歌は正直に詠み手の心根を映し出すー歌二首評釈
- 2017年 1月 16日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
発表された瞬間に、歌は詠み手から離れる。詠み手から離れた歌をどのように読むかは、読み手の自由である。詠み手から独立した歌がどのように読み手の感性と響き合うか、あるいは不協和音を発するか。それは詠み手の責任ではない。ひたすら、読み手の感性の問題なのだ。それでも、歌は正直に詠み手の心根を映すものとして、読み手の感性に関わってくる。
本日は、最近発表された話題の2首について、私の感性とどう響き合うか。あるいは不協和音を発するか。評釈を試みたい。
2017年1月13日発表の一首
邯鄲の鳴く音聞かむと那須の野に集ひし夜をなつかしみ思ふ
この一首、まずは「邯鄲の鳴く音」に注目しなければならない。
最も美しい鳴き声とされる邯鄲の語源が、邯鄲の夢・邯鄲の枕の故事に由来するとは定説ではない。しかし、漢字文化圏に育っただれもが、邯鄲という古代都市名からは盧生の一炊の夢を連想する。「邯鄲の鳴く音」からは、人生の栄華の美しさにも夢の如きはかなさが伴っていることの暗喩を読みとらねばならない。
言うまでもないことだが、「邯鄲の鳴く音聞かむと野に集ひ」などという想い出が、現代の庶民にあろうはずはない。この歌の詠み手が、現代の特権的な階級に属する人物であることは容易に推察される。
その恵まれたこの歌の詠み手が、人生の終焉に近づいたことを意識して自分の生を振り返り、来し方に栄華とともにはかなさを感じている。権力を振るった者も、財をなした者も、名声を博した者も、権威として君臨した者も、老境にいたっては人生のはかなさを感じるばかりなのだ。
リタイヤを決意した老人が、半生の総括の言葉として「邯鄲の鳴く音」を冒頭に読み込んだものと思えば、なるほど、人生とは美しくもはかないとの感慨が込められていると読み取ることができよう。
もっとも、この歌には「那須の野に集ひし夜」の時期を示唆する言葉がない。「だれとの集い」であったも示されていない。だから想像の幅は広がる。
もしや戦前における父母や兄弟姉妹との懐かしい集いであったかも知れない。とすれば、これこそ茫々たる記憶のかなたの一炊の夢であろう。権力よりも、権威よりも、虫の音を聞くための家族との集いこそが、自分の人生での懐かしむべき輝きであったと言っているのだ。
あるいは、国民が戦争の惨禍に疲弊した時期における特権階級の優雅な行事であったかも知れない。それなら、家族のだれにも戦争での犠牲者を出さなかったという安堵の想い出と解することができよう。しかし、この詠み手の家族が戦争責任といささかでも関わる立場にあるのなら、私の感性との共感は生まれない。
もしかしたら、詠み手は、那須の野に家族を集めてリタイヤ宣言をしたのかも知れない。その際の家族を集める理由を「邯鄲の鳴く音を聞くため」と説明したとも考えられる。とすれば、「なつかしみ思ふ」とは、邯鄲の音ではなく、ようやくこの重い荷を下ろして肩の凝る立場から離れることができるという安堵感を詠ったのだろう。
この歌を、庶民とは無縁の立場の人の老境での過去を振り返っての述懐。そう見ればごく平凡でありきたりだが、時事を詠みこんだ歌と解すれば、解釈に興味が湧かないこともない。
2017年1月13日発表のもう一首
土筆摘み野蒜を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来し
これはまた、特権階級がその特権を謳歌していることを、気恥ずかしげもなく臆面もなく無邪気に歌い上げたもの。天真爛漫とも天衣無縫とも言えるのだろうが、庶民の立場からの怨嗟の声が聞こえて来そうだ。
この歌の詠み手が「住み来し」「ここ」とは、都心の広大な土地と思われる。都市は、人を呼び寄せ人を集積するが、必然的に都市の住環境は貧弱となる。庶民の多くは、春菜摘む土地から引き剥がされ、日照の享受もままならない。もちろん、「野にあるごとく」という自然との共棲などは夢物語である。
それをこの歌は、「土筆摘み野蒜を引きて」と自然の中にある喜びを歌い、「さながらに野にあるごとく」と誇示するのだ。
ひるがえって、地震、津波、原発事故の被災者を思う。まさしく、「土筆摘み野蒜を引きて」という自然の中にある喜びを謳歌していた多くの人々が、故郷を追われて不自由な仮設に暮らしている。あるいは、慣れない都市のマンション暮らしの人々もいる。
詠み手の気持の中には、このような人々を思いやる心情がかけらもない。歌は、正直に詠み手の心根を暴き映し出す。特権階級のその場限りの慈善の言葉や態度の偽善性をも、である。
(2017年1月15日)
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「DHCスラップ訴訟」勝利報告集会のお知らせ
私自身が訴えられた「DHCスラップ訴訟」。その勝利報告集会が近づいてきました。あらためてお知らせし、集会へのご参加を、よろしくお願いします。
日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分~4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演
常任弁護団員からの解説(テーマは、「名誉毀損訴訟の構造」「サプリメントの消費者問題」「反撃訴訟の内容」など)
会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
この集会から、強者の言論抑圧に対する反撃をはじめます。ご支援ください。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.01.15より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=7977
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔eye3861:170116〕
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