ヴァン・ショー
- 2017年 1月 24日
- カルチャー
- 髭 郁彦
ホット・ワインはフランス語でヴァン・ショー (vin chaud) と言う。フランスでは日本の卵酒と同様に風邪のとき、薬の代わりに飲む。だが卵酒よりもはるかに美味い。だから、寒い冬の日にカフェで一杯やって、体を温めてから仕事に戻るといった飲み方もされている。ホット・ワインは英語だと思うかもしれないが、実は和製英語だ。英語ではマルド・ワイン (mulled wine) と言う。ワインを温めて飲むという方法は現在のドイツが発祥のようだ。ドイツ語ではグリューヴァイン (Glühwein)。この飲み方はドイツからヨーロッパに広がり、とくに東欧ではポピュラーなものとなった。もちろん、フランスでも誰もが知っている飲み物となっている。
しかし、ヴァン・ショーはいつから飲まれるようになったのか。そう思い文献を調べてみる。ヴァン・ショーの歴史は古く、いつから飲まれるようになったかは定かではないが、中世ヨーロッパでは、すでにかなり飲料されていたようだ。1420年頃に作られたヴァン・ショー用の金メッキされた銀の杯が、ドイツのカッツエンエルンボーゲン伯爵 (Graf von Katzenelnbogen) の城に残されている。この伯爵は当時ライン川流域に大きな勢力を持っていた貴族だ。わざわざヴァン・ショー用の杯を城主が作らせたということは、当時すでにヴァン・ショーが少なくとも上層階級の人間にとってはポピュラーな飲み物だった証明になるだろう。
中世の君主の中でスウェーデン王グスタフ1世 (Gustav I:1496~1560) は、とくにこのホット・ドリンクを好んだ。グスタフ1世はデンマークからスウェーデンを独立させ、ヴァーサ朝 (Vasaätten:1523~1654) を開いた王として有名だが、彼はヴァン・ショーの愛好家としても歴史に名を留めている。ヴァン・ショーと言っても彼の好んだものは単にワインを温めたものではない。温めたワインにシナモン、蜂蜜、砂糖、しょうが、クローブ(干したチョウジの蕾で、香辛料として使われる)などを入れて飲んだ。酒として楽しむというよりも、一種の健康飲料として飲まれたのだろう。1600年頃、スウェーデンではヴァン・ショーが庶民にも広がった。言い忘れていたが、スウェーデン語でヴァン・ショーはグロッグ (Glögg)。クリスマスにヴァン・ショーを飲む習慣もスウェーデンが発祥のようだ。クリスマス・ディナーの食前酒として19世紀の後半からヴァン・ショーが飲まれるようになったのが始まりらしい。食前酒としてのヴァン・ショーは、各家庭によって味も加えるものも異なるオリジナルなものが作られる。家庭の味がそこにある。
前置きが長くなってしまったが、ヴァン・ショーがヨーロッパではおしゃれな飲み物などではなく、どちらかというと庶民的な飲み物であることが理解できたのではないだろうか。そんなヴァン・ショーをテーマとした物語。これからそれを話そうと思う。
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1992年の冬のパリ。もうすぐクリスマス。と言っても、レピュブリック広場の外れにあるこの辺では、シャンゼリゼ大通りのような煌びやかなイルミネーションが飾られるわけではなく、街は普段と変わりない風景をしている。タバコを買いにカフェに行く。カフェ・タバのおかみさんは、今日も無愛想だ。無造作にマルボロが渡された。夕暮れ近くの冬の空を見上げて、家路につこうかと思ったとき、カフェのすぐ上の部屋からイブ・モンタンが歌う「詩人の魂 (L’âme des poètes)」 が聞こえてくる。
Longtemps, longtemps, longtemps
Apès que les poètes ont disparu
Leurs chansons courent
Encore dans les rues
ずっと、ずっと、ずっと
詩人たちがいなくなった後も
彼らの歌は流れている
今も街に
妙な懐かしさを感じ、カフェのテラス席に座る。急ぐことはない。この歌が終わるまでここにいよう。エスプレッソを一杯頼む。通りを行き交う人は多くはない。それでもいつもよりも少しだけにぎやかな様子だ。ジーンズを履いた若いカップルが寄り添いながら並木の下を歩いて行く。その後ろで、小さな子供の手を引いたおばあさんが笑っている。子供は小声で歌を歌っている。青い作業服を着た体格のいいアラブ系の小店の主人が、脚立を持ちながら、早足に、通りに面した自分の店の中に消えて行った。« Un express! » ギャルソンが大きな声で言った。
La foule les chante un peu distraite
En ignorant le nom de l’auteur
Sans savoir pour qui battait leur coeur
Parfois on change un mot, une phrase
En chantant on est à court d’idée
On fait la la la la la la
La la la la la la
名もない人々が少しいい加減な歌詞で歌っている
作者の名前なんか知らずに
誰のために詩人たちの胸が高鳴っていたのかも知らずに
時々、単語が、フレーズが変えられる
歌いながら、よく判らなくなると
こうする。ララララララ
ララララララ
このシャンソンは1951年にシャルル・トレネが作詞作曲したものだ。トレネはこの他にも「ブム (Boum)」や「海 (La mer)」などの多くのシャンソンを作り、歌手としても活躍し、2001年に他界した。1951年、ヨーロッパでは欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) 設立条約がパリで結ばれる。この共同体が後のEC、さらには、EUの母体となる。時代が変わろうとしていた。古いヨーロッパからの脱却を目指してヨーロッパが動き出していた。少しくたびれたコートを着た初老の男がカフェに入ってきて、私の前の席に座った。
Longtemps, longtemps, longtemps
Apès que les poètes ont disparu
Leurs chansons courent
Encore dans les rues
ずっと、ずっと、ずっと
詩人たちがいなくなった後も
彼らの歌は流れている
今も街に
1951年、フランスはまだ戦前の体制にすがりつこうとしていた。第二次世界大戦が終わっても戦前から持っていた植民地を維持しようとする政策が取られる。アルジェリアやチュニジアなどのアフリカ諸国、ベトナムやカンボジアなどのインドシナ諸国の独立勢力に対して、弾圧が強められていた。古いヨーロッパと新しいヨーロッパが交差した時代。トレネのこのシャンソンはどちらの時代に向けて歌われていたのだろうか。
Un jour, peut-être, bien après moi
Un jour on chantera
Cet air pour bercer un chagrin
Ou quelque heureux destin
Fera-t-il vivre un vieux mendiant
Ou dormir un enfant
Ou, quelque part au bord de l’eau
Au printemps tournera-t-il sur un phono
いつか、多分、僕が死んだずっと後
いつか、歌われるだろう
悲しみを和らげてくれるこの曲を
あるいは、何かの幸福な定めを育むために、この曲を
年老いた物乞いに生きる力を与えるために
あるいは、子守唄のように
水辺のどこかで
春、プレーヤーから歌が流れるだろう
ワインの強い香りが漂ってきた。私の前に座った男がヴァン・ショーを注文していたのだ。シャンソンを聴きながらフランスの歴史について考えていた私は、彼が「ヴァン・ショー」と言った言葉を聞いていなかった。彼は湯気の立つグラスの中に角砂糖を入れ、輪切りにされたレモンを搾ってヴァン・ショーに入れた。ワインにレモンの爽やかな香りが混じる。彼は小さな笑みを浮かべた。
Longtemps, longtemps, longtemps
Apès que les poètes ont disparu
Leurs âme légère court encore dans les rues
ずっと、ずっと、ずっと
詩人たちがいなくなった後も
詩人たちの軽やかな魂は今も街に流れている
1951年冬、彼はアルジェリアからパリに来た。アフリカ北部の旧植民地で生まれたピエノワールである彼は、パリの寒さが辛かった。それでも、アルジェリアからついてきてくれた彼女がいた。褐色の肌と黒髪、美しい大きな瞳。彼女には地中海の海の煌きが宿っている。何故パリに住もうと思ったのか、何故彼女がこんな寒い北の都市についてきてくれたのか、その理由はもう忘れてしまった。ただ、この異郷の地で、彼女だけが、地中海だった。ヴァン・ショーの中に搾って入れたレモンの香りが、彼女の記憶を蘇らせた。
Leur âme légère, c’est leurs chansons
Qui rendent gais, qui rendent tristes
Filles et garçons
Bourgeois, artistes
Ou vagabonds.
彼らの軽やかな魂は彼らの歌だ
みんなを陽気にも、悲しくもする
娘たちや青年たちを
金持ちや、芸術家を
そして浮浪者たちを
ヴァン・ショーを一口飲む。冷たくなった体が温まり、記憶の隅に置かれていたイメージがなおも鮮明に現れる。クリスマス間近のパリ、二人は大通りを歩いていた。寒い日だったが、沢山の人が彼らの横を通り過ぎて行った。歩き疲れた二人は裏通りにあるカフェに入る。彼がヴァン・ショーを初めて飲んだのはそのときだった。アルジェリアは遠い。あの時代も遠い。それでも、ヴァン・ショーで温まった体は、彼女の温もりを少しだけ思い出させてくれた。レモンの混ざったワインの香りが、まだ彼の周りに漂っている。
彼の横顔に刻まれた歴史。私の頭の中に思い浮かべられた物語は、彼の歴史と正しく交差しただろうか。いや、交差している必要はない。この街のどこかで、今も、こうした物語が織りなされている。そんな気がするのだ。私は僅かに残ったエクスプレッソを飲み干し、ギャルソンを呼んだ。« Un vin chaud ! » ギャルソンが大きな声で私の言葉を繰り返した。
初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0399:170124〕
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