元号は、来年(2018年)で終わることになるようだ。天皇(明仁)はその希望のとおりに2018年の末で退位して、19年の元日から皇太子(徳仁)が即位して新元号の採用になるという。
毎日新聞はこう伝えている。
「政府は2019年1月1日に皇太子さまが天皇に即位し、同日から「平成」に代わる新しい元号とする検討に入った。平成は30年までとなる。政府は現在の天皇陛下に限った特例として退位を認める特別立法とする方針。政府は退位を実現する関連法案を今春以降、国会に提出する。」
天皇が変わることの煩わしさは、庶民にとってたいしたことではない。代替わり行事などへの出席を強制されることはないのだから。しかし、元号の変更には面倒がつきまとう。この際、元号使用をきっぱりとやめるに如くはない。これを機に不便きわまる元号の使用を国民生活から追放していきたいものと思う。
天皇制の小道具というものがある。かつては、「この国は天皇のしろしめす国なるぞ」と虚仮威しの大道具だった。いまは、知らず知らずのうちに、天皇制を国民生活に浸透させるための文字通りの小道具。
日の丸・君が代・元号・祝日・位記・勲章・褒賞。これが、代表的なものだが、探せばまだいくらでもある。神宮・恩賜公園・皇室御用達・賜杯・天皇賞・天皇杯・国体・植樹祭・歌会始…。そのなかでも、国民生活との結びつきという点では元号の存在感が抜きん出ている。
元号とは、もともとは天子が時を支配するという意味づけで発明された制度であったという。この中国製の制度を後発の近隣諸国が真似た。権力者が制定した元号を使用することは政治的に服属することの表明でもあった。各権力圏ごとに、あるいは文化圏ごとに異なる紀年法と暦法が分立したが、文明の交流が進むに連れて、ローカルな紀年法採用の不便は耐えがたくなった。そうして、今世界標準となっているのが西暦である。
我が国の、西暦・元号の並立は煩わしくてならない。私は、天皇制を拒否する意味で意識的に元号不使用としているが、思想を抜きにして、年代表記ツールとしての元号の出来の悪さと不便はだれの目にも明らかではないか。
元号は、天皇の死という偶発事情によって、突然に変更となる。連続性に欠けるだけでなく、年代の区切りとしての必然性をもたない。この不便な元号は一掃したいものと思う。明治14年から平成14年までの年数を勘定するには、明治14年と平成14年をそれぞれ西暦に置き換えて、引き算をすることになる。効率的には馬鹿げた表記法と言わざるを得ない。
西暦使用は着実に元号を排除しつつある。ほぼ全紙が記事に西暦表示を採用して、いまや違和感がない。手許の日弁連「自由と正義」も、東京弁護士会会報「リブラ」も、西暦を用いている。年賀状への元号表示は、まだ3~4割程度はあるだろうか。いずれにせよ、元号の衰退と消滅は時の勢いである。
個人的には、いろんな紀年法が考えられる。自分の誕生を元年とすることには優れた合理性があるが、他との交流には使えない。結婚の年を元年するのは素敵な表記法で、家族限りでは共有できる。敗戦時を元年として戦後を数えることは再びの戦争をつくらないとする心意気として多くの人に共感を呼ぶだろう。同じ考え方で、「ヒロシマ後」「沖縄後」も、「水俣後」も「ビキニ後」「フクシマ後」もあるだろう。
神社新報は未だに思い入れ強く「皇紀」を使用している。「イスラム暦」や「檀君紀元」や「民国歴」にこだわる人もいるだろう。不便覚悟のローカル紀年法は自由だ。なんでもありでよい。しかし、社会生活ではの元号はごめんだ。何よりも面倒だし、不経済でもある。その押しつけには抵抗しなくてはならない。次第になくして行くべきものだが、平成の終焉は大きなチャンスだ。
さあ、やめよう。不便な元号の使用と暗い道。
(2017年1月11日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.01.11より許可を得て転載
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