暴君の暴走を許すな
- 2017年 2月 2日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
太古の昔…。暴君がいた。
暴君の行動は、思うがままだ。
あたるをさいわいなぎ倒す。
何にでも襲いかかり、噛みつき、餌食にする。
だれもその暴走を止めることはできない。
暴君に定められた道はない。
暴君のすべての歩みが暴走だ。
この暴君の名をティラノという。
ティラノの力の源泉は、その膂力と牙とであった。
古代から中世…。人間社会に暴君がいた。
戦いの勝者がティラノになった。
権力と富を肥大化させるために、
略奪し、殺戮し、焼毀し、破壊した。
だれも、これを止められない。
この暴君を専制君主という。
専制君主は、自分を美化して宣言する。
朕は、神の末裔だ。
朕は、生ける神なのだ。
朕は国家なり。
だから、やりたいことをやってよいのだ。
この暴君の力の源泉は暴力でもあり、
その暴力美化のダマシでもあった。
そして、近代…。
文明の進展とは、暴君を押さえ込むことであった。
権力は、力をもつ者にではなく、
民衆の信任を得た者に与えることになった。
ところが、これがうまく行かない。
民衆から託された権力が暴走をするのだ。
だから、権力を押さえ込むさらなる知恵が必要になった。
ティラノに鎖を。軛を足枷を。
この願いが、法となった。
法の頂点に憲法を定めた。
暴君を縛れ、暴君の暴走を止めろ。
これが、文明社会の常識となった。
ところが、まさにこの今…。
文明の常識に反抗する権力者がいる。
たとえば、アベ・シンゾー。
「憲法嫌いだ」
「憲法なんぞに縛られるのイヤだ」
「そんな不都合な憲法、オレが変えてやる」
シンゾーの親分トランプもひどい。
ティラノへの先祖返りだ。
何でもかんでもやりたい放題。
あたるをさいわいなぎ倒す。
だれもその暴走を止めることはできない。
暴君に定められた道はない。
暴君のすべての歩みが暴走だ。
この暴君の力の源泉をポピュリズムという。
さあ、このティラノを躾けなくてはならない。
まずは、鎖だ。
手枷だ、足枷だ。
法の支配、権力の分立、司法権の優越。
あらゆる手立てが必要だ。
何よりも、民衆自身の抗議の声を大きくしなければならない。
文明史が、大きな試練のときにある。
民主主義が凶暴なティラノを生み落とした。
民主主義の子として育った専制を克服しなければならない。
暴君に勝手なことをさせてはならない。
暴君の暴走を許すな。
ポピュリズムではない、デモクラシーを取り戻そう。
(2017年2月1日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.02.01より許可を得て転載
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