冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(2)今帰仁城は桜まつりのさなか
- 2017年 2月 16日
- カルチャー
- 内野光子
平郎門 、1962年、琉球政府により修復された
カンヒザクラの並木、2月12日までが桜まつりで、夜はライトアップされる由
やや前後するが、愛楽園再訪の前に、今帰仁城跡を訪ねた。今回の旅で、夫がどうしても訪ねたいと、計画に入れた。ガイドのYさんは、券売所前で迎えてくださる。城址の模型の前での説明が懇切、丁寧で、予定の時間で回れるのかしらと少し心配になるのであった。沖縄本島で南山・中山・北山の三大勢力が争ったグスク(城)時代、今帰仁城は、北山最大の城であり、中山、那覇の首里城に次ぐ規模であったが、15世紀初頭、中山の首里に尚氏によって滅ぼされた。以降は、首里から派遣された「監守」が置かれたが、1609年薩摩軍の琉球侵攻により、城は炎上したという。寺社の少ない沖縄では、無人の時代が長い城跡は拝所の役割を果たしてきたという。
朝が早かったためか、観光客はそれほどでもない。本土ではあまり見かけない濃い桃色の寒緋桜は、少し開花が遅れたそうだ。それでも七・八分咲きくらいだろうか。雄大な城壁を背景として、あるいは起伏のある石段に沿っての桜、最近は、お花見というものをしなくなっているだけに、見事な桜に出会えたのは忘れがたい思い出となった。
城壁は野面積みという石組みで、危険なので城壁の上を歩くことは禁じられている
本丸跡、発掘調査により、築城の変遷が分かってきたという
この日は薄曇りで、海の青さは今一つではあったが
ガイドのYさん、20年前に、沖縄のことが心配になって京都から移住されてきた由、私たちも『琉球新報』を購読していると伝えると、握手を求めてくるのだった
初出:「内野光子のブログ」2017.02.15より許可を得て転載
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