2月11日に久米歌と神楽歌を聴く
- 2017年 2月 19日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
2月11日は、「建国記念の日」と呼ばれる。戦前は紀元節である。日本書紀巻第三神武紀に「辛酉年春正月の、庚辰の朔に、天皇、橿原宮に即帝位す。」とある日を太陽暦に換算すると2月11日にあたると言う。今日、特別に政府主催の式典は行われていない。民族派諸団体はそれを要求しているが、安倍首相の答えは、「歴史の長い国では建国記念の特別式典を行っていないところが多く、革命で生まれたタイプの国は式典を華やかにやっている。日本はいにしえより国家として存在していた国だから、静かに迎えるのも一つの考え方ではないか。」である。
私の現実も安倍首相の言に近い。ここ20年近くになろうか、私=岩田は、毎年この日の前後、CD「日本古代歌謡の世界」(1994年・平成6年、日本コロムビア)で久米歌と神楽歌をゆっくり2時間かけて聞くことにしている。
久米歌は、神武天皇東征の時に勝戦の宴で歌われた。そしてまた天平勝宝元年(749年)に東大寺の大仏供養に奉された記録もあると言う。久米歌と言うと、大東亜戦争の最中に叫ばれた軍国主義的スローガン「撃ちてしやまむ」の出典となった「久米の子」を主人公とする四つの歌謡がまず頭に浮かぶ。しかしながら、楽家多忠麿監督のこのCDで唱われる久米歌は、「撃ちてしやまむ」ではなく、その直前に唱われた二つの歌謡である。
久米歌壱具の「参入音声(まいりおんじょう)」と呼ばれる所は、「うだの 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る わが待つや 鴫は障(さや)らず いずくはし 鷹等(くじら)障る。」 「揚拍子」と呼ばれる所では、「前妻(こなみ)が魚(な)乞はさば 立そばの実の無けくを こきしひえね 後妻(うわなり)が魚乞はさば いちさかき実の多けくを こきたひえね。」
なかなかユーモラスである。さて、私にとって印象的なのは、久米歌壱具演奏の出発点、いわゆる「久米歌合せ音(ね)取り」のメロディーが国歌「君が代」に似ていることだ。明治期に国歌なる西洋近代の制度概念が導入された時、1300年前の東大寺大仏供養でも奏されたこの音取りがもとになって「君が代」が作曲されたのか。専門家のお教えを乞ひたい。
正直言うと、音楽的迫力に関しては、宮中祭祀の「御神楽儀(みかぐらのぎ)」に唱われる、6-7世紀頃に完成していた神楽歌の方が久米歌よりも圧倒的だ。特に御神楽儀の本役=神迎えの真中と最後に位置する閑韓神(しずからかみ)と早韓神(はやからかみ)で「我れ韓神の 韓招祷(からおぎ)せんや 韓招祷。」を唱う男性大合唱は、圧巻である。多忠麿の解説に言う「神を迎えられた喜びを唱う男性大合唱で力強い拍節と、地の底から湧き上るような迫力は、古代日本人の神への感謝と信仰の厚さがしのばれる。」では表現しきれない。しかも、天照大御神をではなく、韓神をである事が驚きだし、感動的だ。
いわずもがなのことだが、今日隣国人に対してヘイトスピーチをくりかえす一部の我国人に言いたい。かつては、7日7夜、3日3夜、明治以降2日1夜になったとは言え、今日も続く宮中祭祀「御神楽儀」の神楽歌CDを聴いてほしい。そうしたなら、ヘイトスピーチの舌が動かなくなるだろう。
私にとって2月11日は、日本を感じつつ、今昔、洋の東西、を考える日である。
平成29年2月18日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion6519:170219〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。