私の好きな木~ポプラ
- 2017年 2月 4日
- カルチャー
- 内野光子
『ポトナム』の今年のリレーエッセイ「私の好きな木」2月号に寄稿しました 。
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「あなたが会員になっている『ポトナム』って、何のこと?」と尋ねられることも少なくない。「朝鮮語で、ポプラのことらしいです。朝鮮で創刊された雑誌なので」と答えている。小泉苳三『夕潮』最後尾の二首のルビに拠る。日本では、ポプラとドロノキ(白楊)と違うらしいのだが、いずれもポプラの仲間らしい。
・うつつなく吹きゆく風の見ゆるかも庭につづける白楊(ポプラ)の垣に
・白楊(ポトナム)の直ぐ立つ枝はひそかなりひととき明き夕べの丘に
一九四四年の秋、私は、東京の池袋の家から千葉県の佐原(現香取市)に疎開した。店を続ける父と薬専に通う長兄は残り、母は私を連れて、自分の生家に身を寄せた。そこには、すでに、小学生の次兄が「縁故疎開」で世話になっていた。私たちは廂を借りての暮らしとなった。立派な長屋門を出ると、目の前には水田がどこまでも続き、その彼方には、細くて高い木の幾本かが等間隔で並んでいた。ポプラだと教えられたその木の枝は、やや片側になびいているようにも見えた。その脇には鉄橋の姿もあった。子供心にも、戦局の不安と暮らしの不自由さが日に日に迫ってくるのを感じていたのだろう。そして、あのポプラの先に何があるのかも知らないまま、毎日眺めていた。あの先には、今は知らない何かがあるに違いないとでも思ったのだろうか。いまでも、ポプラの木を見ると、懐かしさと憧憬の念がよみがえる。のちに、ポプラが旧佐原市の「市の木」であったとも知った。明治生まれの母が通った高等女学校が「佐原白楊高校」と改称、共学になったのは今世紀に入ってからという。
初出:「内野光子のブログ」2017.02.03より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0405:170204〕
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