(転送)吉永春子さんを偲ぶ
- 2017年 1月 13日
- 評論・紹介・意見
- 澤田
吉永春子さんを偲ぶ
戦中・戦後の闇に肉薄 凄みのあるドキュメンタリスト 諌山 修
吉永春子さん。享年85。何しろ大先輩である。テレビ放送が始まった1955年に当時のラジオ東京入社。録音構成「松川事件の黒い霧」(62年)で第1回ギャラクシー賞受賞。翌63年「ゆがんだ青春」(安保闘争の全学連リーダーが右翼の大立者から資金提供を受けていたというスクープ)で社会に衝撃を与える。さらにテレビ時代には旧日本軍の細菌兵器開発を追った「魔の731部隊」(76年)など、戦中・戦後の闇と謎とタブーに肉薄した、凄味のあるドキュメンタリストだった。
TBS社内ではもっぱら「お春さん」だった。小柄で痩身。軽量、色白。それでいて大声で早口。普段は熱量消費を最小化し、その分のエネルギーを仕事に注ぎ込んでいると思わせる不思議なたたずまいの人だった。6年遅れで入社した駆け出し記者の私には近寄りがたい存在だったが、当時からJCJの活動家で、顔を見ると入会を迫られていたものだ。99年から5年間JCJ賞選考委員をつとめ、3年おいて後輩の私が引き継いだが「とてもユニークな発想の持ち主で、大いに刺激を受けた」(選考委メンバーの柴田鉄治氏)。
昨夏のテレビ放送60周年記念社報の座談会で若手記者にネタ探しのコツを聞かれ、こう答えている。「いろんな人に〈面白いことありますか〉と聞いて回るのよ毎日毎日。情報源を作って毎日通ってれば分かるんです、そこに何が起こるか」──相変わらずの乱暴な語り口はいかにも照れ屋のお春さんらしいが、大抵のことはネット検索で済ませる今どきの若手記者には至言というべきだろう。
(JCJ賞選考委員)
『こころの時代~宗教・人生~「人から人へ」』の本放送。
再放送は1月14日(土)13時~14時 Eテレ
[内容]は、生後8ヶ月の時に広島で被爆した近藤紘子さん(旧姓・谷本)がゲスト。牧師であった父・谷本 清の被爆後の人生は被爆者救済に力を尽くした一生だった。被爆から10年たった昭和30年に、原爆の高熱でケロイドが残る広島の女性たちにアメリカで治療を受けさせることを実現させたのも谷本牧師の力が大きかった。この時、アメリカではテレビのニュースショーとして谷本牧師とともに関係する数人のゲストを招いてインタビューが行なわれた。その時、谷本一家全員もこのテレビショーに招かれ、小学校4年生だった紘子さんも参加。そこに見知らぬアメリカ人男性がいた。その人物こそ、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」の副操縦士キャプテン・ルースだった。憎っくきアメリカ人飛行士として睨み付けていた紘子さんは、そこでキャプテン・ルースが語った言葉とあふれる涙を流し続けるルースの姿を目にすることになる(これ以上のことは番組を見てください)。
この番組のもうひとつの見どころは、インタビュアーのNHK・OBアナウンサーの山田誠(よし)浩(ひろ)氏の話の聞き方です。ほとんど言葉を発せず、ただじっとゲストの話に耳を傾ける、という姿勢でインタビューしていました。いま、このようなインタビュアーにお目にかかるのは極めて稀でしょう。今の時代、ほとんどのアナウンサーは「私が!俺が!」で目立とうとします。山田氏のインタビューのスタンスというものを、現役のNHKアナウンサーはもう一度学び直したほうがいい、と私は思いました。
BS-TBS 追悼特集「TVドキュメンタリスト・吉永春子」
#1 2016年12月17日(土) 午前10:00~11:00
「未復員兵の告発」(1971年)
「花の突撃隊~キャバレー・ハワイの社員教育」(1975年)
#2 2017年1月8日(日) ごご2:00~4:00
「ある傷痕~魔の731部隊」 (1976年)
「街に出よう~福祉への反逆・青い芝の会」 (1977年)
「追及・海部メモの黒い流れ~ダグラス・グラマン事件」 (1979年)
#3 2017年1月21日(土) ごご2:00~3:00
「生中継!魅惑の夜・赤坂」 (1979年)
「密室の中の決闘~自民党40日抗争の行方」 (1979年)
詳細 http://www.bs-tbs.co.jp/information/tv.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6459:170113〕
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